06

 そうして翌日からも、レティは混沌の洞窟へと足繁く通いつめた。

 黒竜を人間にするための新魔法を作り出すために。この可愛そうなドラゴンに、広い空を見せてあげたいと、ただその一心で……。

 ファフニールのもとへ行き、魔法の研究を始めてからちょうど一週間が経ったある日――。

 その日もレティはファフニールのもとにいた。

 いつもの椅子に腰掛けて魔法の術式を見ては、書き足したり消したりを繰り返す。以前と比べ、その術式自体まとまりある形となり、幾分か長くなっている。数日の間に随分とはかどった様だ。

 黒竜は以前と変わらず、その様子を黙って見守っている。すると突然、先程まで聞こえていた小枝が地面を削る音が急に止んだ。

 少女はその場でゆっくりと立ち上がると、ファフニールに向き直り声を上げる。


「できた……できたよファフニール!」


 そう言って嬉しそうにファフニールのもとへと駆け寄っていくレティ。黒竜は静かに頷いてその努力を称える。


「よく頑張ったな、嬢ちゃん」


 そう褒められた少女は満面の笑みを浮かべて喜んでいる。

 レティはバッグの中に入っているペンケースを開けると、中から羽ペンを取り出した。そして持ってきた魔導書の新しいページに、今しがた出来たばかりの竜を人へと変身させる魔法を書き込んでいく。

 その術式は長く、詠唱文も複雑にはなってしまったが、どうにか完成した新魔法に、レティ自身大変満足しているようだ。

 やがて魔法を魔導書へと写し終えた少女は、そのページを黒竜に見せる。


「ファフニール、これを唱えるの」

「……嬢ちゃん、ここまで頑張ってもらって悪いんだがな……俺は魔力を封じられてるんだ。だから無理だぞ」


 ファフニールが手足を動かすたびに、嵌められた堅牢なつくりの枷は、繋がれた鎖を動かしジャラジャラと音をたてる。どうやら魔力を放出しようとすると、それを押さえ込むための魔法が発動する仕組みになっているようだ。ファフニールの手と足には焼け焦げた跡が痛々しく残っている。

 少女はしばらく目を閉じて一人思案する。少しして何か閃いたのか、手をポンッと叩き大きな枝を探し始めた。辺りを見渡すと、入口付近に生えている老木の根元に、五〇センチほどの少し太い枝を見つけたレティは、走ってそれを取りに行く。

 ファフニールのもとまで戻ってきた少女は、黒竜を囲むように描かれた、地面で赤く鈍い光を放つ巨大な魔法陣の中へと足を踏み入れた。


「嬢ちゃん、あまり魔法陣の中へ入ってくると危ないぞ……ってあれ?」


 躊躇することなくその歩みを進める少女に、ファフニールは疑問を抱いた。


「平気なのか?」

「なにが?」

「……いや、なんでもない」


 平気な顔をして魔法陣の中を歩いてくるレティを、黒竜は怪訝な表情で見ている。

 アメジストで作られた魔法陣の中央、ファフニールの腹部付近まで歩いてきた少女は、手にした枝を使い地面に何かを描き始めた。

 それは小さな魔法陣で、一般的に無属性の紋章とされる模様が描かれている。それを描き終えたレティは呪文を唱える。するとその魔法陣は宙に浮き、ドラゴンの中央上空に上がって静止した。


「嬢ちゃん、いったい何をする気だ?」

「ババの持ってる魔導書で読んだことがあるの。魔法陣の中に魔法陣を描く方法と、その中だけに魔法の効果を留める方法を」

「ほう……よく分からんが、なかなか高度なことを知ってるもんだ」

「見てて」


 レティが続いて描いたのは、光と闇の魔法陣。同じく小さなものだったが、それらに魔力を送ることにより、魔法陣は宙に上がり輪を大きくしていく。そして光の魔法陣は無属性の下へ、闇の魔法陣はファフニールの下、地面すれすれで静止する。

 そうして最後に描いたのは、四元素の魔法陣だ。地面にそれぞれの模様を円の中に描き、全てに魔力を送り込む。先ほどと同様に、四つの魔法陣は宙に浮き、光の下へ火、水、風、地の順に並ぶ。


「積層型の立体魔法陣か……こいつは初めて見たぞ」


 レティが言っていた「魔法陣の中に魔法陣を描く方法」それは、魔法陣の中に描く魔法陣を立体にするものだった。円柱状に配置することにより、それぞれの魔法陣が競合することなく、魔法を扱える状態にすることが出来る。古の失われた魔法の中には、この立体魔法陣を必要とするものが数多くあったことが確認されている。だが更に、これ以上に技術を必要とするのが、「魔法の効果をその中だけに留める方法」だ。

 再度、円柱状に配した六つの魔法陣に少女が魔力を送ると、それらは光り輝き回転を始める。そして黒竜を中心に、半球状にそれぞれの魔法陣が配置を変えて、並び終えると同時に光のドームを形成した。


「ふぅ、疲れたの」

「……嬢ちゃん、これからどうするんだ? こんなものを作っても、俺は魔力が使えないんだぞ?」

「ババたちが作った魔法陣を使うの」

「外の? ……なるほど、そういうことか。その為に無属性魔法陣があるんだな」

「そうなの」


 レティのやろうとしていることを理解したファフニールは、大きく頷き天を見上げた。ドームの外には、少女が最初に描いた無属性の魔法陣が浮遊している。無属性は単体ではなんにも役に立たない魔法陣だが、それぞれの属性と組み合わせて使うことで、属性魔法とは少し違った魔法にすることが出来る。

 他にも色々な使い方が出来る魔法陣なのだが、この場合の無属性魔法陣は、収束レンズの役割を果たす。

 つまりは、昔ガーネットら4人の魔女が作り上げた巨大魔法陣の魔力を、今しがたレティが作った立体魔法陣の内部に、無属性魔法陣の収束効果を用いて魔力を溜めるということだ。

 そうすることにより、ファフニールが消耗しているMPの回復もでき、更には魔力を放出してもドームが外からの魔力を遮るため、ファフニールの枷が反応することはない。まさに一石二鳥の案だといえる。


「よく考えたな、嬢ちゃん」

「えへへ」


 レティは照れながらもじもじしている。その間にも、アメジスト魔法陣の魔力は無属性魔法陣を通じて、ドーム内へと少しずつ流れ始める。ドームは魔力を蓄えるごとに鮮やかに発色し、黒竜へとそれは流れていく。MPのある感覚が懐かしいのか、ファフニールはどこか嬉しそうだ。

 十数分してようやく本来の魔力とMPを回復したドラゴンは、退屈そうに膝を抱えて座るレティに声をかける。


「嬢ちゃん、もう大丈夫だぞ」

「え? あ、うん」

「……? どうした?」

「ちょっと眠いの」

「そうか。それにしても、あのアメジストはどれだけ魔力を蓄えてるんだ? 全快したってのに、まるで衰える気配が……?」


 ファフニールがふとアメジストの根元を見た時、何かに気付いた。


「なるほど、そういうことか。あれはノーラの……」


 黒竜が気付いたこと。それは大地に突き刺されたすべてのアメジストの根元に、よく見なければ気付かない程、地面の色に溶け込んだ魔法陣が描かれていた。

 これは地の魔女ノーラが施した魔法陣で、地に足を付けている間、大地のエネルギーを自身のMPに転化することが出来るというものだ。その対象は人だけに非ず、魔力を通わすことの出来る接地している物体なら何にでも応用可能という優れもの。

 今まで魔力を失っていたファフニールに、このカムフラージュされた魔法陣を見破ることは出来なかった。

 一人で頷いて何かを納得している黒竜に、レティはドームの外から魔導書を開いて見せる。


「はい、これを唱えるの」

「んー、どれどれ。なかなか長いな……失敗、とかしないだろうな、嬢ちゃん」

「むー、わちのこと信用してないの?」

「いや、そういうわけじゃ」

「はい! 読むの。読まないとお菓子あげないから」

「ッ!? ……分かったよ」


 お菓子に釣られ、ファフニールは渋々了承した。一度大きく咳払いをし、開かれた魔導書に書かれた詠唱文をファフニールは上から順に読んでいく。竜言語は人智を超えたものであるが故に、ドラゴンとそれらを使役および共闘するジョブでしか理解することが出来ないとされる。

 詠唱文は長く、魔導書を二ページ分使って書かれていた。訳の分からない言葉が静かな広場に響く。

 ようやく長い詠唱文を読み終えた頃、その体は白銀に輝いていた。そして魔法を発動させるための最後の言葉、魔法名を竜は口にする。


「《ドラグマトラ!》」


 その瞬間その体を包み込んでいた白銀の光は、ドーム内の魔力を巻き込みながら更にその光量を増していく。光によりファフニールの体が完全に見えなくなると、やがて光の中のシルエットはメタモルフォーゼを始めた。巨大な体躯は少しずつ小さくなり、巨大な翼と長い尾はシルエットの中へと消えていき、頭の角も徐々に短くなっていく。

 レティはドームのすぐ近くで、その様子をじっと見入っている。練習なしのぶっつけ本番で、自分の作った魔法が成功するかどうかまだ分からないため、その表情は少し不安げだ。


 ドーム内のシルエットがメタモルフォーゼを始めてから数分が経過した。最初の方と比べると、特に目立った変化はなく見た目に乏しい。少女は失敗したのではないかと不安になり、ドームの外でうろたえている。

 そんな心配を余所に、しばらくしてファフニールのシルエットは少しずつ変化し始めた。

 楕円形だった光は徐々にその面積を縮小し、完全な球体となる。そこからの変化は著しく、段々とその形を球体から人型のシルエットへ変えていく。

 レティはほっと胸を撫で下ろし、目の前の人型の光へと視線を移す。その瞳は輝きに満ち、今か今かとファフニールの人化を待ち侘びている様子。


 すると突如、ドームの様子が怪しく急変した。立体魔法陣の半円型ドームは大きく波打ち、まるで中から出ようとする何かを必死に押さえ込んでいるかのようだ。周りのアメジストたちも不気味に点滅を繰り返す。

 少女は周囲を見回し、その異変に戸惑っている。そしてドーム内に視線を戻したその瞬間、レティが思いもよらなかった誤算が生じた。

 黒竜の強大すぎる魔力は、人型になろうとするファフニールの体に留めることが出来ず、そのシルエットが完全に人型となった瞬間に、その全てが開放されてしまったのだ。

 立体魔法陣は一瞬で弾けとび、キャパを超え行き場を失った魔力は暴走を始める。周りに置かれていた六柱のアメジストは、その魔力の塊にぶつかって次々に粉砕された。大広間の壁に当たっては跳ね返り、木々を薙ぎ倒していく魔力の砲弾。

 広間内を粗方壊しまわった暴走を続ける魔力は、まるで意思を持っているかのように、この悲惨な状況から逃れようと身を屈めるレティに次の目標を定める。

 一直線に向かって飛んでいく魔力の塊に、少女が気付いた時は既に遅かった。黒竜の魔力が、レティのその小さな身体を打ち貫き、そして音もなく消えた。少女はその衝撃で吹き飛ばされ地面に倒れる。


 立体魔法陣の弾けた中央、未だに光の中に佇む黒い人型のシルエット。やがて光がおさまってくると、その姿を露にした。ファフニールの人化が成功したのだ。

 ローブのような黒衣を身に纏い、その腕には鎖が巻きついていた。端正な顔立ちの黒い髪をした美青年は、ゆっくりと目を開ける。その瞳はドラゴンであった時と同じ形そして色、真紅の輝きを宿していた。

 まだ焦点の定まらぬ瞳で自身の体を見つめるファフニール。


「これが、俺? ……まるで人間じゃないか」


 しばらくの間、人間となった不思議な感覚に戸惑いながらも、彼が改めて自分に起こった現象を自覚するのに、そう時間はかからなかった。


「っと、そうだった。嬢ちゃん嬢ちゃん」


 辺りを見渡しレティを探すファフニールは、その惨状に気付き目を見開く。


「こいつは……どうなってんだ? 一体、なにが起こった」


 薙ぎ倒された木々、大きく抉れた洞窟の壁、そして砕け散ったアメジスト。

 ――自分が人化している間に何が起こったのか、意識のなかった彼には理解できなかった。レティの心配をしたファフニールは、急いでその姿を探す。すると、砕けて崩れ落ちたアメジストの側で、仰向けで倒れている少女の姿を見つけた。彼は駈け寄ると、優しくレティを抱き起こす。


「おい、嬢ちゃん、おい!」


 頬を軽く叩いても、レティが目を開ける気配はない。死の心配をしたファフニールは、少女の頚動脈に触れて脈を取る。まるで人形のような触れた白磁の柔肌は温かく、トクットクッと一定のリズムで脈打っていた。レティが生きている、その事にひどく安心した男は安堵のため息をつく。


「気を失ってるだけでよかった……。しょうがない、気付けに魔力でも送ってやるか」


 そう言ってレティの額に手をかざし、自身の魔力を送ろうと力を込めた瞬間、ファフニールは自分の体の異変に気付いた。瞬きを数回して、自分の手の平を見つめる。


「あれっ? 魔法が、使えない。……俺の魔力、どこいった?」


 彼はようやくハッとして気付いた。そうして今一度辺りを見渡す。


「まさか、あの時に感じた開放感は、俺の魔力が出てったからか? そして……」


 ファフニールは目の前で気絶しているレティを見る。外傷は特にない。よくよく見てみると、穏やかに眠っているようにも見える。


「俺の魔力を、嬢ちゃんが受け止めたのか?」


 眠るように気絶している少女の小さな手を、彼は優しく握ると目を閉じた。


「っ!? ……やはりそうか。……嬢ちゃんは、ただのウィッチじゃなかった……」


 自身の魔力をレティの中に感じたファフニールは、俯いて一筋の涙を流した。零れ落ちた涙の粒は宙で固まり、美しい宝石へと姿を変え、そして地に落ちて転がった。

「すまなかったな」と聞き取れないほど小さな声で呟くと、男はおもむろに立ち上がる。

 大広間の空いた天井から外を眺めると、空はオレンジ色に染まりつつあった。


「っと、ここでのんびりしてる暇はないな。早くしないと騎士どもがやってきちまう」


 魔導書をバッグに入れて肩に掛け、少女を抱きかかえるとファフニールは振り返り、自分の居た場所を再確認したのち広間を後にする。

 約6年もの間、彼はこの洞窟内に封印されていた。苦い思い出しかない場所だったが、色々と思うところがあるのだろう、その表情は愁いを帯びている。

 暗い洞窟の闇の中でも、ファフニールの竜の瞳は洞窟内をしっかりと見据える。途中、道に迷いはしたものの、持ち前の鋭い勘に頼りなんとか洞窟を抜けることに成功した。

 暗がりの洞窟から光の世界へと出たファフニールは、目の前に広がる広大な森に驚きを隠せない。


「こんなに大きかったか、カースの森……」


 それもそのはず。体長およそ八〇メートルのドラゴンから、身長約一八〇センチの人間へと姿を変えたのだ。森が大きく見えても、それは仕方のないこと。

 彼は昔、空からこの森を眺めていたため、どの方角に行けば森を抜けられるのかを知っている。そのため、とりあえずは草原が近い西に森を突っ切ることにした。

 案の定、昔とそれほど地形が変わらないおかげで、割とすんなり森を抜けることが出来た。森を抜けたファフニールは、腕の中で眠る少女を見つめる。こうして改めて間近に見ても、懐かしい面影を見ることが出来る。

 レティを見つめる男の顔はとても優しく、その昔、悪竜と謳われ畏怖されたドラゴンだとは到底思えない。

 ファフニールは少女から視線を外し、久しぶりの外界を眺める。

 森の外には昔と変わらず草原が広がっていた。背の低い草の上を風が流れる。耳に心地よく響く自然の音。昔は当たり前に聞けていたものが、今ではとても懐かしく思える。

 すると遠くの方から、カラカラと馬車を牽く音が聞こえてきた。音が近付き、男はそちらに視線を向けると、麦わら帽子をかぶった老人と目が合った。「おや?」とその老人は、抱きかかえられているレティを見つけると、ファフニールに声をかける。


「ガーネットさんとこのレティちゃんじゃないか」

「ん? じいさん、嬢ちゃんを知ってるのか?」

「ああ知っとる。たまにガーネットさん家に魔法道具を届けたりするんでの」

「その、ガーネットさん、とやらの家を教えてくれないか?」

「あぁそれなら、この道を道なりに行くと立て看板があるからの、その十字路を右へ曲がって、そのまま真っ直ぐ進めば、レティちゃんが被っとるような帽子の形の屋根が見えてくるはずじゃよ」

「ありがとうよ、じいさん。達者でな」


 老人からガーネットの家を聞いたファフニールは話を早々に切り上げ、暗くならない内にレティを送り届けようと、魔女の帽子屋根の家へと向かい歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る