42-完.ふがっ
おれはいま、最強の装備を手にしている。
右手に最強の矛。
皐月さんが前に美味しいって言ってたワインと、川島さんが前にうまいって言ってたデパ地下おつまみ。
そして左手に最強の盾。
美雪ちゃんがスイーツブログに載せてた某有名パティシエ監修のロールケーキ。
ふふふ。
急ごしらえの装備にしては、なかなかいいんじゃないだろうか。
……やばい、お腹が痛くなってきた。
ええい、もう目的地は目の前だ。
おれは息を吐くと、彼女のマンションへと足を踏み入れた。
エレベーターで三階へ上っていく。
……あー、緊張する。
部屋にいるふりして、実はエレベーター前で待ち構えてますーとかありそうだもんなあ。
チーン、とドアが開いた。
そうっと覗いてみる。
……いないな。
よし、とりあえず第一関門、突破。
こっちの角部屋が、主任の部屋だ。
携帯を確認する。
主任からの返信はない。
ていうか、マジで怒ってるよなあ。
くそ、牧野祐介!
いまこそ男を見せるとき!
ぴんぽーん。
「…………」
出ないな。
やっぱり、怒ってんのかな。
ぴんぽーん。
「……あれ?」
もしかして、いない?
おれはマンションを出ると、反対側から主任の部屋を見上げた。
……真っ暗だ。
まだ帰ってないのかな?
もしかしたら、取引先と飲みに行ってる?
いや、もともと休日だし、相手もそういうタイプの取引相手じゃなかったはずだけど。
「…………」
もしかして、おれの部屋で待ち構えてる?
……やべえ。
それは予想してなかった。
おれは慌てて、駅へと向かった。
「ええ。遅延?」
くっそ、こういうときに限って……。
「タクシーは……、あった!」
慌ててタクシーに駆け込むと、おれの部屋まで飛ばしてもらう。
「お兄さん。そんな血相変えて、どうしました?」
「いや、ちょっと、恋人を怒らせちゃって……」
「へえ。そりゃ、ぜいたくな悩みだねえ」
「アハハ……」
やけに時間が遅く感じる。
いまごろ主任、怒り狂って食器とか割りまくってんのかなあ。
それとも録りためてたテレビ番組、ぜんぶ消してるのかなあ。
どっちにしろ、やばい(物理的に)。
おれのアパートに着いた。
「……あれ?」
電気が点いていない。
やっぱり、主任はまだ帰ってないってこと?
……おかしい。
あれから、もう6時間近く経ってる。
いくらなんでも、仕事は終わってるだろ。
再び、主任の携帯に電話してみる。
「……やっぱり、出ないな」
なんか、そわそわしてきた。
なにか事故にでも巻き込まれてるんじゃ……。
ハッ。
まさか!
『――祐介くん。これまで、わたしのこと騙してたのね。いいの、わたしは所詮、遊びの女。寧々さんと幸せになってね。え、どこ行くのって? ちょっと、富士の樹海まで……』
「うわあああああ、しゅに――――ん!!」
『過保護か!!』
……あれ?
なんか、美雪ちゃんの声でツッコミが入ったぞ?
きょろきょろと辺りを見回すけど、もちろん美雪ちゃんはいない。
「……どこから?」
『こっちだって、マキ兄。おーい、こっち見ろ!』
見ると、携帯から聞こえる。
「……どうして主任の携帯から、美雪ちゃんの声が?」
『どうしてじゃないよ。さっさとこの酔っ払い、迎えに来て。いい!?』
――プツン。
通話の切れた携帯を、おれは呆然と見つめていた。
「あれ?」
―*―
タクシーで『KAWASHIMA』へ。
二階に上がって『かわしま』に入ると、予想通りの光景があった。
「あ、来た来た。こっちだよー」
美雪ちゃんが手を振った。
すでにお客さんが引いた店内で、そのテーブルだけ料理が置いてあった。
そして、ぐでーっとテーブルに突っ伏すスーツの黒髪美女。
「……え、いつから?」
「えっと、もう3、4時間くらいかな。開店と同時に来て、もうすごい飲みまくってるんだけど……」
「ああ、そう……」
とにかく、富士の樹海じゃなくてよかった。
「主任、主任。起きてください」
「ん、んう……」
寝てるのかな。
そう思ったとき、にゅっと腕が伸びてきた。
がしっと首根っこを掴まれると、ぐいっと隣に座らされる。
「まきのお――っ! あんたひとのこと弄んでおいてよく顔が出せたものねぶっころす!」
「いや、そういうわけじゃなくて!」
お願いだからビール瓶を逆手に持つのやめて!
「……じゃあ、なによ?」
一応、話は聞いてやろうじゃない。
でも納得できなかったら即刻
そんな感じで、主任が腕を組んだ。
……かくかく、しかじか。
説明を終えると、美雪ちゃんが面倒くさそうに言った。
「ほら、やっぱり言った通りじゃん。この男に二股かける甲斐性ないって」
その通りなんだけど、さすがに正面から言われると傷つくんだぞ!
主任は相変わらず、ぶっすーと不機嫌そうだ。
ワインとつまみとケーキが、ずおおおっと彼女の胃袋に消えていく。
……なんか掃除機みたいだなあ。
それなりに高かったから、もうちょっと味わってほしいんだけど。
そしてワインの、最後の一口を飲み終えた。
「……牧野。わたしね、ずっと言いたかったことがあるの」
「は、はい?」
アルコールで据わった目で、彼女は言った。
「うちの親にも会って」
「ええ……」
主任がぽかぽか殴ってくる。
「なんで嫌そうなのよう!!」
「だ、だって、そりゃ、ねえ」
ちら、と川島さんに目を向ける。
男性仲間の彼も、うんうんとうなずいていた。
わかるよね、ね?
「でも、どうしていきなり……?」
「いきなりじゃない! ずっと彼氏に会わせろってうるさいの。でも、あんたが嫌だろうなって、遠慮してたの。それなのに、あんたは寧々さんの……!」
「わ、わかりました。わかりましたから、皿を投げるのをやめてください!」
振り上げた腕を、慌てて下ろさせる。
あと一歩、遅かったらえらいことになってたな。
「主任のご両親に、会います」
「ちゃんと、彼氏として?」
「もちろんです!」
少しだけ、その表情が和らいだ。
「なら、許す。あ、美雪ちゃん。お酒、追加ね」
「いやいや、もう閉店なんだけど!?」
二人の会話を聞きながら、お腹を押さえる。
……なんか、いまから胃がキリキリしてきた。
―*―
とある、海鮮串焼きの飲み屋にて。
「――嘘なんでしょう?」
寧々は、ぶっと噴き出した。
恐る恐る、母親の顔をうかがう。
にこにこ笑っていて、相変わらずなにを考えているのかわかりづらかった。
「な、なんのこと?」
「牧野くんと、おつき合いしてること」
有無を言わさぬ瞳に、寧々がたじろぐ。
「そ、そんなことは……」
じいい。
「ない……」
じいいい。
「け、ど……」
じいいいいい。
寧々は頭を下げた。
「はい。嘘です」
一瞬だった。
そもそも母親に嘘が通じたことなど、これまでなかった。
「あ、そ。あまり、迷惑をかけてはダメよ」
そう言って、彼女は日本酒に口をつける。
あっさりとした言葉に、寧々は呆けた。
「……え。それだけ?」
「あら。なにか言ってほしいの?」
「いや、だって、じゃあ、見合いしろとか……」
しかし、明美は首を振った。
「だって、牧野くんのことが好きなんでしょう?」
「…………」
寧々の顔が、酔いとは別のもので赤くなる。
慌てて両手で、顔を隠した。
「やめて! そういうの、やめて!」
「恥ずかしがることないじゃない」
「実の親からそんなこと言われて恥ずかしくないわけねえだろ!」
「大学のときからお友だちのままなんて、ずいぶんのんびりしてるのね」
「……だ、だって、あいつ彼女いるし」
明美は苦笑した。
「あなたは昔から、頑固な子だったからね。どんなことになっても、後悔のないようにしなさいね」
「…………」
「相手の気持ちを尊重することは忘れないように」
「……はーい」
そう言っている間に、注文した串焼きがやってきた。
「そういえば、仕事のほうはどうなの?」
「ああ、それは……」
それからは、当たり障りのない親子の会話をしていた。
ふと窓の外を見ると、夜空に満月が浮かんでいた。
―*―
『――これからも、寧々のことをよろしくね』
帰りのタクシーに運ばれながら、明美さんの言葉を思い出していた。
「……たぶん、バレてるよなあ」
なんとなく、だけど。
彼女は最初からお見通しのような気がしていた。
明美さんに、寧々がなにを言われているのかはわからない。
これ以上、おれにできることはないと思う。
それでも彼女が自分の決めた道を歩いて行けるなら。
それを手伝ってやりたいのは本心だ。
「ふがっ」
変な声を出して、主任がこちらに頭を預ける。
完全に寝こけている彼女の肩を寄せながら、窓の外に見える満月を眺めていた。
主任、その宝箱ミミックですよ!? @nana777
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