ガブリエルの告白

 何から話そうかしら。

 皆が知っている通り、私はセンセエが顧問をなさってた美術部に入っていたの。

 そうよ、前までは倶楽部だったのだけど。センセエが部のほうが格好が良いと言ったから変えたのよ。


 センセエは素晴らしい美術の腕をお持ちだったわ。芸術家としての才能がおありだったの。

 何でもお出来になったけどね、やっぱり一番素晴らしいのは水彩画だったわ。淡い水色で地面を描いて、濃い黄色で空を描くの。それはそれは素晴らしい、幻想的な絵を見せてくださった。


 ある日、センセエは私に言ったわ。絵のモデルになって欲しいって。

 その時の気持ちと言ったらないわ。背中に羽が生えたとしても、あれほど浮き立つような気持にはなれないでしょう。


「田辺さんはとても可愛らしいから、絵に描いてみたいの」


 鈴を転がすような声で言われて、私思わず顔を赤くしてしまいましたわ。はしたない娘だと思われたに違いありませんけど、センセエは優しいから口にはなさらなかったわね。


 センセエは私を、美術室の窓辺に置いた椅子に座らせたわ。木で出来た味気もない椅子が、その時ばかりは玉座にも思えたほどよ。

 ……まぁ、そうね。玉座なんて知らないけど、とにかくそのぐらい嬉しかったのよ。


 センセエは一心に筆を走らせて、私の姿を描いていったわ。

 二日経ち、三日経ち、だんだんとセンセエは私を絵の中に封じ込めて行った。

 センセエは言ったわ。「完成するまで絵を見ないで頂戴」って。芸術家とはそういうものなのよ。臥龍点睛するまでは、何人たりとも絵に触れるべからず、なんて言った画家がいたでしょう。

 ……拳銃自殺で死んだのだったかしら?まぁどうでもいいことね。


 センセエの意志を尊重すべきだと思ったの。

 けどね、私の中の誰かが耳元で囁いたのよ。絵を見てみたいだろう?って。

 勿論最初はその声に抗ったわ。けれど、私は気付いていたの。それが「本能」の言葉だって。


 誰もいなくなった美術室で、私は絵の前に立っていた。

 その時にはもう、耳元で囁いていた本能が、私を動かしていたの。

 白い布のかけられたカンバスに近づいて、その端を手に持ったわ。私の指先が震えていた。恐怖だったのかしら。それとも私の中の最後の良心が本能に逆らって死んでいく断末魔だったのかもしれないわね。


 震える手で布を取り去った私が見たのは、とんでもない絵だった。


 嗚呼、今でも思うわ。見なければよかったって。

 そう!見なければ良かった。見なければセンセエはあんなことにならなかったのだわ。

 ……醜かったかって?とんでもない。逆よ。


 美しすぎたの。


 黒い髪は艶を持ち、頬にはバラ色の血が通い、顎から首のなだらかな傾斜は水の流れの様。

 それに目。眼鏡の奥に描かれた私の目は……。いいえ、あれは私じゃないのよ。私に似た違う誰か。

 私はそれに数秒見惚れましたわ。自分の肖像画に見惚れるというのも変な話だけど、あれは私じゃないのですから、仕方ないことね。

 見惚れ続けて、次に正気を取り戻した時には私は倒れそうになっていたわ。窓に映った自分の顔が、今までにないほど白かったのを覚えているの。


 嗚呼、センセエがこれを描き上げたら、きっと絵の中の美しい少女と、モデルになった私との差に落胆するでしょう。

 私はどうということもない、ただの女生徒。センセエの絵には似つかわしくない。

 きっとセンセエは何かの気の迷いで私を選ばれたの。だから絵が完成したら、私という人間のつまらなさに辟易する。


 絵を完成させてはいけない。と私は思ったわ。

 ねぇ、お願いだからウリエル、そんな責めるような目を向けないで頂戴。

 貴女だって私の立場だったら、同じことをしたはずよ。


 私は、美術室に置かれていた彫刻刀を手に取ると、絵をズタズタに切り裂いたの。紙に書かれた美しい少女は、見る間にバラバラに砕け散った。切り裂いてなお、色の美しいのには嫉妬したわ。

 絵の欠片を両手に持って、私は美術室の窓を開けた。そうして絵を宙に撒いたの。

 ヒラヒラ飛び散る絵が視界から消える頃、私の目の前をセンセエが通り過ぎて行ったわ。落下していったと言うほうが正しいかしら。

 芸術家のセンセエは、自分の絵が無残に壊されてばら撒かれたのを、上の階からみたんだわ。それで絵をかき集めようとして窓から飛び降りたの。


 その証拠にセンセエの周りに綺麗な色で描かれた何かの破片が沢山落ちていたでしょう?

 センセエは私が殺したの。これが真実よ。

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