第4話 青の過程
月の宴のもてなしは、東洋の白い器で供される。
白磁に男が一筆入れると、そのたびごとにその絵が実体をもち、眼前に現れる。
錬金の秘法よりも美しく尊い幻術。
やがて男の周りは、薄暮を背景にした淡彩の桃源郷となっていた。
最後の一枚の皿に童を描き、目を入れると、夕間暮れに巣へ帰る雁の鳴き声、月の出を待つ梅花の宵への誘いの仄かな匂い、遠き日に思いを馳せる心持ち――目に見えぬものすべてが実体を持ちさんざめいた。
白磁の大皿に張った水。
映る月。
浮ぶ小舟は、百木蓮の花びら。
いつしか、男は、その小舟に乗っていた。
月を探して見上げると、そこにはこちらをのぞきこむ童の姿。
目が合ったかと思うと、男は小舟ごと渦巻く水底に引きずりこまれ、泡となって消え失せた。
頁の端が垢で汚れ、擦れ、綻びた一冊の本。
東方の絵空事のような現実の記された見聞録を、自室の寝台の背にもたれひもときながら、ベットガーは思いを巡らせる。
商人は、じらすのがうまい。
かけひきではかなわない。
けれどそうした輩のもとに、天の使いは現れない。
精魂傾けた探究の極みにのみ現出するのだ。
東洋の神秘を授けてくれる白く美しく肌理こまやかな磁器の天使は。
バルトロメイから、影青を遠ざけよときつく申し渡されたが、その理由を彼は決して口にしようとはしなかった。
それでも一向にかまわなかった。
ベットガーは、元より他人の忠告をきく気はなかった。
黄昏に陽射しが弱くなってきたのをしおに、ベットガーは本を閉じた。
人の気配に本を閉じ顔を上げると、影青が立っていた。
影青は掌に白磁の蓋つきの壺を乗せて差し出した。
それは、初めてここへ来た時に影青が持参したものだった。
ベットガーは蓋をとった。
白磁の壺いっぱいに、白くきめ細かな粉が入っていた。
「高陵」
少年が声を発した。
高陵――カオリンは、白磁の原料として重要な磁土だった。
花崗岩や石英斑岩など長石を含む岩石の風化によってできた白色または淡黄色の粘土で、採掘地の地名地名高陵がその名の由来である。
焼成の温度をこれまで以上に高くすること、そして、何か加えねばならぬというところまでわかっているのに、その何かがわからないでいたベットガーにとって、喋れぬはずの少年の声は正しく天啓だった。
ベットガーはその磁土を何度もすくっては落としを繰り返した。
覚えのある感触だった。
ベットガーは俄かに力が漲るのを感じ、すぐさま焼成にとりかかった。
天啓を得たベットガーは疲れを知らぬ狂信の徒と化した。
そして、ついに、西洋初の白色磁器が創製された。
ベットガーは一番に影青に見せようと探しまわった。
その日に限って少年は工房にはいなかった。
ベットガーは、影青の部屋へ向かった。
部屋にも少年の姿は見当たらなかった。
ふと目をやると、椅子の上のきちんと畳まれた服の上に、ベットガーが誂えてやった靴が置かれ、その上に一枚の紙がのっていた。
八角形に切り抜かれたそれは、額に入れ飾られていた図案だった。
手にとって見ると、図案に描かれていた童が一人いなくなっていた。
ベットガーは不思議に思いながらも、これでは未完だと、描き加えようとした。
けれど、しばし黙考の後、筆を置いた。
そこに童を描いてしまったら、もう、彼は帰ってこないような気がしたのだ。
青の過程 美木間 @mikoma
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