ラッダイトの先へ

19世紀、産業革命によって職を奪われた労働者は戦いました。
それはラッダイト運動と呼ばれる歪な闘争で、自動車より馬車を優先しなければならない、なんて滅茶苦茶な制度を生み出したりも。

けれど、そこには誇りや矜持がありました。
例え古臭くとも、自身の存在に信念を――自信を――持ち、自らの手で戦ったのです。

けれど今の人は?

そんな問いを投げかける短編です。

今の世界はわかりやすい敵がいません。
ラッダイトのように資本家を敵にしたり、機械を憎んだり、といった勧善懲悪は成り立ちません。

AIは確かに人の仕事を奪いますが、人を正しく導くこともあります。
そしてその影響力は簡単には自覚できません。
深層文法のように染み渡り、気付くと人生へ介入しているらしい。

人体への過度な干渉もメガネやトレーニングの延長。
意識の基盤が肉体に依る以上、肉体の最適化による意識の変化もマネジメントの一種として扱われても仕方ないのでしょう。

どちらも人という存在を揺るがす技術であり、どこか不安を抱かせます。
けれど主人公自身、これらの不信感を上手く表せません。
ゆえに、打倒すべき敵とはなりえないのです。

そんなあやふやな世界で人が何かを成し遂げるには。

その答えの一片が、確かな手触りを持って伝わってきました。

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