第6話 グルメ地獄に黄金地獄(2)

「すげえな」

 彼女はデータ使い。宇宙は情報から成る。その情報を自由に書き換えることができる。要するに彼女は、物質を変えることができる。

「この店もどこかにあったのか?」

「これはオリジナル。何店か参考にしたけど」

「錬金術師みたいなこともできるな」

 これまで彼女が見せた能力は、錬金術師どころではなかった。

「もちろん」

「なんか出してよ。金(きん)でいいや」

 僕は、金の実物を見たことがなかった。一度、手に触れて感触を味わってみたい。

「いいよ」

 彼女がそう言うと、目の前の料理が皿ごと金に変わった。

 いや、その下のカウンターテーブルも金色だ。

 店全体が金に変わったのだ。店だけでない。彼女も金になった。水道から出ていた水までも金に変わり、流れが止まってしまった。


 僕は、金のカウンターに手で触れた。ひんやりと冷たい金属感が心地よい。

「これでいくらぐらいかな。貴金属店でも買ってくれないよな」

 彼女は返事をしない。

「しゃべれないのか?」

 彼女も金になってしまった。

 金相手に話しかける僕のほうがおかしい。、

 窓ガラスも金なので、外の様子がわからない。

 

 金のドアを開けて外を見ると、道路は金、家も電柱も電線も金。自動車も自転車も通行人も金。見渡す限り金、金、金。

 雲は金色。太陽も金。空は薄い金色。

 要するに僕の体と身につけているものと空気以外は、みんな金になってしまった。


 どこまで金になっているのか確かめようと、金の彼女のことは放っておいて、道路を走った。

 小学校が金。商店街の全ての店が金。飲屋街も金。スーパーも金。コンビニも金。市役所が金。駐車場が金。空き地が金。パチンコ店が金。街路樹が金。

 一キロくらい進んだけど、全部金でできていた。

 黄金一色の世界で、しばらくは夢見心地だった。

 

 夢でもいいから、この状況が終わらないでくれと願った。

 僕は、どんな皇帝も錬金術師も到達できなかった、金しかない世界を手に入れたのだ。

 しかし、時間が経つに連れ、冷静になってきた。

 いくら何でもやりすぎだ。

 頭がおかしくなってしまう。

 恐怖の金地獄。

 食べるものがないから、確実に餓死する。その前に水が欲しい。

 雲が金なのだから、雨が降るわけがないか。



 そうだ。スマホがあった。着ている服が変わらないなら、スマホだって金に変わってないはずだ。そう祈りながら、スマホをとりだした。至って普通のスマホだ。だけど通信はできないだろう。

 適当な相手にかけてみるが、やはり通信エラーだ。通信が切断されても写真はとれる。

 冥土の土産に、この純金の世界を記録に収めるのだ。

 そう思って手当たり次第に、写真を撮っていった。

 

 何十枚か撮影し、飽きてきたころ、着信音が鳴った。相手は登録した覚えがないけどキズキ・ヨーコになっている。


「はい。僕です」

「そんなせこいことしなくてもいいのに」

 彼女の声だ。

「携帯の中継基地が金になってるはずなのに、どうやってかけた?」

「携帯画面にイルージョン貼り付けて、声は空気を直接振動させてる」

 要するに、携帯経由で話しているように見せかけたわけだが、そんなことはどうでもいい。


「早く元の世界に戻してくれ。このままだと食べるものがなくて死ぬ」

 と僕が訴えると、

「せっかくこれだけのものを作ったんだから、しばらくこのままにしとくね」

「しばらくって?」

「百年くらいかな」

「馬鹿言うな。僕が死んでしまう」

「その点は心配ない。あなたの体だけど、二時間過ぎると二時間前のデータに書き換えるように設定しておいたから」

「どういうことだ?」

「タベルナを出た時の体のデータを保存しておいて、二時間おきにそのデータをコピーするの。それ以降の記憶が消えないように、大脳のシナプス結合体が増えた分は、とっておくから安心して」

「そういうことじゃなくて、何が起きるんだ?」

「何も食べなくても飲まなくても平気。永遠に今の体のまま。但し、二時間の間に死んでしまうと戻らないから、不老であっても不死じゃない。じゃあね」

 電話を使っていない彼女は、電話を切った。


 僕は、急に不安になった。

 時間は経っているのだろうか。時間を示す道具は全て金に変わり、今何時がわからない。

 しかし、完璧な体内時計が二時間の間隔を教えてくれる。

 喉の渇きと尿意が少しあったのが急になくなり、その代わりお腹が満腹になった。店にいたときの体の状態に戻ったのだ。

 僕はもう歳をとることもない。食事もトイレも永遠に必要ない。


 海浜公園も金だった。そこから黄金の海が見える。近づくと、波の形状を留めたまま純金に変わっていた。

 防波堤の梯子を伝わって、海の上に降りた。金なので上を歩くことができる。

 このまま太平洋を歩いて、ハワイに行こうか。ハワイは遠いけど、今は満腹の腹を減らしたい。とりあえず、ハワイの方角に走り出した。

 いくら走り続けても、二時間で体が元に戻る。永遠にマラソンを続けられる史上最強の長距離ランナーに僕は生まれ変わっていた。


 何時間でハワイに着けるのだろうか。42.195キロなら僕より早い人間は五万といるが、1000キロなら僕が一番早い。

 水平線で黄金の空と海がぶつかる。空の方が若干色が薄いから区別ができる。

 よく考えると、空が金色なのはおかしい。

 空気は以前のままなのに、空の金色はどう説明づければいいのだろう。

 それに太陽が金に変わったのに、相変わらず光や熱が提供されているのはどういうことなのだろう。他にも、地球の重さが変われば、随所に影響が出るはずだ。


 これが彼女のいう物理法則を破る力なのだろうか。物理法則が出力した現実空間データを直接修正する。動画や静止画の編集のようなことが、現実世界に実際に行われたのだ。

 この異常時に重箱の隅を突っつくような細かいことを考えていると、小さな漁船に遭遇した。


 網を引き上げる最中で、黄金の網の中に黄金の魚達が瞬間冷凍されたように動かずじっとしている。

 それほど魚好きではなかったが、もう魚を食べることができないと思うと、無性に魚が食べたくなる。

 他にも理由がある。タベルナという食欲が失せる店名の店で食べた豚料理の味がゲップをする度にこみあげる。永遠にこの状態が続くと思うと、魚の塩焼きが恋しくなるのだ。

 それで「ああ、魚が食べたいな」といって、網の隙間に指をかけた。


 すると、突然、世界は元に戻った。

 僕は漁船の網を必死でつかみ、漁師さんが「人間がかかった」と腰を抜かして驚いている。

 網は機械で引き上げるので、僕が網にしがみついていれば自動的に船の上に乗れる。 漁師さんの助力もあって、なんとか助かった。


「何があった?」

 漁師さんにどう説明していいのか困った。


 船が港に戻ると、僕は大勢の漁業関係者と警察に事情を説明するはめになった。本当のことを言っても、絶対に信じてもらえないので、防波堤の上で歩いていたら、バランスを崩して海に転落したと嘘を吐いた。それでさんざん絞られた。

 寮に帰ったときには夕方になっていた。タベルナは営業していたが、入る気にはなれなかった。


 部屋にはまだ古代料理があった。時間が経っても冷めないことぐらいではもう驚かない。相変わらず、二時間置きに体が戻るので、食べようとは思わない。おそらく時間が経っても傷まないようなので、棚に閉まっておいた。



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