しあわせのねこ6

 梅雨が明け、本格的に暑くなってきた。食堂の横にある林からジージーっとセミの鳴き声が聞こえる。

 結衣は「スイレン」という名前のログハウス風の大学食堂にいた。

 普段利用している教室棟に近いラウンジは大学施設の中心部にあり、こちらの食堂は中心部からは少し離れた場所に建っている。

 建物は六角の側面に円錐形の屋根を持つ特徴的な木造建築で、六面のうち厨房がある二面を除いたすべての面に大きな窓が付いた開放的な作りとなっている。室内には冷房はついていないが、開け放たれた四面の窓から自然の風が入ってくる。周りが林に囲まれているため適度に涼しい空間を維持できている。

 教室棟に近いラウンジは冷房が利いているのだが、結衣には寒いぐらいの温度設定のため、この時期はログハウス風の大学食堂「スイレン」を利用するのだ。

 「スイレン」はおしゃれな外観と女性が好みそうなメニューが豊富なので、女性の学生の利用率が高い。

 結衣は「梅とかつお節のさっぱりサラダうどん」を、優は「バジルとアボガドの冷製パスタ」を食べている。

「で、どうなのソガジュンは?」

 優はすっかりソガジュンというあだ名で定着してしまったらしい。

「んー、分かんない。でも最近は、夜何回かラインするようになったの」

「へぇ。すごいじゃん」

「ディ子さんの写真送ったり、ゼミの話したりして。蘇我君、最後はちゃんとおやすみって送ってくるんだよ」

「ほうー。そりゃあ、気があるねー。デートでも誘えばいいのにね」

「それがね、実は誘われたの」

「えーマジで? よかったじゃん。ん……なに、のろけ?」

 優はいたずらっぽく八重歯を見せて笑った。それを見て結衣も自然と笑顔がこぼれる。

「なんか、最近結衣変わったねぇ。積極的になったっていうか、社交的になったっていうか、うーんなんだろう」

「そう? そんなことないよー」

「そんなことあるよ。ほら、服だってオシャレなの着てるし。あ、分かった。女を磨いてるって感じだよ」

 そんなことないよ、と言いつつ結衣自身、積極的になったと実感している。意中の人に好かれるために身だしなみに気を使ったと言えばそうなるし、男性と話すことに慣れようとホームセンターの店員と会話の練習をしたと言えばそうなる。それが女を磨いていると言われればそうなのかもしれない。

 この1ヶ月半で、ファッションセンスを変え、男性と話すことに慣れ始めて、ついにデートにも誘われたのだから、結衣にとっては大きな進歩だ。もちろんディ子に出会ったことも大きい。



 「ただいまぁ」と、家の扉を開けると、ディ子が「にゃあ」と鳴きトコトコと結衣の足元まで歩み寄ってきて、足にスリスリと顔を摺り寄せてくる。

「ディ子さん、いい子さんだね」

 すっかり結衣に懐くようになり、家に帰ると「ご飯が欲しい」とアピールしてくるのだ。

 飼い始めて3週間ぐらいまでは、結衣が大学から帰ってくると必ずと言っていいほど、台所のダストボックスがひっくり返しになっていて、生ごみを漁って食べていたのだ。

 しかしある日、ダストボックスをベランダに置くようにしたところ、漁るものがなくなったようで、結衣が家に帰ってくるまで待っているようになった。

 お腹を空かせて待っているのは、少し可哀相な気もするが、生ごみを食べてお腹を壊してしまうよりは良いと思う――実は何度かディ子が生ごみを食べた後に吐いているのを見たことがある。

 小皿にキャットフードを盛ると、美味しそうに食べる。

「ディ子さん、私明日デートなんだ。応援してね」結衣はご飯を食べている横顔を見ながらつぶやいた。



 翌日、結衣は蘇我とデートをした。予め買っておいた白地に花柄のワンピースは、裾に行くほど花柄が濃くなるグラデーションで、明るさと上品さを持ち合わせている。

 蘇我は待ち合わせで結衣に会った時に「服、似合ってるね」と言ってくれた。

 すっきりと晴れた夏空で、「暑いから涼しいところが良いね」と蘇我は水族館を提案した。

 水族館に着くと、蘇我は2人分のチケットを買った。結衣は「私、出しますよ」と言ったが、「いいって」と、ひとり入口に向かっていった。

 館内ではサメの泳ぎを見た蘇我が、手をヒレに見立て、怒ったような顔をしてサメのモノマネをしたので、それを見た結衣は思わず笑ってしまった。

 屋外のペンギンゾーンでは、暑さのせいか水槽から悪臭が漂っていて「ん? 金魚の水槽臭いな」と他の客の前で言った蘇我に、結衣はまた笑ってしまった。

 イルカのショーでは最前列の席に座って、二人して思いっきり水しぶきを浴びて大笑いした。

 熱帯魚が展示されている小さな水槽のゾーンで、結衣は蘇我の横顔を見てドキドキしてしまった。「なに?」と蘇我に聞かれたが「なんでもないです」と言った。ちょうど見ていた熱帯魚の「レッドグラミー」のように顔が赤くなっていたと思うが、暗くて表情が分からなかったと思う。

 ちゃんと会話できるかどうか不安だったが、蘇我がリードしてくれたおかげで言葉に詰まることなく話せたと思う。

 午後には蘇我が猫を見たいというので、ネコカフェを提案した。ネコカフェに向かう途中、「西村さんの家の猫も見たいな。今度見せてよ」と笑いながら言われたが、どう答えていいのか分からず、困惑してしまった。

 ネコカフェでは蘇我は無邪気に戯れていた。彼自身が猫になったのではないかと思うぐらい猫とじゃれあっていた。本当に猫が好きなのだと感じた。

 ネコカフェを出た直後、パラパラと降りだした雨は、一気に激しさを増し、すぐに大粒の雨となった。結衣と蘇我は走って店の軒先に雨宿りをしたが、お互い雨で身体中濡れてしまった。

 走った際に蘇我は結衣が濡れないようにと、素早くシャツを脱ぎ結衣の頭に当てながら走った。Tシャツ一枚になった蘇我は、結衣よりも激しく濡れてしまった。

 雨が止むまでどこかの店に入って待っていても良かったのだけれど、お互い身体中濡れているのに、クーラーの効いた店内に入っては風邪を引いてしまう、ということで、結衣はここからだと自分の家が近いので、家に来ないかと提案したのだった。


「んと、んと。……このままだと風邪ひいちゃうから。私のうち、ここから近いから」

「え? いや、大丈夫だよこのぐらい。そのうち乾くし」

「ううん、私より濡れてる。ごめん、ね。上着貸してくれたからだよね」

「いいって。それにそんな、急に家に行ったら悪いよ。だから平――ぶぁっくしょんっ! ぶぁっくしょんっ!」

 蘇我は2回連続でくしゃみをして、ぶるぶるっと身体を震わせた。

「ほら、……風邪ひいちゃう、よ」

「……わかった。じゃあお言葉に甘えて」

 蘇我はしゅんとなり結衣に従った。

 途中、コンビニでビニール傘を買い、家に向かった。

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