03

「俺は生まれた時から体が黒かった。まあ、黒竜として生まれたんだから、体が白いはずはないけどな。成長し体がデカくなって人目につく様になってくると、やがて俺は悪竜と呼ばれるようになった」

「どうちて?」

「昔から黒い竜は災いを呼ぶんだと。人間たちの伝承だ」

「そんなことで悪い竜にされて、ファフニールがかわいそうなの」


 悲しそうな顔をして、少女はドラゴンを見つめる。ファフニールはどう反応していいのか分からず、肩をすくめる仕草をすると話を続けた。


「昔から言われてきたことだ、それはしょうがないとは思う。……そして人間たちは俺を退治しようとこぞって競い合った。それはもう何人挑んできたのか覚えてないくらいにだ。俺は沢山の人間を殺し、そして喰った。俺も死んでやるわけにはいかないからな。それに、普通の人間たちの武器じゃ俺の鱗を剥がす事だって出来やしない。それに気付いた人間たちは、魔力を持つ人間に俺の封印を頼んだんだ。それもとてつもなく強力な魔力を持った人間にだ。それがガーネットをはじめとする、四方を守護していた魔女たちだ」

「四方?」

「なんだ嬢ちゃん、四人の魔女を知らないのか?」

「むー、氷だけは知ってるもん。ババが嫌ってるから」

「はははっ、あの二人は犬猿だからな。しかし、まだ仲が悪いとはなあ」


 ファフニールは、当時の二人のやり取りを思い出したのか口を大きく開けて笑っている。


「あとの二人は?」

「ん? ああ、東を守護する風の魔女シルヴィアと、西を守護する地の魔女ノーラだ。そして北を守護する水の魔女アリエスと、南を守護する火の魔女ガーネット。この四人が四元素を司る最高の魔女、俺を封印した者たちだ」

「ふうん。……あっ、その左腕もババたちにやられたの?」


 古そうな傷を黒竜の腕に見つけた少女は訊ねた。


「ん? ……こいつは、違うんだ嬢ちゃん」


 ファフニールは、少女から視線を逸らし腕を隠そうとした。レティに知られたくないことでもあるのだろうか、はたまた辛い過去なのか。少し寂しそうに目を伏せて俯いた。


「どうちたの?」

「なんでもないさ」


 竜はかぶりを振って短く答える。少女はその様子を不思議そうに見ていた。


「ファフニールはお外に行きたくないの?」

「こんなだからな、外に行きたくても行けないだろ?」


 腕に取り付けられた、魔法で特殊加工を施された鎖をジャラジャラと鳴らすと、黒竜は懐かしそうに空を見上げる。

 それを見た少女は腕を組み、何かを真剣に考えているようだ。


「はっ! ……わちがなんとかしてあげる!」


 レティは急に立ち上がると、拳を上に突き上げて、声高らかに宣言する。

 ファフニールは急でビックリしたのか、目をパチクリとさせていた。


「何とかって……いくらなんでも嬢ちゃんには無理だろう」

「む~、わちだって魔力くらいあるもん!」


 子ども扱いされたことが嫌だったのか、少女はぷうっと頬を膨らませて怒っている。


「う~ん。……魔力があってもだな、この結界はただでさえ強力な魔女四人分の魔力で作られてんだ。しかもだ、何重にも張り巡らされた四元素の呪界をそれぞれディスペルしなきゃなんねえし、出来たとしても全体のロックも外さなきゃならん。一人じゃ解除するのに何年かかるかわかんないぞ?」

「ん~~。あっ! なら、ファフニールが小さくなればいいの」

「俺が小さく? おいおい嬢ちゃんよ、そいつはいくらなんでも無理だ」

「……どうちても?」

「どうしてもだ。そもそも自分の体を小さくする竜言語魔法なんてものは存在しないんだよ。それにこの結界は黒竜を封印するためのもんだ。小さくなったところで変わらんさ」

「う~ん……」


 少女は腕を組み、また何かを思案している様子。

 長らくまともな会話をしていなかったからか、それとも相手がレティだからだろうか。それを見ているファフニールはどこか楽しそうだった。


「あっ! いいこと思いついた」


 レティはアイデアが思い浮かび、嬉しそうに黒竜に駆け寄っていく。


「ふむ、まあ聞くだけ聞いてやろう」

「あのね、ファフニールが人間になればいいんだよ!」


 少女の言葉を聞いた瞬間、ファフニールはあんぐりと口を開けて硬直してしまった。どうしたんだろうと、レティは小首を傾げてドラゴンの反応を待っている。


「俺が人間に? それこそ無理だぞ嬢ちゃん」

「無理じゃないよ、だって人間が竜に変身できるんだもん」

「――何っ!? ……今、なんて言った、嬢ちゃん」

「ん? だから、竜に変身――」

「嘘だろ!? まさか……そいつはドラグナーの……」


 ファフニールは少女の発言に大変驚かされた。右手は震え、そして左腕をがっしりと掴む。ドラゴンは息をのみ、しばらくの間、ただただ目の前の小さな少女、レティを見つめる事しか出来なかった。

 少女は、目の前で急に黙りこくったファフニールを訝しげに見ている。


「どうちたの?」

「嬢ちゃん、まさかとは思うが……嬢ちゃんが竜化身の魔法を使えるのか?」

「うん! ババの持ってる魔導書に書いてあったから、面白そうだなって思って」

「その魔導書、竜言語で書かれてなかったか?」

「う~ん……分かんない。でも、見たことない字だったの」

「そうか。……ちょっと、俺に見せてくれないか?」


 ファフニールは真剣な眼差しで少女を見つめると、小さく頭を下げた。


「うん、いいよ! ちょっと待ってて」


 レティは頼みを快く承諾すると、辺りを見回し木の枝を探し始める。

 すると、湖の近くに生えている木の根元に枝の切れ端をいくつか見つけた少女は、走ってそれを取りにいく。

 自分の手に馴染む大きさの小枝を拾い、ファフニールのもとまで戻ってきたレティは、その場でしゃがみ地面に何かを書き始めた。

 まず円を描き、中央にペンタグラムを配した。その周りには幾何学な模様、ペンタグラムの内と外、そして円の内周に沿うように象形文字のような言語を描いていく。

 魔法陣を地面に描き終えた少女は、おもむろにその中央に立った。

 その一部始終を見逃すまいと、黒竜は真剣に見入っている。


「いくよ、ファフニール」

「ああ、頼む」


 ファフニールが頷いたのを合図に、レティは魔法を唱え始めた。

 聞いたこともない言語で詠唱を続けるレティだったが、目の前で聞いている黒竜にはその言語が理解できているようだ。まさかといった表情で、淡々と魔法を唱える少女を凝視し続けている。

 魔法陣からは青白いオーラが立ち上り、やがてレティの身体は徐々に光だし、白かった光は少しずつその色を黄金へと変えていく。

 少女の体が完全に金色の光で包まれた頃、ようやく魔法の詠唱が終わった。


「ドラグマティッド!」


 その言葉と同時に、レティに収束していた黄金の光は、一気に輝きを増して四方八方へと拡散した。

 広間を包み込む程の眩い光に、ドラゴンでさえも目を瞑る。しばらくして光が少しずつ弱まると、瞼を閉じていたファフニールは目を開けて、少女の居た場所に視線を移す。


「おおっ! ……って、ち、ちんまいな、嬢ちゃん」


 驚いたのもほんの一瞬。それもそのはず、そこにいたのは体長二メートルにも満たない、レッドドラゴンの子供だったからだ。

 ドラゴンと化したレティは、魔法陣の中央にちょこんと座っている。


「わちの魔力じゃこれが限界だもん」

「……いや、すまなかった。ところで嬢ちゃん、ブレスは吐けるのか?」

「うん! 見てて」


 レティは小さな翼を大きく広げ、息を思いっきり吸い込んだ。そして一旦息を止めて、それを一気に吐き出す。すると、ポンッという音とともに小さな火の玉ができたが、その火は空中に留まることなく、すぐに地面に落ちて消えた。


「はははっ! 嬢ちゃん、まだまだだな。そんなんじゃ焚き木くらいしか出来ないぞ」

「む~~」


 ふくれっ面の少女を尻目に、ファフニールはおもむろに立ち上がり顔を上空へと向ける。そしてレティをちらりと横目で見ると黒竜は言った。


「嬢ちゃん、ブレスって言うのはこう吐くもんだ」


 レティと同様、ファフニールもその巨大な翼を大きく広げると、息を吸い込み、思いっきり吐き出した。大広間全体が赤く染まり、少女のそれとは比べ物にならない特大の火球は、プロミネンスを螺旋状に纏いながら天井へ向かって突き進む。やがて天井を抜けると、ドラゴンのブレスはどこまでも空へと昇っていった。火球が見えなくなる頃、ファフニールは翼をたたんで少女に向き直る。


「どうだ嬢ちゃん? って、魔法解けるの早いな」

「わちの魔力じゃ三分も持たないの……」


 ファフニールがブレスを吐いている間に、レティの変身はすでに解けていた。レティ自身、ドラゴンのブレスがどれほど凄いのかが身に染みているようだ。ただ呆然と目の前の黒竜を見つめている。


「しかし、本当に竜言語魔法が使える人間がいるとは、思いもしなかったぞ。すごいな、嬢ちゃん」

「えへへ」


 ファフニールに褒められて、少女は少し恥ずかしそうに身をよじった。


「……こうなると……本当に……」

「どうかちた?」

「いや、なんでもない」


 あることを思い出し、気付いたファフニールは少女を注視する。

 懐かしい思い出とともに消えた二人の人間。思い出される死闘……。左腕が疼くのを感じた。


「ところで嬢ちゃん、帰らなくてもいいのか? そろそろ警備の連中がここに向かってやってくる時間だぞ」


 少女は空を見上げる。日が少し傾き、空はオレンジ色へと染まりつつあった。すると、上空のある一点に黒い影を見つけたレティは目を凝らす。その影は徐々に地上へと近付き、ものすごい勢いで大広間に降ってきた。


「なに?!」


 爆音をたてて地面と衝突した、砂煙を上げる先の落下物の落下地点を凝視すると、そこにはくろ焦げになっている巨大な鳥獣の姿があった。


「ああ、さっき放ったブレスの餌食になったんだな。運のない奴だ。だが、これで今夜も飯にありつける」

「これがファフニールのご飯なの?」

「そうだ。鳥獣どもは頭が悪いからな。ブレスが地上から放たれるって事を学習しないもんだから、こうやってくろ焦げになってよく落ちてくるんだ」


 そう言うと黒竜は、長い尻尾を使って焼け焦げた鳥獣を手元まで寄せる。

 その様子を黙って見ていたレティだが、急に帰り支度を始めた。地面に描いた魔法陣を消していき、そして小枝を元あった場所へと戻す。


「嬢ちゃん、帰るのか?」

「うん。ババに怒られちゃうから」

「そうか……気をつけて帰るんだぞ」

「うん!」


 レティはファフニールに返事をすると、大広間の出入口に向かって歩き出す。ところが、数歩進んでその足を急に止めた。

 そして何かを思い出したようにドラゴンへと歩み寄る。


「ん? どうした、忘れ物か?」

「ううん」


 首を横に振って答える少女の手は、ポケットの中に入れられている。ファフニールの側まで来ると、ゆっくりと手を出す。ドラゴンに向かって手の平を差し出すと、そこには家を出る時に持ってきた飴玉がのっていた。


「これ、ファフニールにあげる」

「なんだ、これは?」

「キャンディだよ、甘くて美味しいの」


 そう言ってレティは包み紙を外すと、七色の飴玉をファフニールの口元へ持っていく。


「はい、あ~ん」

「ん? 口を開ければいいのか?」


 少女が頷くと、ファフニールは大きく口を開けた。ナイフのように鋭く尖った牙が並ぶ口の中に、レティは飴を放り込む。


「噛んじゃダメだよ」


 不思議そうな顔をしながらレティの言葉に頷くと口を閉じ、黒竜はしばらくしてから声を上げた。


「……うまい。美味いぞ嬢ちゃん」


 瞳を輝かせて喜ぶファフニールの姿に、少女は大変ご満悦のようだ。


「じゃあわち、そろそろ帰るから」

「そうか……。また、キャンディ持ってくるか?」

「うん、また明日も来るの」

「そうか」


 にんまりとするファフニール。それを見たレティは、残りの飴をすべてドラゴンの傍らに置いた。


「わちのもあげる」

「いいのか、嬢ちゃん?」

「まだ沢山あるから大丈夫」

「そうか、今度礼をしなくちゃならんな……」

「じゃあまたね、ファフニール」

「ん? ああ、気をつけてな」


 レティはファフニールに手を振ると、今度こそ出入口へと歩いていった。

 そして来た時と同様にウィルを召喚すると、再度振り向き手を振って通路へと消えていく。


「ほぅ、あの歳でウィル・オ・ウィスプまで召喚出来るのか……。やはり、疑う余地はないみたいだな。そうか……」


 黒竜は静かに呟くと空を見上げる。さっきよりも色濃く染まる夕空を眺めては、遠い日のことを思い出すのだった。地に視線を落とした時そこには、少女がくれた飴玉が3つ、寄り添うように仲良く転がっていた――。



     ◇◆◇◆◇



 ファフニールのいた大広間から、苦労をしてようやく洞窟を抜けたレティはウィルの召喚を解除する。


「ウィル、ありがとう」

「はぁ~、また明日もこき使われるんだね、ボク……」

「キャンディあげるから」

「ボクはファフニールじゃないよ」


 皮肉を言いながら精霊の姿は徐々に消えていく。手を振る少女を一瞥すると、小さくため息をつき、そして完全にその姿は消えた。

 ――すると突然、どこからか話し声が聞こえてきた。どうやら巡回担当の騎士たちが到着したらしい。

 少女は見つからないように、急いで森の中へと入り来た道を戻る。獣道のトンネルをひたすら直進すると、やがて森の入口へと出た。

 森を抜ける頃、夕日は少しずつ西に沈み始める。このままではガーネットに怒られる、そう思ったレティは走って家を目指した。


 舗装された道路を少女はひた走る。その振動が不愉快なのか、帽子に付いているかぼちゃのアクセサリーは、怒りの表情を崩さない。

 ようやく長い道のりを経て、ガーネットの家へと着いたレティの足取りはおぼつかない。

 ウィッチは魔力はあっても体力が低いジョブだ。レティも例外ではなく、走って相当体力を消耗したようで、肩で息をしている。

 ふらふらと玄関へ歩いていき、そしてドアを開けた。

 ガーネットは相変わらずテーブルに向かって魔導書を読みふけっている。レティが帰ってきたことに気付くと、老婆は視線を外さずに声をかけた。


「ずいぶん遅かったねえ」

「ババ、ただいま」

「ん。さて、晩飯にするか。レティ、帽子脱いどいで」


 そう言うとガーネットは腰を上げ、キッチンへと向かう。少女は歩き疲れて棒のようになった足で、多少ふらつきながらも階段の手すりを掴み、なんとか階段をあがると自分の部屋まで戻った。

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