しあわせのねこ2

 優とラウンジで話をしてから2日後。

 とうとう梅雨入りしてしまい今日もしとしとと雨が降っている。16時過ぎともなると気温が一気に下がり、傘から垂れる雨の滴が手に当たり冷たく感じる。

 結衣は家に帰る途中だった。最寄り駅から10分ほど歩いて住宅街まで来ると、幹線道路からの車の走行音が聞こえなくなり、雨の音だけが静かに聴こえてくる。

 急ぎ足で家に向かっていると、「にゃぁーにゃぁー」と猫の鳴き声が聞こえてきた。足を止めて周りを見ると、月極駐車場の車の下に子猫が震えるように丸くなってこちらを見ていた。

「にゃぁー……にゃぁー……」と、か弱い鳴き声を発している。

 白と茶色のまだら模様をした子猫で、首輪はしておらず、毛並みも整っていない。捨て猫だろうか。

 可愛そうだけどなにもしてあげられない、そう思い、結衣は再び歩き始めた。

 ところが数歩、歩いたところでまたすぐに足を止めた。背中に子猫の視線を感じるのだ。しとしとと降る雨の中、子猫はまだ鳴き続けている。

「にゃぁー……にゃぁー……」

 寂しそうに鳴く子猫。

「にゃあーにゃあー」

 いったい何時からここにいるのだろうか。今日は朝からずっと雨が降り続いていた。

「にゃあーにゃあー……」

 しとしとと雨の音が静かに聴こえる。

 結衣は回れ右をして子猫の元へ歩いた。月極駐車場内に入り、子猫のいる車の前でしゃがみ込むと、子猫はくんくんと鼻を嗅がせてきた。

「にゃぁー」

 子猫は結衣を見ながら何かを懇願するように鳴いた。

 子猫は立とうとしているが身体が震えているようでうまく立つことが出来ない。結衣を見つめながら再び「にゃあ」と鳴いた。

 一日中ここにいてお腹を空かせているのかもしれない、それとも一日中雨に当たったせいで風邪を引いてしまったのかもしれない。もしかしたら怪我をしているかもしれない。

 どうにかしなくちゃ。そう思い結衣はとりあえず家に子猫を持ち帰ることにした。


 猫の抱え方を知らなかった結衣は、うまく子猫を抱くことが出来なかった。傘を差しながら片手で抱きかかえるという高度なテクニックは当然結衣にはなく、雨に濡れながらも両手で子猫を抱えた。

 両手で抱えたら、今度は傘を差すことが出来なくなり、仕方なく傘を置いてそのまま小走りで家に帰ったのだった。

「ひゃあ。びしょ濡れだぁ、タオルタオル」

 子猫はぶるぶるっと身体を震わせ水気を払った。結衣は脱衣所からバスタオルを二枚持ってきて、一つは子猫を包むようにして、もう一つは自分の頭の上に置いた。

 濡れた子猫の身体を拭いてあげると、気持ち良さそうに目を細めながら喉をグルグルと鳴らし始めた。身体を拭きながら確認したが、特に外見上怪我をしている箇所は見当たらなかった。

 冷蔵庫から牛乳を取り出し、適当な小皿に注いで子猫の前に置いた。子猫はくんくんとおそるおそる小皿に鼻を近づけ、味見をするように一度舐めると、やがてぺろぺろと飲み始めた。

「くしゅんっ!」

 全身濡れた身体が冷え始めてきた。結衣はシャワーを浴びることにした。


 シャワーから出ると、子猫はベッドの上で毛布にくるまりながら寝ていた。丸くなっている背中のあたりをそっと撫でると口元が笑っているような形になり、その愛らしい寝顔に結衣は思わず微笑んでしまう。熟睡しているようだ。雨の中ずっと鳴いていて疲れたのだろう。

 子猫の模様は白が8割、茶が2割ぐらいの色合いだ。捨て猫だったのか毛並みはボサボサとしている。

 結衣は子猫を起こさないようにリビングへ移動し、昨日買った7月号のファッション誌を読み始めることにした。モデルが着ている服はどれもオシャレで可愛いものばかりだ。自分も着てみたいと思うのだが、きっと自分が着ても似合わないだろうな、と思った。

 しばらくして夕食の準備に取り掛かっていると、子猫がトコトコと足元まで歩いてきて、結衣を見上げながら「にゃあにゃあ」と鳴き出した。

「起きたの。どうしたの? おなか空いたの?」

 結衣は子猫に向かって話しかける。子猫は「にゃあにゃあ」と鳴きながら結衣の足に顔をすりすりとこすり付ける。

「ご飯ほしいのかな? どうしよう、何あげれば良いのかしら。魚? シーチキンの缶詰でも良いのかな?」

 筑前煮用に切っていた鶏モモ肉をまな板へ置き、インターネットで調べようと寝室に向かうと、子猫も「にゃあにゃあ」と鳴きながら結衣のあとをトコトコとついてきた。

 寝室に入った瞬間、異臭がした。ツンと鼻につくような今まで嗅いだことのない臭いだ。

「え、ヤダ。ちょっと、もしかして」イヤな予感がした。

 結衣は鼻を嗅がせながら臭いのもとへと歩み寄る。どうやらベッドの上の毛布から臭っているようだ。毛布をよく見ると、白とピンクのチェック柄の一部分が湿っている。

「ヤダ、おしっこしちゃったの!」

 足元にすり寄っている子猫に向かって訊いた。子猫は「うん、おしっこしちゃった」とでも報告するように「にゃーん!」と鳴いた。

「んもう。どうしてベッドの上でしちゃったのよー」

「にゃーぁん……」

今度は「だって漏れちゃったんだもの」とでも言っているかのようだ。

「仕方ないなぁ」

 毛布を洗濯機に詰め込み、「運転スタート」のボタンを押した。洗濯機が音を立てて回り出す。

 洗面所で手を洗っている時に、まるで子供の世話をしているようだと思った。

 この子どうしよう。このままだとまたおしっこしてしまうだろうし、大きい方だってやりかねない。

 今までに動物を飼ったことのない結衣にとって下の処理は不安材料でしかなかった。

 元いた場所に戻してしまおうか。一瞬、そんな考えが頭を過ぎった。

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