しあわせのねこ
雹月あさみ
しあわせのねこ1
「いいなぁ。私も彼氏ほしいー」
「作らないの?
「やめてよ、モテないよー。私、話すのニガテだし」
結衣は大学のラウンジでホットティーを飲みながら
空はいまにも雨が降りそうなぐらい曇っていて、行き交う大学生はどこか足早に歩いている。梅雨入りも近そうだ。
優とは高校の時からの同級生で、上京組で唯一同じ大学に進学した友達だ。大学では学部が異なるけれど、こうしてたまにお茶をしながら世間話をしている。高校で同じクラスだった時よりも、今の方が親しくなっている気がする。
優は高校ではクラスの中心的存在で、いつも教室の雰囲気を明るくしていた。その性格は大学に行っても変わらないようで、優の周りにはたくさん友達がいる。
優はとりわけ教授とバイト先と彼氏の話をする。
教授の話では、「パンキョーの深沢って、奥さんに逃げられたらしいよ」とか「鹿島君から聞いたんだけど、心理学研究法の野村、歌舞伎町のフーゾクに入って行くの見たらしいよ」というような類の話をする。
バイト先の話では、先輩――優よりも10歳年上の男――が優に色目を使ってくることの話がメインだ。曰くファミレスで働いている優の制服姿を、毎日上から下まで舐め回すように見てくるというのだ。
その行為にいい加減堪えられなくなった優は「頭きちゃって、わざと後ろからぶつかって客用の水こぼしてやった」と言う。
「そういうことするから余計に興味もたれるんじゃないの?」と言うと、「だいじょーぶ、だいじょーぶ。つけあがったら、お尻触られたって言ってやめさせてもらうもん」と八重歯を見せながらいたずらにせせら笑う。
優は強い、結衣はそう思う。
その一方で彼氏の話では、「私がバニラ嫌いなの知っててくれて、アイス選ぶ時にバニラアイスを選択肢から外してたのが愛を感じるの」とか「夜遅くても朝早くても電話するといつもちゃんと出てくれるの」とか、のろけ話を幸せそうに話してくる。
優は乙女だ、結衣はそうも思う。
「いいなぁ。私も彼氏ほしいー」
「作らないの? 結衣モテると思うんだけど?」
優ののろけ話を聞いている流れで結衣がふと口にしたのだった。
「やめてよ、モテないよー。私、話すのニガテだし」
「もったいないなぁ。結衣かわいいし絶対モテると思うけどな」
「やだ。かわいくないよー。だって大学入って彼氏できたことないもの」
「それは結衣がアピールしないからよ。ゼミとかクラスに良い人いないの?」
「うーん。いなくはないけど……」結衣はホットティーのカップの縁を見つめながら言った。
「なんだ、いるじゃん。好きな人。どうなの? その人は、どんな人?」
「んー。かっこ、いい……人かな。ゼミが一緒の人で、って言うかゼミでしか会わないんだけどね。勉強してる姿が、その、なんていうか――」
「好きなのね」優が見透かしたように言う。
結衣は恥ずかしそうにこくりと頷いた。
「ふーん。なるほどねー。名前は? 彼の名前はなんていうの?」
「蘇我、くん。蘇我純くんっていうの」
「へぇー蘇我純。なんかそのままあだ名になりそうな名前だね。ソガジュン。うん、あり得る。悪くない、ソガジュン」
「うん、彼の友達は、そう呼んでるみたい」
「呼びやすいよね、ソガジュン。結衣もそう呼んだらいいんじゃない? ソガジュン」
どうやら優はソガジュンという音の響きが気に入ったようだ。
「ソガジュンと話はするの?」
「んー。少し話すぐらいかなぁ。グループワークで組になった時とか」
「えー。それって勉強の話? もっとほかのこと話しなよー。バイトのことでも教授の噂でもいいしさー」
それは優の話である、と結衣は思った。
「結衣はかわいいんだからもっと自信を持った方が良いよ」と優は言う。
優とは長い付き合いなので気兼ねなく話すことができるのだが、人見知りの激しい結衣に、週一回のゼミでしか会わない、しかも男性と話すとなると頭の中が真っ白になってしまい、うまく話すことが出来ないのだ。大学では自分から話すようなことはなく、もっぱら本を読んでいる、もしくは読んでいるフリをして、周りに「話さないでオーラ」を出してしまっている。高校の時となんら変わらない。
結衣の悩みはもう一つある。それは、ファッションセンスが全くないことだ。優と並ぶとより顕著に現れる。今日の優のファッションは白・赤・青のマルチボーダーのTシャツに紺のフレアショートパンツ、そしてパール調のカチュームをしている。
それに比べ結衣は、自分でもよく分からないキャラクター――顔はアヒルで身体はダックスフント――が捺染されているプリント柄の灰色Tシャツにジーンズ姿だ。もう少しおしゃれに気を遣いたいと思うが、どうしたら良いのかよく分からない。
「結衣はまず人と話せるようにならないとね」
優の言う通り大学生にもなって人と話せないなんて情けないと結衣は思っている。
「合コンでもセッティングしようか? 最初は緊張するけど慣れてくれば話せるようになると思うよ?」
「だめだめ。そんなのアガっちゃって、余計話すのが億劫になっちゃう」
「そっかぁー」と残念そうに優がアイスティーをストローで啜る。
優と話すときにはスラスラと話せるのが不思議なくらい普段は話せなくなるのだ。
優はアイスティーを飲みながら何か閃いたようで口に含んだまま「んっ!」と結衣を見た。
「分かった、じゃあさ。犬とか猫でも飼って話す練習してみたら? 毎日話してたら慣れると思うよ。私も毎日トイプーと話すし」
「ペットかぁ。高くて買えないよー。それにうち、ペット禁止のマンションだし。飼ってみたいけどね。チャコちゃんは元気?」
「うん、元気だよー。もう老犬でグータラ寝てることが多いけどねー」
ガラス張りの窓の外には講義棟から講義が終わった学生たちが出てきた。それを見ていた優がアイスティーを飲みきり、「あ、ごめん、そろそろ講義始まるから、じゃね」と言った。
「うん、いろいろありがとう、またね」
優はアイスティーのコップを返却口に持って行き、結衣に手を振ってラウンジから出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます