Miss LONELY

猫宮噂

ミス・ロンリー

古びたピアノの前に座る老女は、やたら赤い口紅と型遅れの──けれども華やかな──ワンピースを纏っている。今にも崩れ落ちそうに脆そうでありながら、けれど瞳に宿る光だけは若々しい。そんな彼女は、同年代の誰にも近寄らず、また近寄られることもなく孤立しているようで、僕は何と無し気にかかったのだった。


「あのう、あの人は?」


僕の問いかけに、同じボランティアでやってきた先輩は「ああ、」と声を上げる。


「いいのいいの、ほっといて。ちょっと問題のある人だから」


ここ、とこめかみのあたりを指す先輩は苦笑していたが、すぐに別の老人に呼ばれてあわただしくそちらに駆けて行ってしまった。

錆びついているのか、音の鳴らないピアノの鍵盤を叩く彼女がどうしても気にかかって、僕はそっと近寄ってみる。


「こんにちは」


声をかけると、老女は驚いたように顔を上げた。白い髪は薄く細くはなっていたが綺麗に手入れされているようで、さらさらと肩から零れては背中に落ちていく。


「あら、驚いたわ」


老女の声は何処か穏やかで耳に心地が良い。近くに寄ってみると尚の事不思議で、確かに枯れ枝のような老女の身体だというのに、どうしてか少女を見ているような心地にさえなる。


「あたしに声をかけてくる人なんて、とんといないものだから」


ころころと、彼女は笑う。「こんにちは」と改めて声をかけると老女は「はい、こんにちは」と言葉を返してきた。先輩の言うように『問題のある』人には到底見えないな、と思いながら彼女の隣に立つ。


「──何をしてるんです?」


なんだか、もっと話をしたい。僕は聞こえない曲を奏でる彼女に問いかけた。


「思い出の曲を弾いているのよ」


いい曲でしょう?繰り返し繰り返し、同じように指を運ぶ。次第になんだか、僕にまでその曲は聞こえてくるような気がした。


「ええ、とても」


微笑めば、彼女もまた嬉しそうに笑うのだった。

それが、ぼくと彼女の最初の会話。

名前を聞いたら、彼女は困ったように笑いながら「秘密よ」と答えた。


「ミス・ロンリーと、そう呼んでちょうだい」


春の日差しのような微笑みでそう言われてしまうと、僕にはどうにも逆らえない。けれど、ロンリーという名前の通り、どうやら彼女は独り身らしい。ぽつり、ぽつり。彼女は色々なことを話してくれた。

若い頃に学園祭でミスコンのクイーンになったこと、戦争に向かう少年たちのこと。彼女の、そんな生きた軌跡を一つずつ。

それを黙って聞くのが、僕には何だかとっても幸福な時間のようだった。


多分その日もそうだった。ミス・ロンリーは相変わらず、不思議なひとで、すっかり細くくたびれた髪を上手に編みながら、僕に話してくれたのだ。


「私ねぇ、待っている人がいるのよ」


とっても素敵な人よ。そうねぇ、あなたに少し似ているかしら。軍服を着た写真がとっても格好よかったわ。音の鳴らないピアノを撫でながら、彼女は語る。

その人は、海をこえて戦争に行ったこと、まだ、帰ってきていないこと。帰ってきたら、結婚する約束をしたこと。

それをとてもとても幸せそうに、僕に語るのだ。


「きっと、もうすぐまた会えるわ」


戦争はもうすぐ終わるのよ、彼女の微笑みは無邪気だ。そんな彼女を、夕焼けがオレンジ色に照らす。それがあまりにも眩しくて、目を細めた一瞬に、彼女の姿が美しい少女のようにも見えた。驚いて目を見開けば勿論、ミス・ロンリーは相変わらず枯れ枝のような老女のままだ。


「──早く帰ってくるといいですね」


だから僕も笑う。いつも通りかは自信が無い。



結局それから数日して、彼女は他界した。身内のない人だったから、遺品は色々な人に引き渡されたもので、僕は彼女の日記をもらったのだ。

何十年も前の日付を繰り返す日記とそこに挟まれた軍服の男性と一緒の少女の写真。


「ミス・ロンリー。戦争はもう終わったよ」


写真に話しかけても返事はない。

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