6・敬意をこめて引き裂いた

 友人との心地よい運動を終えた信夫はすっきりとした顔で頬に滲む血をぬぐっていた。

「じゃあ次はなにする? どんどんいこう!」

「そうだな……」

「なんでもいいんだから、照れずにどんどん言ってね!」

 信夫は男にすっかり任せっきりだ。彼から発せられる未知なる衝撃を待ちわびる。

「あ……」

「オッケー! 『あ……』入りました!」

「『なんとか合い』ってのも二人でなきゃできないよな」

「なんとか合い?」

「そう。言い合いとか助け合いとかね」

 またもや予想外の衝撃、信夫の身体を鳥肌が駆け抜ける。

「……君、天才なんじゃないの! 『なんとか合い』やろうよ!」

「じゃあ、殺し合いでもするか?」

「なんでやねんな! せっかく友達……、いや、せっかく楽しくやれそうなんだからそれはナシ! ナシ!」

 自分の身体に憑依する未知なるキャラクター。信夫は役者として一皮向けたような気がしていた。

「そしたら……、これも二人いなきゃできねえかな。しかもこれは多少近しい人じゃなきゃできない」

「それそれ、そういうのよ! 教えて!」

「待ち合わせ」

 その言葉に信夫の顔から表情が消えた。

「……いいじゃん。僕、休みの日に待ち合わせってしてみたかったんだよ!」

 今や信夫は目を見開いて泡を吹き飛ばす体たらくだった。

「んじゃ、そのかわりに空き巣としての俺を尊重してもらうぜ。俺も、世間からまったく認められていない自称役者としてのお前を尊重するから」

「もちろんさ。見栄を張らずに素のままで付き合えるのが、その、あの、友達、ってもんだろ?」

「交渉成立。それじゃあどこで待ち合わせようか」

「そうだな、……風の塔の前で待ち合わせなんてどう?」

「時間は?」

「20分後でどうかな? 今から出てもギリギリだけど『やべえ、間に合わない!』とかやってみたいし」

「いいよ。じゃあ先に出な」

「後がいいよ! だって『ゴメン待った?』ってやってみたいし」

「ダメだ。俺は空き巣として、何か盗んでから出かけないと」

「そっか……」

 その刹那、信夫の頭に天啓が下る。慌てて棚をまさぐるとなにかを取り出した。

「盗むのなんて今日じゃなくたっていいよ。ほら、これ……」

 照れ臭そうに信夫が差し出したのは、ピカピカに輝く合鍵だった。

「いいのか?」

「いいよ。いつでも盗みに来てくれていいからね」

 信夫は未使用の合鍵に負けないくらいピカピカの笑顔を繰り出した。

「オッケー。10分待って来なかったら帰るからな」

 男は鍵を受け取ると、つまらない小説を一気に読み飛ばす素早さで部屋を出ていった。

 そわそわと出かける準備を始める信夫、姿見の前で鼻毛を抜いていると、鏡の奥でくたびれた茶封筒を見つけた。

 近づいて優しく手に取ってみる。ついさっきまで、この中の便箋だけが自分の存在を証明してくれるものだった。


「……もう、いらないな」


 そう思えた瞬間、信夫の視野が一気に広がった。

 そこで初めて自分がどれだけ狭い了見で世界を見て、勝手に卑屈になっていたかを知る。

 開け放たれたままの玄関を見る。あのドアは籠るためだけのものだと思っていた。でも今の信夫には新たな世界への入り口にしか見えなかった。

「ありがとう」

 信夫は敬意をこめて茶封筒を引き裂いた。

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