小さな魔女とファフニール
黒猫時計
01
夕暮れ時。小高い丘の上に建つ、まるで魔女のかぶる帽子のような形をした屋根の家へと、一人の少女が歩いていく。
年の頃は六、七歳といったところだろうか。黒いローブを着て、屋根と似たような形の、つばの広い大きな帽子をかぶっている。そして腕には、身の丈ほどもある植物を沢山抱え、前を見辛そうにしていた。
――突如、グルルルッ、という獣の唸り声を聞いた少女は、ハッとして振り返る。
「わぁっ!」
するとそこには、犬のような姿をした短足の二匹の魔獣がいた。今にも襲ってきそうに、涎を垂らしてエサを捕食しようと身構えている。
「なんなの、また来たの? わちになにかしたらババに言いちけてやるんだから!」
そう少女が言い放つと、“ババ”というワードを聞いた魔獣たちは、ビックリしたように目を見開き顔を見合わせた。尻尾を巻くと、我先にと、一目散に逃げ去った。
魔獣たちが逃げたのを見て、少女はホッとため息をつく。そして踵を返し、足早に目の前の家へと走っていきそのドアを開けた。
家の中はとにかく怪しげな道具で溢れていた。
壁に設置された棚には、大中小さまざまな大きさのフラスコが置いてあり、空の物はほとんどなく妖しい色をした液体が入れられている。
他には頭蓋骨や、天井から吊るされているのはトカゲだろうか、すでにカラカラに干からびている。部屋の隅には、ゴポゴポと音をたて沸騰している大きな釜が置かれており、その紫色をした液体の中では色々な物が煮られていた。
「ババ! いま帰ったの」
“ババ”と呼ばれたその人は椅子に腰掛け、テーブルに向かって本を読んでいる。年齢不詳としか言いようがないその醜い容姿。よほど本に集中しているのか、おおよそ童話にでも登場しそうな人相の悪い老婆が、しゃがれた声で適当に返事をする。
「んー、ご苦労さ~ん」
「ババ、これどこに置いておくの?」
少女は先ほど採取してきた植物の置き場所を訊ねると、
「そんなものは適当に置いておけばいいんだよ」
と、老婆はさも面倒くさそうに答える。
「うん」
それに頷きはしたものの、少女はその場から動こうとはしなかった。
「ババ……適当ってどこに置けばいいの?」
少女は適当の場所を、再度老婆に訊ねる。
「いちいち面倒くさい子だね~。適当っつったらその辺に置けばいいって、いつも言ってるだろう?」
皺くちゃの顔に、更に眉間に皺を寄せて老婆は言い放つ。
「うん、じゃああそこに置くね」
そう言って、少女は釜の上の板に植物を置こうとした。すると――
「そこはダメだっていつも言ってるだろう。まったく、落ちたら混ざっちまうだろうに。その実と葉だけとって籠にでも入れて、枝は外の魔獣にでもくれてやりな! これじゃちっとも集中できやしないじゃないのさ」
ぶつくさと言いながら、老婆はティーカップを持ちキッチンの方へと歩いていった。
少女は目をぱちくりとさせながら一人立ち尽くす。
「怒られちゃった」
あまり反省していない様子でその場に座り、少女は老婆に言われた通り植物の実と葉だけを落としていく作業に取り掛かる。鉤爪状の道具を使って器用にそれを削いでいくと、実と葉が空中に舞い、辺り一面に散らばっていった。
やがて綺麗にそれらをとり終えると、丸裸になった枝の束を持ち外へと出て行く。
夕日も沈みかけの時間。まだほんの少しだけ明るい丘に立つ少女。すると一〇〇mほど前方に、先ほどの二匹の魔獣が座っているのが見えた。
「あっ! お犬さーん!!」
大きな声で魔獣を呼ぶ。魔獣たちは一瞬ビクつき顔を見合わせると、ソロソロと少女のもとへ歩いてくる。
「はいっ! これあげるの!」
二匹の魔獣は揃って愕然とする。差し出されたのは肉ではなく、実も葉もないただの枝だったからだ。
微笑みながら手を差し出す少女を上目遣いで見上げ、肉をくれないかと目で催促する魔獣。その物乞いするような視線をさらりと流すと、少女は魔獣達に言った。
「ババが魔獣にあげろって言ったから、貰ってくれないとわちが怒られるの」
二度目の“ババ”というワードが、またもや魔獣たちを戦慄させる。その短い足はがくがくと震え、体に似合わぬほど長い尾は綺麗に巻かれ、鋭い牙はがちがちと音をたてて鳴る。
二匹は渋々、揃って少女の手元にある枝をくわえると、とぼとぼと歩き去っていった。
「寄り道しないで帰るんだよ~」
少女の言葉に振り返り、再び魔獣は歩き出す。手を振ってそれを見送ると、少女は家へと戻る。
ドアを開けて中へ入ると、目の前で老婆が腕を組み目を閉じて立っていた。
「ババ、そんなところで何ちてるの?」
「何してるのじゃないよ! あれはなんだい?」
老婆は床を指差して言った。その先には、先ほど頑張って削いだ……いや、散らかした植物の実と葉っぱが散乱している。
「あれはあとから片付けようと思ったの」
そう言うと、老婆は呆れた様子で首を横に振った。
「嘘をお言い。忘れてたんだろう? まったく。そいつを片付けるまで晩飯はなしだからね」
そう言って先に食卓に着き、老婆は一人で食事を始める。
少女は壁に立てかけてある、大きな箒と塵取りを持ち、自分が散らかした物を掃いて片付ける。
そして塵取りに集め終えると、それらを小さな籠へと移す。
「ババ、終わったの」
「ん。じゃあ手を洗っといで」
少女は洗面所の方へと走っていき、ちゃっちゃと手洗いを終わらせる。そして戻ると老婆と同じテーブルに着き、少し遅い食事を始めた。
今日のメニューは鳥獣のローストに、魔草のサラダ、そしてかぼちゃのスープにパン。
ボリューミーな食卓を前に、少女は目を輝かせている。
「なにしてんだい、さっさと食っちまいな。片づけが面倒だろう」
そう言われ、魔草のサラダにフォークを突き刺した。それを口に放り込んだ瞬間、少女の動きがピタリと止まる。
「……ババ、この草マズイの」
涙目になりながらも、少女は老婆に文句を言う。
「なに言ってんだい、魔力の底上げには、魔草をかじんのが手っ取り早いんだよ!」
「それ、嘘だもん……」
老婆の力説などまるで聞かず、椅子から下りてサラダを捨てに行こうとする少女。
「ちょいと待ちな! 何してんだい」
それを見過ごすわけにはいかず、老婆は制止する。
「だって、マズイんだもん」
「まーったく、しょうのない子だねえ。その皿をテーブルに戻しな」
自分の持つサラダを一度見つめ、少女は言われた通りテーブルに皿を置く。すると老婆は置かれた皿に手をかざし、魔法を唱え始めた。
かざした手をどけた時、皿の上にのった魔草はすでに凍っており、「砕っ!」という掛声と同時に、魔草は粉々に砕け散った。
「こいつをスープに入れて飲みな」
「ババ! それ、氷の魔法……いつ覚えたの!?」
少女は驚いた。まさか老婆が水属性の魔法を使えるなんてと。
「まったく、なんでこのあたしが氷なんて忌々しい魔法を使わなきゃならないんだい。お前が好き嫌いするから、こんなものを覚えたんだよ! だからしっかりと食べな」
どうやら老婆は、少女の為にわざわざ氷の魔法を習得したようだ。
自分が最も苦手とする属性魔法。それを習得することは相当な困難で難解なことを、この小さな少女でも知っている。
何故ならこの老婆の専門とするのは炎。しかも相当高レベルのウィッチだ。それ故に、正反対の属性を扱うためにはそれ相応の努力と忍耐、そして才能がいる。
「分かった。ちゃんと食べるの」
自分の為にしてくれたんだと頷くと、少女は砕かれた魔草の粉末をかぼちゃのスープへと混ぜる。黄色いスープはかき混ぜるごとに黄緑色へと変化し、かぼちゃのスープが大好きな少女はその見た目にガックリと肩を落とした。
「とても不味そうなの……」
「文句をお言いじゃないよ!」
ちらりと老婆を見る少女。老婆は顎で早く食べろと合図をする。
仕方なくスープをスプーンですくってみる。嫌そうな顔をしながらも、そのままゆっくりと口へと運ぶ。そして目をギュッと閉じ喉を鳴らしてスープを飲み込んだ。
「……ん? 草の味がしないの」
「そりゃそうだろう、細胞も全て壊してるからね。けどその魔草は細胞が死んでも、栄養価だけは残る優れもんだよ。分かったらとっとと食べて、さっさと片付けな」
老婆は台所へと用の済んだ食器を片付けていく。少女は少し冷めたローストチキンを食べて、パンをかじりスープを飲む。
口をもぐもぐさせながら、少女はあることを思い出した。
「ババ!」
台所に立つ老婆の背中に向かって声を上げる。
「んー? 今度はなんだい」
老婆は、また何かあったのかと、半分面倒くさそうに聞き返す。
「わち、ドラゴンに会ったの」
よほど楽しかったのだろう。少女は右手に持ったスプーンを掲げながらウキウキした様子で話す。
「そいつは良かったねー。それで? レッドドラゴンの尻尾でも切り落としてきたかい? それとも、髭でも引っこ抜いてきたのかい? もしかしたら、牙をへし折ってきたのかもしれないねー」
こんな小さな女の子に、そんなことはありえないだろうと思いつつも老婆は適当に相槌を打つ。
少女は首を左右に振ると老婆に言った。
「ちがう。ファフニールに会ったの」
「へえ~、そいつは凄いねー……って、はあぁぁぁあ!? ファ、ファフニール?!」
驚きの声は裏返り持っていた皿は手から滑り落ち、床に落ちてガチャンと音をたてて割れる。両手はワナワナと震え、老婆は空いた口が塞がらない様子だ。
タオルでさっと手を拭き、ニコニコしながら足をバタつかせて椅子に座っている少女へと詰め寄っていく老婆。
「あれほど行ってはいけないと言ったのに、お前は行ったのかい? あの混沌の洞窟に!?」
「うん、わち一人で行ってきたの」
凄いでしょ? と言わんばかりに大きな手振りでジェスチャーする少女を、老婆は戒める。
「うん、じゃない。馬鹿かお前は!」
「うわぁ!」
急に荒げられた声に、少女はビックリして椅子から落ちそうになった。
「ファフニールは悪竜なんだよ。喰われても知らないからね」
少女はそんなことないと首を振り、老婆へと反論する。
「ファフニールはいい子なの」
「いい子にしてたら、今頃あんな所であんなことになってないだろう?」
「でもおもちろかったもん」
「はあ~……お前は頭がいいのか悪いのか、よく分からない子だねぇ」
老婆は呆れた様子でため息をついた。
「悪竜ファフニールはねえ、村や街を襲って人を大勢喰ったんだ。財宝まで奪って。だから洞窟にああして鎖で縛られてんだよ」
「ファフニールはそんなことしないの。だってわち、食べられなかったもん」
少女はまさかと言った様子で老婆に意見する。こめかみを押さえた老婆は首を横に振った。
「今回は運が良かっただけだ。次はないからね! 分かったら、もう近付くんじゃないよ!」
そう言って釘をさすと、老婆は洗い物へと戻っていった。
その丸い背中を見つめ、少女は一人思量する。ファフニールはそんなことしないはず。明日行って確かめなきゃ、と。
残りの料理を口に放り込み、食器を老婆のもとへと持っていく少女。
「食べ終わったんなら、さっさと風呂にでも入って、とっとと寝な」
「うん」
老婆の言葉に頷くと、少女はリビングを出て脱衣所へと向かう。衣服を大雑把に脱ぎ洗濯機の中に放り込むと、バスルームへと入っていった。
かぼちゃの葉の形をしたシャンプーハットを頭にかぶると、少女はまず髪を洗う。洗っている最中、少女が目を開けることはない。シャワーで髪を丁寧に流し終えると次に身体を洗い、その泡を流し終えるとなみなみに溜まった湯船の中へとダイブした。勢いよく飛び込んだため、大量のお湯がまるで津波のように湯船から溢れ出す。
今日も一日頑張った、そう思いながら湯船に浸かり疲れを癒す。十分ほど浸かり、お風呂から上がると老婆の呼ぶ声が聞こえたため、少女は急いで身体をタオルで拭き、パジャマに着替える。
そしてリビングのドアを開けると、なにやら怪しい煙が立ち込め霞がかっていた。
「ババ、どうちたの?」
「どうしたもこうしたもないよ! お前が拾ってきた植物、種類間違えてただろう?」
よく見てみると、煙の出所は調合用テーブルに置かれたフラスコからだった。アルコールランプで熱せられたフラスコの中には青色の液体と、先ほど少女が採ってきた植物の実と葉が入れられていた。液体はコポコポと音をたてて湧き上がり、フラスコの口からはモクモクと緑色の煙が立ち昇る。
「そうなの?」
「そうなの! まったく。ほれ、さっさと換気だよ、か・ん・き!」
「うん」
老婆に指示されて、少女は部屋の窓を全て開けていく。新鮮な空気が部屋の中へと流れ込み、立ち込めていた緑色の煙は少しずつ薄くなり、やがて消えていった。
「あれほど間違え易いからって、何度も教えたろう?」
「でもわち、ちゃんと見たもん」
「見たのなら間違えないだろう」
やれやれといった様子で頭を押さえる老婆。少女は口を少し尖らせて拗ねている。
「まったく、しょうのない子だねえ。もう寝る時間だよ。子供はさっさと寝な」
「ババ、ごめんなさい」
「ん、今度から間違えるんじゃないよ。おやすみ」
「おやすみ」
少女は少ししょんぼりしながら、二階へと繋がる螺旋階段を上がっていく。
老婆はそれを見届け、先ほど落として割ってしまった皿を片付けに入る。
「やれやれ、なんであんな子拾ってきちまったんだろうねえ――」
呟くと、集めた皿の破片を持ち外へと出て行った。
少女は自室に入ると、椅子に座り机に向かう。そして紙とペンを取り出して何かを書き始めた。
どうやら今日持ち帰った植物に関してのようだ。間違えやすい見た目の特徴などを箇条書きしていく。しかも挿絵まで描いている。……とても上手だとは言えないが。
「ふぁ~あ」
小さくあくびをすると、色鉛筆を手に取り挿絵に色を塗っていく。緑に茶色、そして実は桃色だった。
やがて色を塗り終えると、出した道具をちゃんと元の位置へと戻す。片付けないと老婆に怒られるからだ。
片付け終えた少女は眠たそうに目を擦り、ベッドの中へと入っていく。
「明日はファフニールに会わなくちゃいけないから、早く起きなきゃ」
少女は枕元に置かれていた、くまのぬいぐるみを抱いて眠りについた。
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