どうも、名も無き愛され姫です。
愛する――それはこの世のあらゆる生命を肯定することであり、つまり、愛されるとは生命を肯定されることなのです。
では、我々の生命を肯定するものはなんなのでしょうか?
それは世界であり、神であり、そして大いなる自然です。
私は本作『梔子青の足』からそのことを感じ取り、そして、自身がこの惑星にあまねく存在する愛され姫のひとつであることを思い出したのです。
梔子青の足。
美しくも奇妙な題名を与えられたこの作品では、山中に住まう一家を中心に、季節とともに移ろいゆく生命が生々しく、幻想的に、つぶさに、そして大胆に描かれています。
天瀑を有する山はある種の神域で、そこに暮らす一家も神に近い存在だと考えられます。
そんな神々(あるいは魔物)のもとに、麓からその土地の青年――つまり“人間”が婿入りすることで、かれらの異質さが螺鈿の青貝のように光を放つのです。
主な語り手である春峰は戦役で山を降りるものの、人間となって死ぬことができずに帰郷します。
春峰の妹である青浪は愛され姫でありながら同時に愛を与えることのできる、奔放な生命を抱く傲慢な神です。
かれらの母の玉蘭も、下女の丹も、彼女の息子である梔子もまた――。
一方で、青浪の婿として一家に迎えられた深玉は人間です。
かれは青浪と交わり、家族の一員になり、神になることができるのでしょうか。
流れゆく生命たちを愛することはできるのでしょうか。
一家を取り巻く景色は、生命は、ゆるやかに、どこかめまぐるしく変化してゆきます。
熟れた果実は甘いにおいを放ちながら腐ってゆき、苦い土にかえってゆく。
土から新芽が出て、花が咲いて、再び実を成す。
一家のだれかが死んで、だれかの胎に新しいいのちが宿る。
かれらの罪が、邪悪が、あぶくのように浮かびあがり、けれど罰が結実することはなく――。
最後の一行まで気を抜くことができません。
けれど、先が気になって読み進めるのではなく、一瞬一瞬に心奪われているうちに結末へと辿り着いている――まるで谷川の激流のような物語です。
……“足を滑らせたら最後、どことも知れぬ場所まで遠く流されてしまうような”。
それこそが生きるということであり、愛されるということなのでしょう。
世間から隔絶され、山の中の屋敷でひっそりと暮らす四人の「おとこ」と「おんな」。
屋敷にほとんど戻って来ない「化け物」を頂点に生きる彼らは、おのおのが違った異様さをもって、どろりと湿った時間を創り出している。終始薄暗くて先に光は見えないのに、朽ちていく果実の甘い匂いに抗えず、読者はずぶずぶとこの屋敷の中へ意識を引きずりこまれていく。恐ろしいほどの艶かしさで、絶望の住まう方向へまんまと誘惑されていくような気持ちでした。
戦役を退いて屋敷に戻ってきた醜い兄・春峰と、屋敷で溺愛されて育った愛らしい娘・青浪。
そこへ青浪の婿としてやってきたひとりの美しいおとこ・深玉。彼も果たして「異様」なのか、そうでないのか。
世の理が通じぬこの山奥の屋敷で、血縁が、家族が、そして兄妹という関係が、いったいどんな意味をもつのか。
やがて深玉の存在は、死臭漂う閉鎖的な世界で変化と破滅の歯車を回し始めるのです。
母であり圧倒的な女帝・玉蘭の支配する山奥の家で、「おとこ」をめぐって織りなされる禁断のストーリー。忌まわしいものほど美しい、という感覚が骨身にまで刻まれます。一度ページをめくったら、二度と同じところへは戻って来られません。
触れてはならないものはより魅惑的にみえるものです。最初のページを、ぜひとも心して開いてください……。
最初から最後まで、死の匂いがぼんやりと、しかし濃密に漂っている。
閉塞的な場所で営まれる異常な生活。しかし、おそらく、このひとたちにおいてはそれが正常だった。かれらの正常に紛れ込んだ「ふつうの」男こそ、異質だったのかもしれない。
腐った水のにおい(どこか妙にかぐわしい)がずっと物語の中核を静かに流れていて、最後にそれが堰を切って溢れ出す。止める方法を誰も知らないし、止める気などないのかもしれない。
鬱々とした物語の中でも唯一希望が残されるような終幕が、暗いままの気持ちにさせない幕引きが、一縷の光が残される終わりが、新たな物語を予感させます。
でも、やはりどれだけ流れても「海」へは辿り着けない、行き着く先は水溜まりであるかのような細く流れる物語が魅力です。
3章4つめのエピソード「松柏に瑞雪(1)」まで拝読した段階でレビューを書いています。
中華風と銘打たれていますが、なるほど熟れてくずれる桃の感触がする。実に陰鬱で暗澹、中華風の闇を凝縮して煮詰めた雰囲気です。
でもそれがサイコー。
決められた色彩でありながら陰影の濃淡が見えてくるような。
纏足の香りがする。
ある山に住まう一家の闇を、長男である春峰の視点で描いた作品です。
春峰は戦の怪我のために、かつては美しかった容貌が崩れ、またいろいろな障害を負っています。
でも、彼は傷つく前から傷ついていたのでしょう。ひょっとしたら戦に行っている間こそ人間らしくいられたのであって家に帰って妹の青浪の奴隷のように扱われている今の方が大変なのでは?
対する青浪はとても無邪気な娘です。まるで幼子が虫の脚をもぐような純真を感じます。夫を迎えましたが、おとなにはならない。ただただ自分の素直な感情で春峰を振り回す。正直に言って何をしでかすか分からずちょっと怖い。
病んでいるのはこの兄妹だけじゃない。母の玉蘭はもちろん、使用人の丹や青浪の夫・深玉もちょっとおかしい。この家にいるとみんな狂っていく。そんな感覚がある。
母の玉蘭の体調不良をきっかけに春峰と青浪の関係が変わろうとしています。
この先何が起こるか分からないです。
不安と期待を抱えて続きを楽しみに待とうと思います。
できれば春峰が、そして青浪も、この家の何か重苦しい空気から解き放たれますように。
でも解き放たれなくてもいいんです、そのまま溺れ死ぬのもまた一興と思える、そんな世界観です。