大塚英志『シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外』

大塚英志『シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外』を読む。「物語消費論」のアップデート版。陰謀論もフォークロアの手法で読み解けなくもないことには気づかなかった。この本の主題はインターネット時代における無償の労働。SNSに投稿することも小説投稿サイトに投稿することも無償の労働であると見なすのである。創造性の発露という形をとるので労働であることが見えにくくなっているとしている。


例えば僕の場合だと電子書籍をAmazonというプラットフォームを通して販売しているが、それもプラットフォーマーを潤す労働だとなるのである。労働は自身の労働力を売って対価を得る行為である。小説投稿サイトなどへの投稿も含めた創作行為は必ずしも対価が得られる訳ではないので同じものとして考えることについては一旦保留したい。


また、個人情報は人権と考え、スマートシティなどで構想される未来社会において個人情報(人権)が必ずしも保護されない、むしろ利便性と引き換えに個人情報を差し出すこととなると訴える内容となっている。そういった点で物語労働論となっている。


創作は承認欲求、自己実現が大きなモチベーションとなるから、労働とは分けて考えねばならないのではないか。例えば、承認欲求はアクセス解析によっても満たされる。必ずしも金銭と結びつくものではない。


たとえばAmazonにレビューするのも無償労働と言えるが、要するに作者にフィードバックしたくてやっている訳である。作者がレビューを読むかは分からないが、編集は間違いなく読んでいるだろう。


こういう立論をするなら労働とは何か、情報を発信することは何かと著者なりに定義してから行うべきだ。そこがすっ飛ばされてしまっている訳である。


大塚英志はもしかしたら、情報の発信は選ばれた層だけが行うべきと考えているのではなかろうか。


>こういった「自己表出させられる」環境の中で、しかし、もう一点重要なのは大抵の場合、人は自己表出すべきものを持たないということだ(ぼくも殆ど持たない)。持たないにも拘わらず、「自己表出せよ」と誘導される逆説としての「近代」がweb上にある。オンライン上の言語空間が少しもポストモダン的でない証しである。


ここに嘘がある。大塚は何冊も本を上梓しているし、一般の人もそこまでいかなくとも、語りはじめたら止まらない趣味の一つや二つあるだろう。そうでなくとも、生活における何気ない気づきを書くのも立派な自己表出である。


大塚は情報発信するなら何らかの対価を得るべきだと考えているのだろう。しかし、それは一部の才能ある人にしか認められない。となると、その他大勢の我々は言論を封殺されてしまうのである。つまり、インターネット以前の環境に逆戻りである。大塚にはその方が心地よいのだろう。他の著書でも見受けられるが、選民意識がにじみ出ている。

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