全ての資源が無くなった。その時私たちは、死を選ぶこと無く、私たち人間をもって生きながらえる。
建築資材、コンピュータ、食料、ありとあらゆる生活に必要なものを人間でまかなう社会。人間は不必要な可能性が高い者から選定され、人間のためにその身を犠牲にする。
この物語はそんな人肉を活用する社会において、選定された生きてはいない人間の人格を魂によって呼び覚まそうとする主人公のお話です。生き残るためとは言え、同胞を贄とすることは許されるのか。倫理的側面を考えさせられ、また幼少期に大脳を損傷した女性が絡み、社会の基幹や闇が明らかになっていきます。
衝撃的です。ぜひご覧ください。
人は食料であり、建材であり、計算資源である。
人が人をリソースとして使う狂った世界を静かに、けれど説得力を持って描く物語。
導入は伊藤計劃氏の著作や『PSYCHO-PASS』、星新一氏の『生活維持省』を連想させる作りです。
しかし、決して借り物の寄せ集めではありません。
これらは「ヒューマンリソース社会」という異常な世界を最大限分かりやすく描くため、あえて引き合いに出されたように思います。
その結果、「人が人を食べる」という禁忌が社会に組み込まれ、あくまで合理的に成り立つ様子をまざまざと見せつけられます。
社会を維持するコンピュータ――もちろん人脳製――に不適と判断された者は、明日には食肉かアクチュエータの一部として解体されてしまいます。
人々はリソースとして使い潰されないよう、自らの存在を証明し続けなければなりません。
そうして適者に成れなかった者はどこへ行くのか。何を残せるのか。
疑問を抱いた主人公は、やがて研究者への道を選びます。
中盤はリソースとして消えていった人々と、彼らをこの世に残すための技術が物語の鍵となります。
同時にその技術の下敷きとなる仕掛けが独走し、とても入り組んだ事件が展開されていきます。
本作は4部構成の1部を抜き出したものだそうです。
そのため、中盤の事件の結末は序盤に語られた魅力的な世界設定にいまいち馴染まない印象があります。
おそらく、1部の結末を踏まえて更に大きな物語が展開されるはずだったのでしょう。
もし続きが描かれるのなら、ぜひとも読んでみたいものです。
一言で言って、衝撃的な作品だった。
ここまで救われている救いようのない物語はそうそうお目にかかれないに違いない。
人口増大に伴ってあらゆる資源が枯渇した世界で、日本という国家が選択したのは、人を資源として用いることだった。
脳を計算資源として、
骨を建築資源として、
肉を食料資源として、
皮膚や髪を被服資源として、用いることで、人が消費する資源を補う世界。
それは文中で引用されるスウィフトの言葉通り、戦争や経済紛争による他者からの強奪を必要としない、国家の内側で消費曲線と需要曲線の均衡を解決する『穏健なる提案』だ。
生きている限り投与された資源に似合う成果を発揮し続けるということはありえない。イメージしやすいのはスポーツだろう。例え天賦の才能があったとしても、年齢の経過とともに衰え、最後にはその世界から引退して余生を送らざるを得なくなる。どれだけ天才的な人間であっても、新しい事柄に追随できずやがて過去の人となる。
その衰退期において、人は投与され続ける資源に似合う有用性を発揮し続ける事はできるのか。多くの人は、できないだろう。老いてなお盛んでいられる人は限られている。
ならば、生産能力の限界に到達し、人間としての有用性が資源としての有用性を下回った人間を、資源として活用すればいい。
正に人間版限界生産力逓減の法則ということだ。乱暴な言い方をすれば、「人としての価値がなくなったら資源にしてしまう」世界だ。
人間を資源として扱い、実に合理的に、経済学的に考察した結果生みだされた世界が、この「適者」という作品の舞台となる。
主人公はその世界にあって、資源としての肉体から魂を切り離し、保存する方法を探している。魂が保たれるならば、肉体はただの容器となる。それはこの人倫を逸脱した社会に齎されるただ一つの救いとなるだろう。
一方で、その技術は研究の不足によりまだ完成していない。おそらくはその技術の完成までの道程こそこの物語の核となるが、この作品は物語でいうところの序盤、序破急の序にあって、そこまで到達していない。
しかし、作者の持つ知識と考察力が描きだしたこの世界には、言いようがない独特の魅力がある。この資源豊かな素晴らしき新世界で、麻也際善次はどのような答えを見いだすのか。
私はそれを知りたい。