第九章 家族

 永い眠りから覚めるように、ゆっくりと徹は意識を取り戻した。

 気がつくと病院のベッドに寝かされていた、足と手の甲に火傷を負っていた。あの火の勢いで命が助かっただけでも奇跡だった。

 ベッドの側には母と妹がいた、あれほど会いたかった徹の家族だ。


 母の郁恵は徹の無事を喜び、家に置いて出たことを泣きながら何度も何度も謝っていた。家出をしていた母は、お店のお客さんだった会社の社長の紹介で、運送会社の社員寮で住み込みの賄いの仕事をしていた。

 ひと部屋もらって住まわせて貰っていたが、とても子供二人も連れていけなくて、幼い妹の亜矢だけ連れていったのである。

 時々、母は徹の様子を見に来ていたらしい、遠くから下校する徹を見て泣いていたとハンカチで目頭を拭いながらいう。原っぱで、ひとり四つ葉のクローバー探す徹の姿を見て知っていた。


 母ちゃんから完全に捨てられたわけじゃないんだ、徹の目から涙があふれた。

 もうちょっとしたら生活も落ち着くし、そしたら徹を迎えに行こうと思っていた、矢先のこの事件だった。

 母は夫慎一の暴力におびえていたので、亡くなって少し安堵しているように思えた。

「母ちゃん……あの女の子はどうなった?」

 恐る恐る徹は母に訊いた……。

 女の子はケガもなく無事に助けられたよと母が答えた。それを聞いて徹は安心して、ふたたび深い眠りへ落ちていった――。


 徹の手足の火傷も癒えて、やっと退院することになった。

 手の甲には醜い火傷の跡が残ったが、それよりも心にもっと深い傷跡を残した。実の父を不可抗力とはいえ焼死させてしまった罪悪感は重く、とても拭いきれない。

 あの時、必死で廃屋から逃げ出し意識を失ったが……すでに警察の手が回っていて、すぐにふたりは発見保護された。

 可奈子の誘拐に使った軽のミニバンに工務店の社名が入っていて、誘拐されたと思われる場所(可奈子の靴が片方だけ落ちていた)から、急発進する不審なミニバンを目撃した人が多くいた。元々白昼の拉致は人目につきやすいものだ。

 結局、工務店の社名から簡単に足がつき、父の慎一はすでに警察にマークされていたのだ。廃屋の周辺は機動隊が包囲し、いつ突入するか様子を覗っている状態だった。

 その矢先の出火に警察も顔面蒼白がんめんそうはくになったという。


 徹の入院費用とお見舞金を佐伯病院の院長が出してくれた。

 その額は見舞金にしてはあまりに多すぎる金額だった。娘の可奈子を命がけで助けてくれた、徹に対する感謝の気持ちもあるだろう。

 しかし、その金額には口止め料もたしかに含まれているように思えた。

 父の起こした事件は闇に葬られた、新聞に片隅に小さく……。

〔廃屋から不審火、焼け跡から住所不明の男性の遺体発見〕とだけ載った。

 たぶん、佐伯院長が誘拐事件を表沙汰にすることを怖れて、いろんなところに手を回して揉み消したのだろうか? 娘の可奈子が無事に戻ってきて、犯人が死んだ今となっては……この事件が世間にしれて、大事なひとり娘が人々から好奇の目で見られることに耐えられなかったのだろう。


 金持ちは守るものがいっぱいあって大変だなぁー、プライド、名誉、世間体……。

 それに比べて、貧乏人には何も守るものがないから、いつだって捨て身でいられる。金持ちがホントに怖いのは、俺ら貧乏人なのかもしれないと徹は思った。


 佐伯院長に貰ったお金で、徹たち親子はこの町を離れた。

 他所よそでアパートを借り家族三人で慎ましく暮らし始めた、あの酒乱の父のいない平和な生活だった。

 時々、可奈子のことを思い出しては、甘酸っぱい想いに胸がキュンとするが、幸せに暮らしていればいいなぁー、それだけを徹は願っていた。

 おそらく一生会うこともない、可奈子だと思っていたのに……。

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