終章 幸せでありたい ありますように

 神様に捧げる儀式で、ハーンベルナの娘のルミナが歌っている。とても澄んでいて素直な、綺麗な歌声だ。


 神の歌い手になるには十歳である必要があるわけだけれど、あの時ハーンベルナのおなかの中にいた子供が、もうこんなに大きくなったのかと、時の流れの速度を実感する。


 もうひとり、神の踊り手となった女の子が踊っているはずなのだけれど、私たちのいる場所からは、たくさんの人にさえぎられてしまって全く見えない。私たちは最後尾で、乳母車を傍らに置いて、ルミナの歌声に耳を傾けている。


 この儀式は、天秤の神様――つまりは《世界の心臓》たちに喜んでもらうために行うことだ。人間たちと触れ合いたいがために彼らは《分身》を生み出した。そんな寂しがりやな彼らは、この歌を、踊りを、あの寂しい空間から見ていて、それでも楽しんでいるだろうか。


「ねぇ、パパ」

「ん」


 私は隣に立つサウル――今ではすっかりパパと呼ぶことの方が多くなっている――に周りに聞こえないようになるべく小さな声で話しかける。


「聞いたことなかったけど、私が神の歌い手をしたとき、それ見てパパはどう思ってた?」

「ん? そうだな……。俺たちのやんちゃに『ダメだよ!』ってたてついてくるような気の強い女が、よくもまぁおしとやかなフリしてるなと思ってた」

「……やっぱり。さらりと結構ひどい感想言うよね」

「で、すげぇ綺麗だって見惚れてた」

「やっぱり……恥ずかしげもなくそういうことも言うよね」


 ひどいことを言ってから不意打ちで恥ずかしいことを言う、そのパターンは昔から変わらないのにいまだに慣れずに赤面してしまう。でも昔から変わらないこれは、とてもうれしくて大切なこと。

 変わらなくてうれしいこと、変わってうれしいこと、色々ある。


 生活の中で大きく変わって一番うれしかったのは、私たちの傍らにある乳母車。そこに乗っている彼女の存在だ。

 一歳になる私たちの娘。彼女にとっては神聖なはずの歌声も子守唄になってしまう様で、ぐっすりと眠ってしまっている。


 名前を付けたとき、サウルにはほんの少しだけびっくりされた。サウルは私がペリサデかチコカの名前をつけたがると思っていたのだそうだ。

 確かに私も少しだけ迷った。もしもこの子が二人のどちらかの生まれ変わりだったら。また二人の名前を呼べたら……。


 でもこの子が二人の生まれ変わりだと確認する術はないし、この子はこの子なのだ。私たちの娘として育てたいと思ったから、たくさんの幸せが訪れますように、という意味を込めた名前を付けた。

 サウルもそれに賛成してくれた。とても愛しい家族が増えたのは、どう表現したらいいのかわからないくらいに幸せなこと。


 この幸せを知らせたい人に――ずっと私を守ってくれたあの人に――知らせることができないのは少しだけ寂しいけれど、それでも、だからこそ私たちはずっと幸せに生きていきたい。


「あれ?」


 人の波を割って、フーナが出てくる。なぜか頬が涙で濡れているハーンベルナの二女のリタと一緒に。


「あ、ヒイカたちラブラブ夫婦がこんな神聖な時間に自分たちの世界をつくってる」


 私たちを見つけたフーナは、泣き止んだ後また泣かないように我慢しているらしい、先月五歳になったばかりのリタの頭をなでながら、私たちの方に近づいてくる。


「ちょっと。そんなのどこにつくってるっていうの?」


 別に手をつないでるわけでもないのに、変なことを言わないでほしい。


「ん? 空気が、てゆーか? ああ、あたしも早くそんな甘々な空気を醸し出せる旦那様が欲しいですー」


 そんなに私達からそんなものが醸し出されているのだろうか。単純に幸せそうというのならいいのだけれど、なんだかとても恥ずかしい言われ方だ。と、そんなことよりも――


「リタが涙まみれだけど、大丈夫なの」

「ああ、ちょっとね。すごい人の数だもん。後ろの人に押されてこけちゃったんだよね。手当てしなきゃいけないけど、ハーンベルナはルミナの晴れ舞台を見ててほしいじゃん? だからあたしが連れてきたんだ。あ、そーだ、この子赤ちゃん見るのすごい好きじゃない? 気晴らしになると思うし、ヒイカの自慢の可愛い可愛い赤ちゃん見せてあげてよ」

「いいけど。今眠ってるからなるべく静かにね」


 リタはしばらく口を結んで泣かないように我慢していたけれど「あかちゃん……」と口を開いた。少しだけ表情が晴れる。乳母車の中を覗き込む。見たのは初めてというわけじゃないのに「うわぁ」と感嘆の声を上げる。


「やっぱりヒイカちゃんところのあかちゃんって、ようせいさんみたいだよね」


 リタの感想に、なんだか心が懐かしさでくすぐられる。


「だよね。それじゃ、手当てするから一緒においで」


 フーナがリタを連れて、手を振りながら離れていく。リタはさっきの泣き顔が嘘みたいに笑顔だった。

 妖精さん、だなんてペリサデのようなことを言うリタ。もしかしたらリタはペリサデの生まれ変わりなのではないかと思える。


 でもやっぱり、それを確認することはできないし、リタはリタだから、私がリタにペリサデとして接することはできない。

 生まれ変わりを信じて、あの人に死なせてもらった彼らが生まれ変わっていても、それを実感することはできない。

 けれど、この世界は楽しさに、幸せに包まれている。だから――


「ママ」


 サウルに声をかけられる。


「もしかして、今、ペリサデのこと思い出して……」


 私がいつまでもリタに手を振っていたからだろうか。少し心配そうな声でサウルがそんなことを言う。


「うん。でも、寂しいんじゃないよ。この世界は幸せがいっぱいだから」


 サウルに、私は満面の笑顔を向ける。


「だから、みんなどこに生まれ変わっても、きっと幸せでいてくれるよね」


 一瞬驚いた後、優しい顔でサウルが頷いてくれる。

 ルミナの歌声に耳を傾ける。

 響く歌声は、幸せが広がっているみたい。

 今、私はとても幸せだ。


 そして、この世界のすべて、みんなが、ずっとずっと平和で幸せでありますように。



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破滅したこの世界で私たちは あおいしょう @aoisyou

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