物語を楽しむ
小生から最後に言えることは『物語を楽しむ』という一言だけです。
例え他人がつまらないと言った作品でも、『自分(受け手)が楽しい』ならばそれでいいのです。
物語を楽しむうえで、けっしては『他者の意見を受け入れなければならない』ということはありません。例え『プロの評論家』と意見が対立したとしても、それに自分が納得できないならば、プロの意見は無視して構わないのです。
ネット上で『シン・ゴジラ』の感想を見ていると、『楽しめない方がおかしいのだろうか?』という意見があったりします。それだってけっしておかしな意見ではありません。
もちろん『楽しめた人がおかしい』という意見でもありません。
見る人が増えれば増えるほど、幾つもの反応が生まれるのは当然のことです。人間というのは同じ世界を見ているようで、それぞれが違う世界を見ているのです。
例えば『格闘技の試合』を二人の人間が見ているとしましょう。
一人の人間は『ルールの中での真剣勝負』として楽しんでいます。ですが、もう一人の人間は『暴力を見世物にしている野蛮なゲーム』として嫌悪感を覚えます。
この場合、どちらが間違っているということではありません。意見(感想)としては二つとも正しいと考えられます。『格闘技の試合』という一つの現実から異なる二つの認識が生まれてしまうわけです。
『物語の世界』でもそれと同じような認識の違いがよく発生します。
一つの物語を巡って意見の対立から言い争いが発生する場合、お互いにこの認識の違いを把握していないことが多いです。まあ、把握したうえで認めないということも珍しくはありませんけど(汗)
実際のところ、『物語の世界』というのはとても複雑です。
様々な形があり、様々な楽しみ方があります。
その分、受け手によって認識の違いが発生し易い環境なのです。
だからこそ、『楽しむ』ということが重要になります。
なぜなら、
『つまらないより楽しい方がいいじゃないですか』
あの作品もこの作品もつまらないと嘆くより、あの作品もこの作品も面白いと喜んだ方が生きてて良かったって思いますよ。
なので、小生は最後に言います。
『自分で楽しんでください』
そういうことです。
今の世の中、物語というのは無数にあります。
過去の作品だって盛り沢山。新しい作品にだけ拘る必要もありません。
過去の名作というのは、誰かにとって『面白かった作品』であることが多いです。
後は『自分が楽しめるか』という問題になります。ミステリー作品の名作などは読んだ順番によって評価が分かれやすいので、ご注意ください。
物語の世界は複雑ですが、その終着点は単純です。
『楽しんだもん勝ち』という一言に尽きるでしょう。
その作品に出会えて良かった。
そう思えることこそ、自分自身への最大のご褒美なのです。
小生にとっての『シン・ゴジラ』というのはそういう作品となりました。
では、この出会いに感謝して、『小生とシン・ゴジラ』閉幕です。
いつかこの文章を読む誰かが、『楽しい物語』と出会うことを多少はお祈りしてまして、さよーなりー。
<終>
小生とシン・ゴジラ サンカク @sikaku
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