第7話 彼女がこの宇宙に来た目的(1)

 翌朝起きると、お腹が空いている。体が二時間前ではなく、それ以前の通常の状態に戻ったようだ。

 この調子なら食べ残した古代料理もいけそうだ。そう思ったが、あれほどたくさんあった料理は消えていた。

 結局、全部長い夢だったようだ。

 今から振り返って見ると、金曜日は会社で普通に働いていて、その後からおかしくなった。おそらく会社帰りに、同僚と酒でも飲んで、寮に戻って記憶を無くし、すぐ寝てしまったのだろう。そう思ってスマホを取り出すと、今日が日曜日だということがわかった。


 ということは、まだ夢から覚めていない、僕の頭がおかしくなった、昨日の記憶は事実だった、の三つのパターンが考えられる。

 あの空き地がどうなっているかが気になる。僕は着替えて外に出た。


 また新しい店がオープンしていた。

 

 と言う表現が不適切な、古い木造二階建てのよろず相談所があった。

 何を相談しろというのだ。とりあえず、どうにかして欲しい。

 

 僕は迷わず、曇りガラスに「万風堂」という屋号の入った引き戸を開けた。建物の立て付けが悪いので、かなり軋む。後付の事実で、何十年も前からあった店ということになっているのだろう。


 キズキ・ヨーコは、易者のような男性用和服姿だった。店の奥のほうで机の上に新聞紙を広げ、黒縁の丸眼鏡をしているくせに、近眼のように顔を近づけて、なにやらぶつぶつと唱えている。


「トイレットペーパーが売り切れで、全国の主婦が大パニック……」

 一体、いつの新聞を読んでいるんだ。

「ごめんください」

 必要があるとは思えないが、その場の雰囲気に飲まれて、挨拶をしてしまった。

 彼女は顔を上げると、

「お客さんかな。いらっしゃい。さあ、そこへどうぞ」

 といって、僕を目の前の椅子に案内した。

 僕が会釈をして、椅子に座ると、

「それでご相談というのは?」

 形式的な流れを変えようとしない。それならこっちも、調子を合わせてやる。


「その前にあの~相談料の件ですが、おいくらほどでしょうか」

 もちろんビタ一文払うつもりはない。

「初回無料なので、なんなりとお話ください」

「実は最近どうも調子がおかしくて、目が覚めると古代ローマ料理が部屋に並んでいたり、純金でできた世界に行ったりして。おかしいですよね」

「それは大変ですな」

「原因はわかっているんです」

「原因とは?」

「以前この場所に立っていたファミレスのレジ係がいけないんです。キズキヨーコっていう名前なんですけど、魔法使いみたいなことができて、僕を困らせるんです。どうしてその女は僕につきまとうんでしょうか」

「そのキズキさんにも事情がおありで、仕方なくそうしているのだと思います」

「その事情というのは?」

「わかりやすくご説明しましょう」

 

 よろず相談所は、突然、クリーム色の近未来的な空間に変わった。壁の前には航空機のパィロット席のような装置がずらっと並んでいて、天井まで十メートルの高さがある。

 キズキ・ヨーコは、最初に会ったファミレスの制服姿で、僕の前に立っていた。

「どこだ、ここは?」僕は聞いた。誰だって聞くはずだ。

「宇宙船の中だよ」

「君が作ったのか」

「そう。今は試作段階」

「試作ということは、本格的な生産はこれからか?」

 この場のために一時的に作ったものではないようだ。

「そう。この百倍くらい大きいものが必要になってくる」

「どうしてこんなものを作る必要があるんだ?」

「宇宙人を運ぶためだよ」

「宇宙人なんかいないって言ったよな?」

「これから増える予定」

「人間が死んで宇宙人に生まれ変わるのか?」

「違うよ。高レベルの生命をこの宇宙に参加させるんだよ」

「君のような感じか?」

「私より随分レベルは低いけど、人間の百倍くらいの処理能力がある」

「何のために?」

「この宇宙を守るため」

「何から守るんだ?」

「あなたたち人間から」

「どういうことだ?」


「まだわかんないかな。今、環境破壊で毎日生物が絶滅していて、後百年もすると、人間もいなくなるのに、よくそんなに落ち着いていられるね」

 一説によると、一年間に四万種が姿を消しているという。それも加速度をつけて増えている。そんな状況で、人間だけが、いつまでも大丈夫なわけがない。第一、環境破壊の原因は人間なんだから、人間だけが滅びればいいのに、非力な生物から消えている。でも、クマムシやゴキブリより早く滅びるだろう。


 彼女にしてはしごくまともな理由だったけど、僕の日常とは直接関係ないことだし、後百年も生きていないから、真剣に考えるつもりはない。関心を持ってどうにかなる問題じゃない。

 それに過去に何度も生物の大半が死滅している。

「これまでに何回も種の大量絶滅が起きていて、その都度、また新しい種が誕生してるから、地球や宇宙を守るという表現はおかしくないか。今の生物を守るのならわかるけど」

 と、僕は突っ込んだ。

「あれは後付の事実。生物が大量に絶滅したら、宇宙の参加者が激減して、今の宇宙が維持できなくなります」

 そうだった。オンラインゲームだって参加者が激減したら、運用がストップする。

「具体的にはどうなる?」

「こんな感じ」

 宇宙船は真っ暗な空間に変わった。そこにあるものは、僕と彼女と、


 要求されたデバイスにアクセスできないため、ブートの選択でエラーが発生しました。 

 システム管理者もしくはコンピュータの製造元にお問い合わせください。 


 という文字だけだった。


「これは君のいたずらだろう?」

「文字はないけど、実際こんな感じ」

「百万個のCPUが必須の高性能シュミレーションゲームを、十個のCPUで動かすのは無理だからな」 といって僕は納得した。「宇宙人の正体が時間をかけて科学文明を発達させた存在ではなく、実は突然宇宙に参加した新参者という舞台裏はどうあれ、彼らが優れた科学で地球を救う。素晴らしいじゃないか」

 僕がそう言うと、舞台はよろず相談所に戻った。


「素晴らしい? よくわかっていないみたいだね。もしかしてフレンドリーな宇宙人が、無報酬で環境を元通りにして、人間は彼らの科学で今以上の良い暮らしがでいるとでも思ってる?」

 彼女が僕に金やごちそうをふるまってくれたので、僕はそんなふうにとらえていた。

「違うのか?」

「地球人は、今持っている資産や文明を全部とりあげられ、宇宙人の監視下におかれ、二度と環境を破壊できないように、動物園の動物のように暮らす。

 はっきりいうと、家畜として働き、報酬として住処と餌を与えられる。

 もうすこし具体的にいうと、手枷という液晶ディスプレー付きのハイテクな腕輪を両腕にはめられて、そこに出る指示通り行動しないといけなくなる。違反すると手枷が締まり、手首の血流が悪くなり、腕が痛くてたまらなくなる」


「何だそりゃ」僕は怒った。「こっちから頼んだわけでもないのに、勝手にやってきて、人類を支配するのか。地球侵略じゃないか」

「地球侵略じゃなくて、地球を救うために人類を侵略するの」

「そんなのまっぴらごめんだ。もう部外者は、地球、いや宇宙に関わらないでくれ」

「環境破壊で生物が絶滅するよ」

「ああ、それでかまわないさ。どうせ百年以上先の話だろう? 僕はとっくに死んでるから知ったことじゃない」

「そうだけど、あなたの輪廻転生先がなくなるけどいいの?」

「生まれ変わらないとどうなる?」

「他の宇宙に引き取ってもらえれば問題ないけど、調整は難しい」

「会社の倒産みたいだな」

「そう。優秀な社員は転職が容易だけど、全員が再就職できるとは限らない」

「他の宇宙に行けないとどうなる?」

「こうなるの」


 突然、辺りは暗闇に包まれた。

 中途半端な闇ではない。

 完全に音も光もない。体の感覚もない。これではまるで感覚遮断実験だ。三日もすると精神に異常をきたすと言われている。


「暗いから戻してくれ」

 そう言っても、彼女の反応がない。いや、正確には僕の声が出ていない。


 ………。

 …………。

 ……………。


 どれだけ時間が経ったのかわからない。もう限界だ。

「おーい、キズキヨーコ。もうわかったから元に戻してくれ」

 僕はそう叫んだつもりだが、声が出ない。

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