第9話 史上最大の取引(1)

 僕以外の人類がいなくなった地球は、各地で工場や発電所が爆発して想像を絶する被害が生じる。

 当然、そう思ったが、そんな心配は無用だった。

 なぜなら、時間が止まってしまったからだ。

 どうしてそれがわかったかと言うと、部屋にある時計という時計が動いていないからだ。

 

 廊下に出て他の部屋を調べようとしたが、どこも鍵がかかっている。呼んでも反応がない。

 やはり、僕以外の人間はいないのだ。 

 彼ら宇宙外生命体の活躍により、陸上の生物は高温で絶滅し、人間は海でおぼれ死に、大昔のように生命活動は海だけで行われているのだろう。

 死者の魂は、今、どこをうろついているのだろうか。

 そんなことより、これから僕がどう生きていくかが重要だ。



 その時点では、僕は環境破壊を止めるために、彼女が時間を止めたのだと思った。

 だが、無くなったのは時間だけではない。僕は、また暗闇にいたときのように、体の感覚がない。どうしてそれがわかったかと言うと、階段で滑って下に落ちたからだ。体を床にぶつけたはずなのに、痛くも痒くもない。

 視覚は問題ないので、気づくのが遅れたのだ。

 目に映るものはリアルだったが、夢の中にいるようだった。

 

 そんな状態で外に出た。

 以前と同じ光景だ。例の空き地に行くと、ただの空き地だった。

 人の姿はない。犬も猫も鳥もいない。

 海浜公園のほうへ向かって歩いた。ところが、途中で異常に気づいた。

 ある地点から町が消えている。

 そこから先は、空と同じ青一色の世界が続いている。

 道路の端まで歩くと、見えない壁でもあるかのようにそれ以上先には進めない。

 

 この状況をどう解釈していいのか戸惑っていると、彼女が目の前に現れた。

「忘れ物したから戻ったの。具体的にはファミレスの帽子。この宇宙のお土産にするつもりなんだけど、この辺で見なかった?」

 僕は彼女の質問には答えず、逆に聞いた。

「ちょうどよかった。いろいろ聞きたいことがある。時間が止まったり、途中で町が消えているのはどういうことだ?」

「実はこの宇宙、現時点での参加者あなただけなの」

「海中の生物もいないのか?」

「彼らだけじゃ海が維持できないから、一緒に引き払ってもらった。海って、深さがあって生き物の位置がばらばらだから、以外と計算量多いの。今この宇宙は、あなた一人の計算力で維持してる。だから範囲が狭く、時間も止まったままなの」

 それまで無数のSOCで描いていた宇宙が、僕ひとりになれば、当然そうなるはずだ。

「狭いってどのくらいだ?」

「半径一キロくらい」

「星とかは?」

「プラネタリウムも無理だから、朝のまま。曇りなのは太陽が描写できないから」

「つまり、夢とあまり変わらないのか?」

「夢と違って、それまでの宇宙のデータ引き継いでるから、リアルでしょ。だけど、扱えるデータ量が小さいから、半径一キロ」

「人間、いや、人間だった魂はどこに行った? それと他の生き物は?」

「責任をとって、ソラスさんの宇宙で面倒みるそうです」


「時間が止まったということなら、僕はまた不老不死ということか」

 こんな狭い場所で永遠にひとりきりは勘弁して欲しい。「君とは会わなければよかった」

「偶然出会ったわけではありません。計画通りです」

「なんで僕を選んだ?」

「無作為選出です」

「偶然ということか。なんだ、そりゃ」

「これを全部夢という形で処理できないか」

「無理です」

「せめて人並みに歳をとらせてくれ」

「老化にはかなりの計算力が必要です」

「自殺すればいいか」

「ためしてください。死ぬだけの処理能力がないはずです」

「いまなら君がいるから、僕一人が死ぬくらいの処理能力があるはずだ」

「私は、後二十分で宇宙を去ります。但し、帽子が見つかった場合ですけど」

「二十分あれば十分だろう」

「わかりました。ご希望に従います」


 そこは刑務所だった。

 独房にいる僕は、囚人服を着ている。

 鉄格子の隙間から見えるコンクリートの廊下に足音が響く。

 看守が現れた。

 帽子だけファミレスのものだ。無事、見つけたということは、二十分後には彼女はこの宇宙にいないことになる。僕も死ぬので、宇宙は参加者ゼロになり、消滅するのだ。


「18番。出なさい」

 キズキヨーコはそう言って、鍵を使って牢の戸を開けた。

 僕は廊下に出るとき、肩を檻にぶつけた。

「ちょっと待った。痛覚がもどってるぞ」

「私がいることで計算力が高まり、すべての感覚がサポートされます」

「苦しいからダメだ。感覚だけ消して殺してくれ」

「それは無理です」

「こんなシリアスな殺し方はないだろう」

「では、どういたしましょう?」

「そうだな……」

 そのとき思った。何も悪いことしてないのに、なんで死ななきゃいけないんだ。

 僕は看守の体を突き飛ばし、廊下の突き当たりの扉めがけて走った。


「脱走です。18番が脱そうしました」

 彼女が叫んだ。ベルが鳴った。

 突き当たりの扉は、問題なく開いた。

 その先は刑務所の庭だった。

 すぐ目の前に高い塀がある。

 上に登ろうとしたが、すべってうまくいかない。

 簡単に脱獄なんてできるわけがない。

 ベルが鳴っているのに、誰も捕まえに来ない。

 僕は急に馬鹿らしくなり、その場をぶらぶらと歩いた。


「20分経過しました」

 そう彼女の声がした。

 刑務所は消え、僕は死ぬ機会を失い、例の空き地の前に立っていた。

 変化のない宇宙で孤独のまま、半永久的にすごさないといけない。

 溺れ死んだ連中は、ソラスのいる宇宙で新種の生物として大量発生し、にぎやかにすごすのだろう。そちらのほうが楽しいはずだ。

 僕は、絶望のあまり天を仰いだ。

 

 空を見ると、鳥がいた。静止してはいない。ちゃんと翼を動かし、飛んでいる。

 恐竜が滅んでいった頃、空を飛べる翼竜は生き残り、鳥に進化した。進化論ではそう考えられている。説得力のある後付の事実だ。

 そこに何故、僕以外の生き物がいるのかということを考えずに、僕はぼうっとしていた。

 

 そのとき、急に感覚が戻った。どうしてそれがわかったかと言うと、後ろから来た中年の紳士に肩を叩かれたからだ。

 僕が振り返ると、男性は、

「すいません。ここは天国ですか?」と尋ねてきた。

「いいえ、ここは現実の世界です」

「さっきまで海にいたような気がするけど、あれは何だったんだ」

「さあ、僕にもよくわかりません」

 男性は、疑念が解けないまま、自宅に向かっていった。

 

 他にも街に人がいる。

「海で溺れたはずでは?」

 と、僕は何人かに声をかけたが、

「こっちがききたいよ」「夢でもみたんだろう」という返事ばかりだった。

 みんな何が起きたのかわかっていないようだ。

 そんななか、高校生だという若者が貴重な証言をしてくれた。

「暑くなって、海が金になって そこで溺れた。その後、みたこともない綺麗な星の周りをしばらく漂っていたら、いきなり、これだけの数は無理だという声が聞こえて、そしたらここにいたんだ」

 ソラスの宇宙で惑星を用意してもらったが、サイズが合わなかったということなのだろうか。


 それから僕は、彼女と会う前の生活に戻った。僕だけでなく、世界中の人間と生き物が元に戻っていた。何人か親しい友人にキズキヨーコのことを話すと、作り話と一笑された。

 結局、環境破壊の件は何も進展せず、彼女がこの宇宙に来た意味がなくなってしまった。

 彼女は今どこでどうしているのだろう。僕に近づくため、人間の女の子の姿をとったが、本当はとてつもなく恐ろしい存在なのだろう。もう来ないで欲しいと思うが、その反面、会いたい気もする。せめて写真の一枚でも残しておけばよかったと今は後悔していた矢先、また政府関係者からワシントンに向かうように要請があった。ソラスがまた会いたいということだった。

 今頃、僕に何の用なのか。また何か問題が起きたのではないのか。僕は、懸念を抱いたまま渡米した。 



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