4・ひしゃげたリュック

「だ、だれだ!」

 ぬうっと背の高いその男は、黒いニット帽を深々とかぶり手には軍手をはめている。背負ったリュックは海外旅行にも使えそうなサイズだが、ぺちゃんこに潰れているのが気にかかる。

「俺が誰かなんてどうでもいいだろ。お望み通り見ててやるから続きやんなよ」

 男の声は穏やかで優しかった。

「そうか、ありがとう。じゃ、また首吊るね」とは、流石の信夫もなるわけはなかった。

「なんだ君は! 勝手に人んちに入ってきて」

「勝手に……って、そりゃそうだよ。俺は空き巣なんだから」

「アキス?」

 信夫の頭でアキスが空き巣に変換されるのはもう少しあとのことだ。

「そうだよ。俺は空き巣だから誰かが家にいたら困るんだよ。それじゃ泥棒か強盗になっちまうだろ」

「どっちも一緒だよ、さっさと出てけ!」

「ちょっと待て、強盗と空き巣は全然違う。俺はちゃんと空き巣として、この家の留守を何度も確認したんだ。三顧の礼ならぬ三度のブザーでさ。ちゃんと鳴ってただろ?」

 信夫は思い返す。でもブザーがなった記憶などない。

「……ああ、確かに鳴ってたかも」

 この期に及んでも素直に自分の落ち度を認められないイマイチ信夫であった。

「聞こえてたならなんで出ないんだよ。居留守を使うなんて重大なマナー違反だぜ」

 自分で掘った墓穴にダイブする信夫。アホのような顔で考えをめぐらすものの、そこは所詮アホはアホ。結果、口をつぐむことになる。

「とにかく、このままじゃ空き巣にならない。お望みどおり見ててやるから死ぬなら死ぬでさっさと頼むぜ」

 男の自信にみなぎった物言いに信夫は戸惑うばかりだった。

「……君、自分が何を言ってるのかわかってる?」

「当たり前だ。俺は今は無職だけど、頭は悪くないんだ」

「君も無職なの?」

「バカにするな。俺は空き巣だよ」

「空き巣って職業じゃないでしょ」

「職業云々じゃなくて肩書きの話をしてるんだ。いやなもんだぜ、『無職』って響きは。だからお前も早く死んで無職から死体になった方がいい。確固たる自分の肩書きがあるってのはこの世に存在している証だからな」

「バカか! 死んだら肩書きなんか意味ねえじゃねえか!」

「ん? ああそうか。でも、俺は頭が悪いから無職なんじゃなくて、悪いのは派遣切りする企業の方なんだぜ」

 男は畳の上に目を留めた。何も言わずに歩み寄りそれを拾い上げる。

「なんだこれ、違、書……」

「み、見るなー!」

 信夫はベランダから決死のダイビングをかました。その動きは意外なほどにキレがあり、男は自分の手から茶封筒を掠め取られる瞬間を視認できなかった。

「空き巣だからって他人のプライバシーに踏み込む権利はないでしょ!」

「それはそうだ。でも遺書って誰かに見せるためのものだろ?」

「そ、そうだけど、本人のいる前で見られるもんでもないじゃん!」

「ん? それもそうだな」

 男が初めて笑った。

 自然で淀みないその笑顔が眩しくて、信夫から警戒心が薄れていく。

 男はゆったりと畳に腰をおろし、両足を伸ばした。――これでノーサイドだ。男の様子は、そんな印象を見るものに抱かせた。

 信夫もいそいそと遺書を抱え込むように体育座りで向き直る。

 つかの間の静寂ののち、男は信夫に顔を向けた。

「遺書ってさ、予定の一週間前とかに書くの?」

「……書いたのは昨日の夜中だよ」

 すねたように言い放つ信夫、心の内は他人からの接触が嬉しくて仕方がない。

「昨日? ちゃんと見直しした? 夜中に書いたものって朝起きて読み返したらたいてい恥ずかしいぜ」

「いいんだよ。別に提出するレポートじゃないんだし、その時の思いをストレートにぶつければいいだけなんだから」

「へ~、思いをストレートにか。いいね。俺も久しぶりにラブレターでも書いてみようかな。今ってメールばっかりだから手紙書く機会ってないもんな」

 二人の話は加速度的に本質からずれていく。類は友を呼ぶとはよくいったもので、アホの周りにはアホが集まるようだ。

「そうだよ。だからこそ手書きの方が逆に新鮮で新しいんだ。最近の何でも機械に頼る風潮はよろしくないと僕は思うよ」

「わかるわかる。なんでも機械がやれるようになったから人間の働き口が減っていくんだ」

「そうだよね」

 男の意見には大いに賛成だ。自分が解雇された清掃の仕事だっていずれ機械が自動的にこなすようになるのだろう。

「君って、面白い人だね」

「面白いかはわからないけど、頭の回転は早いと思うぜ。それこそが頭の良し悪しを決めるべきだともな」

「わかるわかる。頭の良い悪いって学歴じゃないよね」

 彼らはお互いに納得していたが、三十歳無職の自称役者と年齢不詳の空き巣に言われても虚しさしか残らない。

「ねえ、なんか飲む?」

「なんでも良いけど、冷たい飲み物で頼むよ」

「おっけー」

 台所に抜けた信夫はふと思う。

 ――自分は今、客人をもてなしているのではないだろうか。

 その未知なる状況は信夫のテンションをグンと押し上げた。

 いつだって新鮮な体験は自分をわくわくさせてくれる。それこそが、売れない役者を続けていける源泉だ。

 男は男で、この殺風景で負の気で満ちた部屋を眺め回していた。背中のリュックは未だひしゃげたままでいる。

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