終章 感謝

 ふたりは長い間、見つめ合ったまま黙っていた。お互いにあの事件のことを思い出していたのだろう。

「可奈子……どうして?」

 長い沈黙の後、やっとそれだけ徹は言えた。

「トオルくん に言って置きたいことがあるの」

「…………」

「大人になったら会いに来ようと、ずっと思っていた」

 そういって強い瞳で徹を見つめた。

「……あれから可奈子はどうしていたんだ?」

 可奈子の視線に照れて、徹は話をそらしてしまった。


 あの事件の後、誘拐で受けた心の傷トラウマを心配して両親は、可奈子をアメリカに留学させた。カレッジ卒業まであっちで過ごしたらしい。

 だけど、本当は日本に帰りたかったの……肩をすぼめてそう可奈子が言う。

「だって日本には会いたい人がいるから……」

 黒く大きな瞳の視線は徹を捕えた。

「可奈子、トオルくん にずっと感謝して生きてきたんだよ!」

「えっ?」

 なんで可奈子が俺なんかに……。

「可奈子が今、こうして生きていられるのはトオルくんのお陰だから……」

「…………」

「あの時、命懸けで助けてくれたトオルくん に感謝している!」

 可奈子の瞳から大粒の涙がポロポロ零れた。


 徹は自分のことを父親殺しの咎人とがにんだと思って、ずっと自分を責めて生きてきた。

 あの事件のことを刑事に訊かれたとき、徹は父が自分でガソリンをかぶって火を付けたと咄嗟とっさに嘘をついた。

 これ以上、母を悲しませたくなかったからだ。

 廃屋の火事は、父の慎一が事件の発覚を怖れて自分で火を付け焼身自殺 をはかる、警察で結論にいたった。なぜか、可奈子も警察に同じことを答えたようだった……。

 そして、あの誘拐事件は闇に葬られた。


 徹くん に感謝している。

 可奈子のその言葉に、心臓に刺さった氷のとげが溶けていくようだった。

 まるで神にゆるされたように、その言葉は心に響いた。今まで苦しんで苦しんで……生きてきた徹にとって、その言葉は魂の救済だった。

 可奈子は俺に感謝してくれていたんだ! 父親殺しのこの俺に?

 ――気づけば、徹も泣いていた。

 どんなに苦しいときでも、絶対に泣かなかった徹が子供のように泣いていた……。


「トオルくん、苦しんで生きてきたのね?」

「…………」

「いろいろ調べたから知ってるのよ」

「う……うん。」

 泣いてる自分に気づいて徹は慌てて手の甲で涙をぬぐった、すると可奈子が、その手をそっと掴んだ。

「その傷は、あの時の傷なのね……トオルくん、ありがとう!」

 可奈子は火傷の傷跡に優しくキスをした。

「トオルくん に貰った四つ葉のクローバーに、わたし、トオルくん に会いたいってお願いしたの」

 恥ずかしそうに微笑んだ可奈子は、無邪気で可愛いかった。


 可奈子がこんなに自分を想っていてくれたことが、徹には不思議だった。

 だが、自分もまた可奈子をずっと想っていた。いつも、徹の心の中には可奈子が住んでいた。あの時、芽生えたふたりの絆は十年たった今も変わることなく、ふたりの心に固く結ばれていたのだ。

「あの時、トオルくん に助けて貰った命で、今度は可奈子がトオルくんを助けるから!」

「……可奈子」

「もうひとりで苦しまないで……」

 徹の掌を握っていた可奈子の手を、強く握り返した。


 涙で濡れた頬を早春の風が撫でていく、やがてそれは喜びの涙に変わる。

 初めて生きていることを感謝した、何があっても可奈子とはもう離れない! ふたりは見つめ合ったまま、時の立つのを忘れていた。


「俺も、ずっと可奈子に会いたかった!」


 あのとき、可奈子が無事に両親の元に帰れるようにと、四つ葉のクローバーに願った徹だったが、実はもうひとつ、いつかまた可奈子に会いたいという願いをかけていた。

 希有けうの運命で巡り合った少年と少女は、十年という長い時を経て、再び、お互いの姿を瞳で捕えた。

 もう、切れることのない“絆”でふたりは結ばれている。


 ――四つ葉のクローバーの願いが叶ったんだね。


  


                  ― 完 ―

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四つ葉のクローバー 泡沫恋歌 @utakatarennka

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