3・唸れ! 赤き赤モグラ!
この老齢の赤モグラは、長らく浅草の粗悪な焼酎を常飲していたせいか、視力がほとんどない。その代わりか聴覚が異常に発達しており、少しの物音ですぐさま怒鳴り込んでくる。おかげで信夫は自分の城にもかかわらずイヤホンでアダルトサイトを楽しむ羽目になってしまった。
筋金入りの広島カープファンである赤モグラは、野球帽はもちろん、常に上下、真っ赤なジャージを着用している。酒焼けした真っ赤な顔と合わせて、さながら赤き塊といった具合である。好きな野菜はトマトで、家宝は直接本人からもらった鉄人衣笠のサインボールだ。
そんな赤モグラの豪快なダミ声が、地獄の入り口に足をかけている信夫の頭に響いた。それはカープの勝ち試合後に、とりわけご機嫌な赤モグラが必ず口にするカープジョークだった。
――にいちゃん、わしの帽子をシンシナティ・レッズと代えてないじゃろな――
両チームともにキャップには同じ「C」の文字が刻まれていて、ぱっと見で区別をつけることは難しい。
なかなか気の利いたジョークではある。合コンの場で自作のギャグとして拝借したこともある。だけれども、今の信夫は心の底からこう思った。
(ほんと、マジで、どうでもいい……)
その瞬間、信夫は自らを殺めるにあたって、十分すぎる資格を取得してしまった。どうでもいいのは自分の人生であることに、気がついてしまったのだ。
そうなると不思議と苦痛は消え去り、眠気すら湧いてくる有り様で、信夫の生に執着する気持ちは切れる寸前だった。
だが、世の中は信夫の思うとおりに回らない。常に、信夫の逆へ逆へと舵をとる。
「プギャ」
と鳴いて信夫の身体がベランダに崩れ落ちた。切れたのは気持ちではなく、首を締め上げるビニールテープだった。
信夫はテープの結び方がよくわからなくて、最後のひと結びをなんとなくキュキュッとやって済ませたのだ。
彼の適当な性格が結果的に命を救った瞬間だった。
信夫は派手に咳き込みながらも命あることにホッとする。けれども、一度は死のうと思い至った自らの不遇は何も解決されていないことに光の速さで思い当たる。
信夫は激しく憤った。
「……最後くらい、誰か、俺のことを見てくれてもいいじゃないか!」
そう、信夫はずっと見られたかった。他の誰かに自分の存在を確認して欲しかったのだ。
「最後くらい、誰か俺を見てくれよ!」
「見ててあげるよ」
部屋の中から声がした。信夫は自分が天国に辿り着いたのかと錯覚した。
だって、この部屋に他人の声色が流れることなど一度もなかったのだから――。
涙をぬぐい部屋の中に目を凝らす。その先には天使でも天女でもない、一人の若い男が立っていた。
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