しあわせのねこ3

「ちょっと待っててね」

 結衣は近くのコンビニに向かった。外は依然と雨が降っている。

 売っていると良いな、そう思いながらコンビニに入った。

 コンビニ内を一回りして、洗剤や電池などが並んでいる日用品コーナーでそれを見つけた。

 今まで意識したこともなかったので気がつかなかったけれど、コンビニにも猫用品が売っているのだ。

 「ねこのデオシート」という名の猫用トイレの消臭シートを手に取る。使い方が分からなかったので、パッケージの裏面を確認すると「この商品は猫トイレの専用トレイにてご使用ください。また使用の際には消臭サンドと合わせてご使用ください。本品のみでは使用できません」と記載されていた。

 専用トレイと消臭サンドというものが必要らしいが、それらしい商品は置いてなかった。

 その隣にはキャットフードとドックフードが並んでいる。

 キャットフードは缶詰タイプと袋のパッケージタイプがあり、袋のパッケージタイプのものは商品名に「おやつ」と書かれていた。

 おやつではなくご飯の方が良いと思ったので缶詰タイプの方を選んだ。「まぐろとささみのスープ仕立て」だそうだ。おいしそうな名前だ。コンビニでは缶詰タイプのキャットフードを2缶買った。

 専用トレイと消臭サンドを求め、徒歩15分ほどかかる駅の反対側にあるホームセンターに行くことにした。前に行ったとき、ペット用品が売っているのを見たことがあった。

 15分かけて歩きホームセンターに入り、案内板を見ると1階奥にペット用品コーナーがあるようだった。

 トイレ用品の場所を探していると、男の店員が声をかけてきた。

「何か、お探しですか?」

「あ、えっと……あの。猫の……」

 とっさに話しかけられたので、何を話していいのか分からなくなってしまった。

「猫ちゃんでしたら、こちら側ですよ。ご飯はこの列で、向こう側がおもちゃとゲージ、ハウス系ですね。それからこちら側はトイレやケア用品です」

「あ、トイ、レの……トイレの……」

 消臭サンドという言葉が出てこなくてトイレを連呼してしまった。緊張してうまく話せない。

「あぁ、猫砂ですか?」

 一瞬、ネコスナが何を表すものか分からなかったが、程なくしてネコスナ=猫砂と変換され、さらには猫砂=消臭サンドに行きついた。

 結衣はこくんと頷く。

 男の店員は、一つ隣の列に移動した。

「猫砂はこちらですよ。どのようなものをお探しですか?」

「子、猫用……ありま……」

「ありますか?」と聞きたかったが、語尾が続かなかった。店員は意味を汲んで話を続けた。

「特に子猫ちゃん用というのはありませんが、子猫ちゃんは猫砂を食べてしまうことがあるので、そうですねー……こちらですと、少しお値段は高いのですが、おからを原材料としているので安心ですよ。初めて飼われたのですか?」

「その……捨て猫を、拾って」

「なるほど、そうでしたか。猫は排泄をする際に、砂を掻く習性があるので、猫砂があると、トイレの場所を覚えてくれるので、お勧めですよ。子猫ちゃんでしたら慣れるまでは洗面器のような桶に、こちらの猫砂を入れてあげると、トイレの場所をはやく覚えてくれますよ。慣れたら、と言いますか成長するにつれてあちらの猫トイレがあると良いですね。あちらの猫トイレだと、デオシートも置けるので尿の臭いが気になる方はあちらがおすすめですよ」

「……ありがとうござます」

 頭が真っ白になりかけながらも、必死に店員の話を聞いた。

 店員はその後も子猫におすすめのキャットフードやおもちゃを結衣に薦めきたが、こんなに初対面の人と話したのは久しぶりで、すでに頭が真っ白になり、猫砂以降の店員の話は全く覚えていない。


「ありがとうございました。また分からないことがありましたらお気軽にお尋ねくださいね」

 結局、結衣はおから由来の猫砂を1袋と、店員の勧めを断りきれず、ドライタイプのキャットフード1袋、猫のおもちゃ数種類――そのうちの一つは指さし棒のように柄の部分が伸び、先端には糸がつけられていて、さらに糸の先にはキラキラとラメ入りの羽をもった蝶のおもちゃがついている「ぶんぶんしゃかしゃか」というヘンな商品名のおもちゃだ――、さらにはお水と餌が置けるお皿セットを買ってホームセンターを後にした。

 傘を差し、どっさりと重い荷物を持ちながら、もう少し上手に話したい、もう少し自分の意見を言えるようになりたい、そう思いながら家に帰った。


「わぁ! なにこれ?」

 家に帰った結衣は思わず声を出して驚いた。

 部屋が散らかっているのだ。ダイニングテーブルの上に置いていた雑誌類は床に散乱していて、台所では夕食の準備をしていた鶏モモ肉やタケノコ、ニンジンが床に落ちている。

 寝室を確認しようとすると、子猫がばたばたばたと寝室からリビングへ走ってきた。

 犯人はこの子だ。

「やだぁ。ちょっとなにしてるのー」

 結衣は子猫を捕まえようとするが、子猫はすばしっこく逃げ回る。

「ちょっと、ちょっと、待ってってー」

 子猫は口に何かくわえているようで、よく見るとそれが鶏モモ肉だとわかる。

「あ。ちょっと、それ私の鶏肉よ、待ってってば、もう」

 すばしっこい子猫はベッドの下に潜り込み、結衣が顔をのぞかせると、すかさず反対側からベッドの上に乗り、結衣の横をジャンプし再びリビングへ走る。

「もーう。待ってってばー」

 これは「お魚くわえた野良猫」ならぬ「鶏モモくわえた捨て猫」だと思ったら急におかしくなった。


 格闘の結果――、結衣の負け。子猫は鶏肉をぺろりと平らげた。結衣の夕食は肉なしの筑前煮となったのだった。

 夕食を食べ終わり寝室に行くと、子猫は散々走り回りお腹も満たされたせいか、ベッドの上でスヤスヤと眠っていた。結衣はベッドの端に座り子猫を見た。

 なんだか今日はひどくくたびれた。雨の中鳴いている子猫を抱いて帰ってきて、毛布の上のおしっこの始末をして、ペット用品を買いに行き、店員と慣れない会話をして、往復30分の道のり、帰ってきたら鶏肉の争奪戦。

 子猫はくるんと丸くなり、今はスヤスヤと気持ち良さそうに寝ている。いろいろ大変だったけど、無防備な寝顔姿を見ると癒される。

にっこりと笑っているような寝顔。子猫は時折、手で顔をこするような仕草をしている。夢でも見ているのだろうか。


――犬とか猫でも飼って話す練習してみたら? 毎日話してたら慣れると思うよ――

 先日の優の言葉を思い出した。話せるようになるのだろうか。今日だってホームセンターの店員と話すだけで頭が混乱してしまったのに。彼と、蘇我純くんと話がしたい。話す練習、ちゃんとしないと。

 時刻はまだ22時過ぎだったが疲れたので寝ることにした。買ってきたおから由来の猫砂を洗面器に入れ、部屋の隅に置いておいた。

 それから洗濯機の中の毛布を干し、風呂に入って床に就いた。子猫がベッド中央にいたので起こさないように、ベッドの端にちょこんと子猫のように丸くなって寝た。



 翌日、「お腹が空いた」と、にゃあにゃあ鳴く子猫に起こされた。

「分かったわよ。今あげるからちょっと待ってて」

 なんだか熱っぽい。ベッドから起き上がるとふらふらした感覚になる。

 昨日コンビニで買った美味しそうな名前の缶詰を開けて皿に盛り、床に置くと、ぱくぱくとおいしそうに食べてくれる。

 この子を拾ってからまだ1日しか経っていないが、人間に慣れるのが早い。もしかしたら人間に飼われていたのかもしれない。人間の勝手で捨てられた猫なのかもしれない。ご飯を食べている姿を見ながらそう思った。

 結衣は自分のおでこに手を当てた。やはり少し熱があるようだ。昨日、雨に打たれながら帰ったせいなのか、それともベッドの端の方で寝てしまったからなのか。

 今日の講義は何だっただろうか。窓の外を見ると、今日も雨が降り続いている。熱っぽさと身体のだるさから今日は自主休講にすることにした。

 結衣は再びベッドに戻る。今度はしっかりベッド中央に寝て、毛布をかぶる。

「にゃあーん」

 子猫はぴょんとベッドの上に乗り、結衣の顔の前で首を傾げた風に見ながら心細そうに鳴く。まるで「大丈夫?」と心配しているかのようだ。

「ちょっと、だるいみたい。ごめんね」

「にゃあーん」

「心配してくれてるの? ありがと」

「にゃあん」ともう一度鳴くと、毛布に入ろうとしている。結衣は毛布を広げ、子猫を中に入れた。きゅっと子猫を優しく抱いた。

 飼うとなるといろいろ大変だと思うが、それでも飼いたいと思った。

 大学1年生のころから住んでいるこのマンションは、もう3年目となる。ついこの前の4月に、更新料を払ったばかりなので、今更引っ越すのも気が引ける。

 だからこのマンションがペット禁止であることはこの際考えないで、このままここで飼おうかなと、あれこれ考えていると意識が遠のく感じがしてきた。実は相当高熱なのかもしれない。

 結衣はそのままふわふわと眠りについた。

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