しあわせのねこ4

 それから2週間後、結衣はラウンジで優と話していた。

「猫さん、飼うことにしたんだ。覚えてる? 前にペット飼ったら話すの慣れるかもって、優言ってたの」

「おー覚えてる覚えてる。なに? 猫飼うの?」

「うん、捨て猫さん。雨の日に車の下で雨宿りしてるの見つけて。ペット禁止のマンションなんだけど、管理人さんには内緒でね」

「へぇそうなんだ。写真みたーい」

「写真はね……よいしょ、と」

 結衣はスマートフォンで撮った写真を優に見せた。「ぶんぶんしゃかしゃか」で遊んでいる時に撮った写真で、子猫は目を大きく見開いて蝶に狙いを定めている様子が写っている。

「おーかわいいじゃん、かわいいじゃん。名前は?」

「ディ子、って名前。女の子だからレディのディでディ子さんだよ」

「ディ子ちゃんか。まんまるの目がかわいいねぇ。どうなの? 懐いてる?」

「うん、懐いてくれてると思う。最初は大変だったよー、ベッドの上でおしっこしちゃったり、部屋中駆けまわったりで。しかもディ子さん拾った日に私、雨に濡れて風邪引いちゃったみたいで、3、4日寝てたのよ」

「え、そうだったんだ。大丈夫なの?」優が身を乗り出して訊いてきた。

「うん、まだ完全には治ってないみたいだけど、大丈夫」

「ひえー長引いてるねぇ。あまり無理しないんだよー」

「うん。でも風邪よりもディ子さんの方が大変だったよ。私が風邪ひいて寝込んでるとね、台所からガサゴソ音がするのよ」

「やだ、なにそれ」

「怖いから起きてそっと覗いてみると、ディ子さんゴミ箱ひっくり返して生ゴミ食べてたのよ」

 優はぎゃはははと大笑いした。

「そりゃ捨て猫らしいねー。私の友達で猫飼ってる人がいるんだけど、その飼い猫はどこからかゴキブリ捕まえて飼い主の前に持ってくるらしいよ」

「えー、やだ。気持ち悪い。どうしようディ子さんもやるのかな」

「猫からしたらご主人様へのプレゼント、って意味らしいよ。面白いよね」

 優はまたぎゃはははと笑う。優は明るい、と結衣は思う。

「あ、そだ、動物病院行った?」

「ううん、行ってないよ。どうして?」

「捨て猫なら一度ワクチン打ってもらった方が良いよ。病気持ってるかもだし」

「そうなんだ、分かった。今度行ってみる」

「うん、そうしなー。で、どう? ディ子ちゃんと話す練習はしてるの?」

「うん。してるよー。ディ子さんが鳴くと、どうした? とかお腹すいた? とか話してる。でも人間相手だとやっぱり全然違う。話せないよー。……あ、でもペット用品を買いに行くホームセンターの店員さんとは何度か話して慣れてきたかも」

「おーおーおー。結衣進歩したねぇ! そりゃ大進歩だよ」

 優はうんうんと頷きながら大袈裟に驚いて見せる。

「そんな、やめてよ。ちょっと慣れただけよ」

「いやいや、自分から少し慣れたって思えるだけでも進歩だよ。猫よりもホームセンターの店員と話すことの方が練習になるのかもね。男の店員? そのまま店員のこと好きになっちゃったりしちゃうんじゃないのー」

 優がにやにやと八重歯を見せて笑う。

「んもう、やめてよー」

「そうだね。結衣には好きな人がいるんだもんね。てかさ、今日、結衣おしゃれだよね? 服の趣味変わった?」

 今日の結衣のファッションはオレンジのパステルカラー調のカットソーに黒のプリーツロングパンツ、スエード調のサンダルにアクセサリーはチェーンネックレス。全身コーディネートだ。

 以前のよく分からないキャラクターTシャツと比べると、だいぶファッションに気を遣っていることが分かる。

「え? ほんと? 分かるかな」

「分かるよー。今日、会ってからすっごい気になってたもん。なに? なに? 勝負服?」

「勝負なんてそんなんじゃないよー。この前かわいくて衝動買いしちゃったの」

 衝動買いといっても、普段は入らないような店で、普段は着ないような服を選んだので、実は買うまでに2時間近く迷ったのだった。

 今日は1週間に一度、彼と同じ講義を受講する日なのだ。勝負服とまではいかないが、コンプレックスだった服のセンスを変えてみようと思い、週末に買い物に出かけたのだった。

 店に入ると、可愛い服がいくつも並べられており、それを見ている客も、応対している店員も、結衣とは異なる――明らかにファッションセンスが結衣より良い――服を着ていた。彼女たちが似合う服が果たして自分に似合うのだろうか。結衣はそう思うと、やっぱりこんなところでは買わない方が良いのではないかと考える。

 さらに上下で買うとなると、いったいどの組み合わせで着ると似合うのかよく分からなかった。組み合わせが分からないから、買っても似合わないかもしれない。それならば買わない方が良いのではないかと、結衣の頭の中では、買わないことに背中を押してくれる材料を探し始めていた。

 そんなこんなで2時間ほど迷いながらもようやく買うことを決断し、ちょうど話しかけてきた店員に、店先に飾られていたマネキンを指差し「この服一式でください」と言ったのだった。

「へぇー。勝負服じゃないんだー。てっきり今日は例のソガジュンがいる講義に出るのかと思った」

 優はにやにや見透かしたように笑う。

「う、うん……実はこれからそのゼミなんだ」

「へへへ。おぬし、なかなかやりおるのぉ」

 優はいたずらっぽく笑いながら時代劇に出てくるような悪代官のものまねをした。

「じゃあさ、せっかくだしソガジュンの隣の席にでも座ってみたら」

「そんな、急に無理だよー」

 ラウンジの外を歩く学生の数が少なくなった。講義が始まる時間である。

「案外向こうからアプローチされちゃうんじゃないのー。結衣かわいいから大丈夫だよ」

「んもう。そんなのないよー」

 優との会話を切り上げ、講義棟に向かった。

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