門前仲町駅(東西線、都営大江戸線)
通称、
寛永4年(1627年)に湾内の砂洲を埋め立てて創建された富岡八幡宮の門前町として発展したから、今でもこの名で呼ばれている。
歌川広重の『名所江戸百景』にも「深川八幡山開き」として描かれているが、非常に美しい庭園があり、「山開き」と称して、そこを庶民に公開していたのだという。
大相撲も後には回向院で興行されるようになるが、初期は八幡宮で行われていた。
この富岡八幡宮の門前町は私娼窟として栄え、後々まで深川は色街として知られる事となる。
但し、幕府公認の色街は飽くまで吉原遊廓のみだから、この地にある岡場所は非合法の店。
無論、吉原は幕府公認という事もあって格式は高く、料金もお察しの通り。
その点、深川界隈の岡場所は吉原に比べて料金も安く、気軽に遊べる場所として人気があった。
実を言えば、吉原最大の敵が深川の岡場所で、一般の人気は寧ろ吉原よりも優っていたそうだ。
富岡八幡の鐘も岡場所の茶屋が交代で撞いたのだという。
もっとも、この岡場所も寛政の改革で江戸市中にあった岡場所のうち53ヶ所が摘発され、さらに天保の改革では深川を含め28ヶ所が摘発された為、市中の岡場所は無くなってしまう。
それまでは門前仲町のように岡場所の多くが寺社地にあった為に町奉行の支配を逃れていたからである。
さて、富岡八幡といえば8月15日に行われる深川祭で、神田祭、山王祭と並ぶ江戸三大祭りの一つである。
起源は三代将軍、徳川家光が長男家綱の世継ぎを祝う為に行わせたとされる。
非常に大規模なお祭りで、文化4年(1807年)には、祭りの行列を見ようと鈴なりになった群衆の為に、隅田川に架かる永代橋が崩落し、千五百人以上もの死者を出したという事故もあったほど。
現在でも非常に大きな祭りとして続いており、別名「水掛け祭り」とも呼ばれるだけあって、神輿の担ぎ手に水をかける役なら誰でも参加できる祭りである。
海も近く、富岡八幡から東へ八丁行った洲崎などは初日の出の名所であり、夏は潮干狩り、秋は月見と、海上の眺めも素晴らしく、東は房総半島から行徳、西は品川から佃島まで望めたそうだ。
駅で辿る江戸文化 夏炉冬扇 @tmatsu
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