天動説の彼女

@kkb

第1話 ごくありふれたファミレスのレジ係(1)

 僕は週末の仕事を終え、ひとりでファミレスに入り、ハンバーグセットBを食べていた。どこにでもありそうな最近出来たばかりの店だが、ディオーネという美容店のようなエレガントな名前は初めて聞く。

 オープン時の大切な時期に、受験勉強の高校生達がテーブルを陣取り、他のお客さんの迷惑になっていた。僕は食べ終わると、早々に引き上げることにし、レジの前に立った。

 キズキ・ヨーコという名札をつけた、ボブヘアで童顔の女の子に千円札を二枚渡した。名前がカタカナなのは会社の方針なのだろうが、外国人みたいでおかしな気がする。


 ここは製造業が盛んな人口十万の地方都市だ。僕は、この近くにある会社の寮に住んでいる。食堂も談話室もない寝起きするだけのぼろアパートだ。

 店を出ると、そのまま寮のほうに歩きかけたのだが、後ろから呼び止められた。

「お客さん、おつり忘れてますよ」

 僕はおつりを受け取ったつもりでいた。だから、「え? もらったけど」と言って振り返ったのだが、声の主を見て驚いた。

 間違いなくさきほどのレジ係の女の子だったが、いつの間にか私服のワンピースに着替えていた。


 「え、どういうこと?」

 僕があっけにとられていると、女の子はにこにこしながら、

「おつり忘れたなんて嘘。実はお客さんと一緒に行きたい場所があって……」

 と切り出した。

 いきなり見ず知らずの女の子にそんなこと言われれば、怪しむか喜ぶか照れるかするはずだけど、僕はそれどころではなく、彼女の言うことを途中までしか聞いていなかった。

 僕が店を出てから一分も経っていないのに、どうやって服を着替えたのか、種明かしをしてもらわないと困る。

 それよりも、そこにあったはずのファミレスが消えて、空き地になっていることをどう説明すればいいのだろう。

 だから、「どういうことか教えてくれ」

と彼女を責めるように尋ねた。

 彼女は、「まだわからないの」といって、今度はにやにやしだした。たいして年の差はないけど、これでも大人なんだから、馬鹿にされるのは悔しい。


 そうか。これは夢なんだ。たいした謎じゃなかったと思いつき、僕は納得した。夢なら夢で徹底的につき合おう。

「わかったよ。これはすべて夢。君は夢のなかの登場人物。僕の脳みそが想像しただの映像と音声」

「残念。この世界はあなたの夢ではありません。私は、私が想像した映像と音声。あなたも、あなたが想像した映像と音声」

「何言ってるかわからないよ」

 僕は少し感情的になって、夢の中の人物に文句を言った。

「ねえ、それより早くプラネタリウムに行こうよ」

 

 僕と一緒に行きたい場所は、プラネタリウムだったようだ。現実では近所にプラネタリウムはないけど、夢なら何でもありだ。夢の中でどうプラネタリウムが再現されるのか興味があったけど、相手のペースにはまるのが厭なので、

「プラネタリウムなんかこの近くにないよ」と冷たく言った。

 すると彼女は落ち着いた感じで、

「この宇宙がプラネタリウムなんだけど、今まで生きてきて気付かなかった?」

 彼女の口調は、敬語だったり、ため口だったり、統一性がない。

「たしかに、僕が作り出した夢だから、プラネタリウムのようなものだな」

「そうじゃなくて、私たちはみんなで宇宙を投影しているの。私たちの周りを宇宙が周っているから天動説は本物だったの」


 天動説とは、地球は宇宙の中心に静止していて、その周りを太陽や星などの他の天体が回っているとする説だ。視覚的には正しく見えるので、三百年くらい前までは常識だった。しかし、宇宙全体を回転させるのは力学的に不可能だ。

 いまでは天動説を信じる人間などいない。少なくとも僕の知り合いにはいない。しかし、宇宙がプラネタリウムのように人間の投影した映像なら、地球の周りを回っているといえないこともないかもしれない。


 だけど、あまりに非常識な発言に、僕は腹がたってきた。

「ひょっとして僕のことからかってる?」

 僕が怒りの表情で彼女に近づくと、彼女は

「あ、やばい」と言って空を見上げた。

 僕も釣られて上を見た。

 普通夜空には星や月が出て、黒雲が見えたりする。

 しかし、それは最高級テレビが追求したような完全な黒色の背景に、


 要求されたデバイスにアクセスできないため、ブートの選択でエラーが発生しました。 システム管理者もしくはコンピュータの製造元にお問い合わせください。 


 という巨大な白いゴシック体文字が、ドームの内側に張られたように浮かんでいた。

 

 宇宙がエラーを起こした。宇宙がデータを読み込めない。宇宙がシステム管理者に助けを求めている。

 何がなんだかわからず、僕はすぐに彼女を見た。

「あ、助かった」

 彼女がそう言ったので、再び空を見ると元の星空に戻っていた。

「今のは何だ?」

 僕が聞くと、

「今のは私が投影したイメージ。いくら宇宙が作り物でも、日本語であんなメッセージが出るわけないでしょ。だけど、現実の宇宙もデータが読めなくなれば、たぶんあんな感じに空が空でなくなるの」

「データって何だ。データって……」

 僕は、会社で品質管理担当だから、データの扱いには強い。それに、少しはコンピュータの知識もある。

 宇宙がデータ処理の結果だとすると……。

 何となく彼女の言いたいことがわかって、空を見るのが怖くなってきた。

 それでできるだけ上を見ないように心がけた。

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