6
自宅の安アパートに着いたときには、時刻は二十三時を過ぎていた。
靴を脱いだときにふらついて、身体が靴箱にぶつかった。そこへ無造作に
またやってしまった。今月は三度目だ。酒瓶の
変わらない生き方を選び続けた結果が、真夜中の一室に広がっていた。昨日までは、日常だった光景だ。今日も、何も感じないはずだった。
ただ、高校三年生の頃には、まさか長年住んだ一軒家を売り払って、この男とここで二人暮らしをするなんて、夢にも思いはしなかった。
決まっていた。何もしない。芙由という人間は、
腕が、微かに
「芙由、遅かったなぁ」
だみ声が聞こえて、異臭が強くなった。また酒に
芙由は「ただいま」と短く言った。そして、男の次の
男は、芙由をちらちらと意識していたが、ごろりと布団に寝そべると、再びこちらに背を向けた。芙由は男に近づきながら、台所の戸棚の隣を通過する。
そして――戸棚を開けると、包丁をすらりと流れるように引き抜いて、バッグの陰に
こうすることは、今日決めた。小静と別れたときから決めていた。なぜなら芙由は思うからだ。この部屋は
そんな現実には、気づきたくなかった。居場所を借りるということは、それに見合うだけの対価が
現に、芙由はそうしてきた。学校や職場でどれほど
それなのに、芙由は思い出してしまった。
清野小静と、再び
芙由が捨てきれなかった傷だらけの心に、
ついに
芙由には、もう無理だ。小静のように、変わることは。
芙由は、あまりに汚れすぎた。何に対しても受け身の道を選び続けて、
なんて、グロテスクな女なのだ。どうして、自分は生きているのだ。知っていたのだ。あのときから。感情を知ればこうなると。卒業式の日の小静の問いが、頭の中でリフレインする。自分の感情なんて、世界で一番分からない。芙由は何も言えなかった。今なら、はっきり答えられる。
そんなものは、知らなくていい。これからも永遠に、知らなくていいのだ。
人間は、自分の感情なんて知ってはいけない。
そんなものを、知ってしまったら――もう、人でなしになるしかない。
ここでいつもの道を選んで、目の前の
一人で、死んでやるものか。
包丁をバッグに隠しながら、芙由は一歩、一歩、歩を進める。人間として最後の歩みを、淡々と、静かに、進めていく。芙由は今日、人を辞める。
――ありがとう。心の中で、小静に礼を言った。芙由も、小静が
そして、四度目の後悔をした。
芙由が出したこの答えを、小静に伝えられなかった。
「芙由?」
バッグが、
その音に、驚いた男が――芙由の父親が、寝返りを打って振り返った。
間の抜けたニヤけ顔が、
「さよなら」
芙由は、包丁を
<了>
人でなしの終着駅 一初ゆずこ @yuzuko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます