02

 ――翌日――。

 鳥も鳴くどころか、まだ目覚めたばかりの早朝。


「レティー、さっさと起きな~」


 老婆の呼ぶ声で少女、レティは起床する。ウェーブがかった美しいブロンドの長い髪は、寝癖でボサボサになってしまっていた。目は半開きで、まだ眠たそうだ。

 朝食の匂いだろうか、リビングから良い香りが少女の部屋まで立ち上ってくる。鼻腔をつく香りはどこか甘く、レティはその匂いにより完全に目が覚めた。


 くまのぬいぐるみを枕元へ置き、少女はベッドを出てそのまま部屋から出て行く。

 階段を下りてリビングへ向かうと、老婆が丁度ホットミルクを入れているところだった。


「ババ、おはよう」


 レティは老婆に挨拶すると、老婆も少女に挨拶を返す。


「ん、おはよう。ほれ、さっさと顔を洗ってきな」

「うん」


 頷き、顔を洗うために洗面所へと向かう。大人サイズの高さの洗面台はレティには届かない為、レティでも使えるようにとお立ち台が置かれていた。

 それに登ると蛇口をひねり水を出し、両手で水をすくって顔を洗う。冷たい水が心地いい。

 洗面台横のボックス棚からタオルを一枚取り出し、タオルを広げて濡れた顔を拭くと、レティはリビングへと戻る。

 テーブルでは、新聞を広げた老婆がすでに着席し、少女が来るのを待っていた。リビングにレティが戻ったのを確認すると、老婆は読んでいた新聞を畳んで先に挨拶する。


「それじゃ、食べようかね。いただきます」


 椅子によじ登りレティも着席すると、同じく「いただきます」と言って食事を始める。

 今朝のメニューはパンと鳥獣の卵の目玉焼き、それとデザートにかぼちゃのプリンがあった。


「かぼちゃのプリンだ!」


 少女は嬉しそうに、前のめりになってプリンを見つめる。老婆の作るかぼちゃプリンがレティの大好物だった。


「これはただのかぼちゃプリンじゃないよ。ほれ、あそこを見てごらん」


 そう言って老婆は窓際のサイドボードの上を指差した。そこには目と鼻、そして大きな口がギザギザにくり貫かれた、大きなかぼちゃが置かれている。


「あっ! ジャック~!」


 よほど嬉しかったのか、椅子から飛び降りてサイドボードの方へと走っていく少女。


「こら、食事中に席を立つんじゃないよ!」


 老婆に怒られて、レティはしぶしぶ椅子へと戻っていく。


「ババ、このプリンはジャックなの?」

「ああそうさ。やっといい大きさになってきたからね~。そろそろ復活してもらわなきゃ、手が足りないんだよ、色々と」


 それを聞いた少女は満面の笑みで、瞳を輝かせた。


「わちも手伝う!」

「お前はいいよ。魔法の勉強でもしてな」


 老婆に申し出を断られたレティは、頬を膨らませてブーブー言っている。


「こいつの良し悪しは魔力の質で決まるんだ。お前みたいに魔力の不安定なヒヨっ子には、まだ任せられないねえ」

「わちだってお手伝い出来るもん……」


 老婆にヒヨっ子呼ばわりされ、フォークを持ったままレティはとうとう不貞腐れてしまった。


「……ふ~、やれやれ。だったら乾燥だけでも手伝うかい?」

「うん! ババありがとう!」


 手伝いの許可が下りて、少女は大層嬉しそうにはしゃいでいる。


「なら早速、今日からやってもらおうか。絶対に燃やすんじゃないよ!」


 老婆にそう言われ、レティは少し困った表情をした。今日はファフニールに会いに行く用事がある。


「ババ、今日はわち、お散歩に行くからダメなの」


 そう言うと、それを聞いた老魔女はあからさまに怪しいという顔をした。


「散歩? それならまあ仕方がないねえ。けど……洞窟には行くんじゃないよ」


 老婆は再度念を押す。またファフニールに会いに行って、今度こそ何かないとも限らない。

 自分の目的をこんなことで潰されてたまるか、老婆はそう思っていた。

 レティはレティで、老婆に自分の目的を知られていないと思い、内心ホッとしている様子。


 互いにそんなことを考えているとは露知らず、少女はパンを手に取り、一口サイズに千切って口に放り込む。そして砂糖入りのホットミルクを飲んでは頬を緩ませている。

 目玉焼きは黄身の部分だけを上手に残して食べ、残り一口になったパンに黄身を乗せて食べる。レティは目玉焼きの時はいつもこうしている。

 そうしてようやくパンを食べ終えた少女は、とっておきの大好物、ジャックのかぼちゃプリンに手を付けようとしていた。

 満面の笑みでプリンを見つめるレティに、老婆は声をかける。


「そんなにそれが好きなのかい?」

「うん!」

「他のとそんなに変わらないだろうに」

「ジャックは他のかぼちゃさんよりも甘くて美味しいの」


 少女は他のかぼちゃとジャックとの違いを、身振り手振りを交えながら老婆に熱演している。老婆はそれを呆れた様子で見てはいるが、口元は緩んでいた。


「なら、レティが散歩に行っている間は、あたしがジャックの乾燥を進めておこうかねえ」


 そう言って席を立ち、老婆は食器を片付けに行く。


「うん。わちもすぐにお手伝いするから」


 そしてレティは、かぼちゃのおばけ――つまりはサイドボードの上に置かれた、ジャックのような形の容器に入った、かぼちゃプリンをスプーンですくい味わって食べる。

 そのあまりの美味しさに、両手で頬を押さえて一人で感激している。


「あまり遠くへは行くんじゃないよ」

「はぁい」


 老婆の言葉に、スプーンを上に掲げてレティは返事をした。プリンを食べている最中、少女の鼻歌が止むことはない。この歌は、ジャックと共に作った歌で、ジャックを食べる時にはいつも歌っている。

 やがてプリンを食べ終えたレティは、ジャックの方へと歩いていく。そしてその頭を一撫でするとお礼を言った。


「今日もおいちかったの。また食べたいな~」

「何度もこんなことになってたまるかい!」


 にへらと笑うレティの言葉を聞いた老婆は、何故かぼやいている。

 ジャックに向かって手を振ると、少女は洗面所へと向かった。

 まず歯を磨き、顔を洗い、そして次に楕円形のヘッドをしたヘアブラシを取り出した。柄の部分にはこの大陸でしかとれない貴重な宝石『レインボークラス』が散りばめられている。

 黒狼と呼ばれる魔獣の最高級の毛を使った櫛を髪に当てると、ボサボサの寝癖を丁寧に梳いていく。するとレティの自慢の髪はみるみるうちにその本来の姿へと戻っていった。金色と呼ぶに相応しい、緩やかにウェーブがかった艶々の髪。誰が見ても綺麗だと言うだろう。


 そうして髪を整えた少女はそのまま自室へと向かう。

 部屋へ入るとパジャマを乱雑に脱ぎ捨てクローゼットの前へ……。しかし一度振り返り、脱ぎ捨てたパジャマをしばし見つめたあと、それをしっかりとたたみ直す。

 それからクローゼットの扉を開け、真新しい濃紫色のローブを引っ張り出すと、頭からすっぽりとかぶり顔を出す。そして両手を袖から出し、服の中に入った髪を外へと出して鏡の前へ。老婆が作ってくれたローブの裾を広げては、体を右へ左へと反らせるレティ。


 鏡の隣に置かれた背の低いポールハンガーから、丸めたベルトを取り腰に巻くと、次に魔女の帽子を取り外しそれをサッとかぶった。

 三角の形をした帽子は途中で折れ、その先端部には小さなかぼちゃのアクセサリーが付いている。レティが老婆に頼んで付けてもらった物だ。

 少女は帽子のつばを持ち少し押し下げる。ようやく準備が整い、さっそく出かけようと思い部屋を出ようとしたが、レティはその足を急に止めた。


 何かを思いついたように机へと歩いていくと、引き出しを開けて中から長方形の缶の箱を取り出す。

 その蓋を開けると、中には個包装された様々な種類の、色とりどりのお菓子が所狭しと入れられていた。レティはその中から飴玉をいくつか取り出すと、ローブのポケットへしまう。そして箱を引き出しへと戻し部屋をあとにした。


 階段を下りてリビングへ入ると、老婆がジャックの頭の前に立っていた。どうやらこれから、腐敗防止の為の魔力注入を始めようというところだった。


「ババ、わちちょっと散歩に行ってくるの」

「ん、遅くならないように帰って来るんだよ」

「はぁーい」


 手を上げて老婆に返事をすると、少女はスリッパをベルト付きの黒いブーツに履き替える。そして勢いよくドアを開けて外へと出て行った。

 その様子をじっと見ていた老婆はしきりにあのことを気にしている。


「……本当に大丈夫だろうねえ」


 レティがまた、ファフニールのいる洞窟に近付きはしないかと、老婆は気が気でない様子。


 家から出た少女は軽快な足取りで歩いていく。帽子に付いたアクセサリーは、歩くたびに揺れては喜怒哀楽とその表情を変化させ、ローブの裾は風になびいてふわふわと踊る。

 レティは周りをキョロキョロと見渡し、魔獣の存在を確認しながら歩いていく。どうやら今日は出くわさないみたいだ。

 やがて道の分かれ道に立った少女は立て看板を見る。右へ行くとクーリエの街へ。そして左へ行くとカースの森へ。ファフニールのいる洞窟は、カースの森の奥深くにあるため、レティは迷わず左の道を選択する。

 そのまま道なりに歩いていくと、森への入口が見えてきた。広大な森は、ある種の不気味さを醸し出しつつも、全てを内包するような温かさも感じられる。

 何度も老婆のお使いで来たことのある少女は、この森を熟知している。当然のことながら、混沌の洞窟への近道も知っている。


 森へと入ったレティは、その脇にある木々で囲まれた小さなトンネルの前に立った。大きさは、大人では身を屈めてでしか通れないような狭さだ。だが小柄なレティには丁度いい。

 目の前のトンネルへと入り、獣道を突き進む。動物たちもここを通るのだろう、レティの足元にはたくさんの獣の足跡が付いている。

 そうして十分ほど歩くと、トンネルを抜けて広い場所へと出た。

 少女の後ろにはうっそうと茂った森、そして目の前には、三百メートル程の高さもある断崖絶壁、その中腹まで大きく口を開けた洞窟の入口が見える。

 入口の左右には松明が置かれ、上には『ファフニール封印の地』と書かれたプレートが打ち付けられていた。


 レティは洞窟の入口に立つと、手の平を上に向け静かに目を閉じ、なにやら魔法を唱える。

 空中には複雑な模様をした魔法陣が浮かび上がり、白い光を放ちながらゆっくりと回転を始めた。


「彼方より来たりち光明、闇を照らせ、《ウィル・オ・ウィスプ!》」


 すると魔法陣は回転速度を増しながら収縮し、少女の前に光の玉のようなものが現れた。球体だったその光は、徐々にその姿を変えていく。

 まるで栗のようにイガイガとして、目や口、そして手のようなものが浮き出てきた。

 レティが唱えたのは、光の精霊を召喚するための魔法だ。

 召喚魔法は、数ある魔法の中でも高等魔法に位置する。しかも少女が呼び出した光の精霊、ウィル・オ・ウィスプは、四元素の精霊を呼び出すことよりも遥かに難しいとされる。


「なんだレティか……って、またこの洞窟? ばあちゃんに怒られるよ?」


 光の精霊は少女に対して口を利いた。しかし、呼び出された場所が昨日来たばかりの、しかも老婆に行ってはならぬと固く禁じられている場所であったことから、精霊はあからさまに嫌そうな顔をした。


「ウィル、ババに言ったらダメだからね」

「まぁ言わないけどさ。そもそも、レティがボクを召喚出来ること、ばあちゃんは知らないでしょ」


 ウィルは肩をすくめる様な仕草をし、少女の周りを浮遊する。


「だって、言ったら怒られるもん」

「ばあちゃんに黙って、勝手に魔導書を読むからだよ」


 もっともな物言いに、少女は頬を膨らませてそっぽを向いた。

 レティの機嫌を損ねてしまったのかとウィルは思い、頭をポリポリと掻いて気まずそうだ。


「そんなことより、早く入って用事を済ませたほうがいいんじゃない? ファフニールに会いに来たんでしょ? あんまり遅くなるとばあちゃんに怒られちゃうよ」

「あっ、そうだった。行こう、ウィル」


 当初の目的を忘れるところだったレティは一瞬で立ち直ると、精霊に声を掛け暗い洞窟内部へと一緒に入っていった。

 洞窟の中はとにかく薄暗く、とりあえず松明が置かれてはいるものの、まだ昼間だからか一つも灯されてはいなかった。

 ここの警備を任されている者たちは王国から派遣された騎士たちで、主に警備は夜間に行われている。そのため、昼間は松明に火を付けないのだ。

 しかし召喚したウィルのおかげで、洞窟内はまるで外と同じくらいに明るい。ふよふよと浮かぶ精霊の後ろを、レティはちょこちょことついて歩く。

 狭い通路を抜け階段を下り、そしてまた通路を抜け階段を登る。まるで迷宮のような構造になっている洞窟を進むと、やがて広い場所へと出た。

 洞窟内部だというのに、この大広間だけは別世界だった。

 天井はなく空が望め、太陽の光が燦々と降り注いでいる。木々がいたる所に生え、小さな湖までもがあった。

 光と水、そして緑が織り成す幻想的なその様は、まさに秘境の絶景と呼ぶに相応しい。そんな美しい風景の中で、異色の物体が、特にその存在を主張している。


 ヘキサグラムの頂点にそれぞれ配置された、高さ五メートル程もあるアメジスト。その魔法陣の中央に、四肢を鎖で繋がれて、少し窮屈そうに折り曲げられた巨大な体躯。まるで闇そのもののような、その体はまさに漆黒。体表はゴツゴツとして、とても頑丈そうな鱗に覆われている。

 人の気配を感じたのか、そのドラゴンの耳はピクリと動いた。そしてゆっくりと顔を上げ目を開けると、その人物の方へ紅い瞳を向けて声を上げる。


「なんだ嬢ちゃん、また来たのか?」


 黒竜ファフニールは低い声で少女にそう言うと、小さくため息をついた。

 レティはまったく臆することなく、巨大なドラゴンへと近付いていく。ウィルはというと、いつの間にやらその姿を消していた。


「わちが来たら迷惑なの?」

「……迷惑ってことはないけどな、大人に怒られるだろう?」


 首を傾げて自分を見つめる少女に対し、ファフニールは頭を横に振り答える。


「ところで今日はどうしたんだ? またお使いか?」

「ううん、今日はおつかいじゃないの」

「そうか、そいつはよかったな。しかし、お使いじゃなけりゃ何用だ?」


 黒竜は頭を地面に降ろし、少しでも少女と視線を合わせようとして対話する。


「今日はファフニールに聞きたいことがあってきたの」

「ほぅ……聞きたいこと?」

「うん。ファフニールは悪い竜なの?」


 ドラゴンを真っ直ぐに見つめ、レティは少し不安げな表情で質問した。あまりにも唐突で漠然とした質問に、ファフニールは数回瞬きをした後少女を見つめ返す。


「いきなりだな。だが……そうさ、俺は悪竜だからな」


 ファフニールはケラケラと笑って、得意げにレティに言ってみせる。


「本当? ……人をたくさん食べたの?」

「ああ。喰った」


 少女の問いに黒竜は、さも当然のように即答する。


「どうちて?」

「……どうして? 嬢ちゃんよ、竜が人を喰らうのに理由がいるのか?」

「う~ん、分かんない。でも、ファフニールは悪い子じゃないと思うの」


 レティはファフニールの目の前まで行くと、その場でしゃがみ込んだ。そして、スッと小さな手を差し出して、ドラゴンの鼻筋を撫でる。


「はぁ~。嬢ちゃんは変わった人間だな。悪竜って呼ばれてるんだ。悪い竜じゃないわけがないだろう?」


 呆れた様子のファフニールは大きく息を吐いた。レティはその強風に飛ばされそうになりながらも、その場でじっとしている。


「ババは危ないから近付いちゃダメだって」

「……ババ?」

「うん。紅蓮の魔女なの」

「紅蓮? 紅蓮……もしかしてガーネットのことか!?」


 ファフニールは驚き上体を起こす。そして少女の顔をまじまじと覗き込んだ。レティは、いきなりどうしたのかと不思議そうな顔でドラゴンを見上げる。


「……? そうなの。ファフニールはババを知ってるの?」

「ああ、よく知ってるさ。俺をここに縛り上げた、四人の魔女の一人だからな」

「ババが!?」

1

 まさかあの老婆が、この強大なドラゴンを封じた魔女の一人だったとは思いもよらなかったのだろう。レティは目を見開いて、大層驚いた様子でファフニールを見つめ返す。


「そうだ……。あれは、嬢ちゃんが生まれたばかりの頃の話だ」


 昔を振り返るように遠い目をして、黒竜は語り始めようとしていた。


「……」

「うん? どうした嬢ちゃん?」

「……話、長くなりそう?」

「まあ少しな。そうだ、ちょっと待ってな」


 そう言ってファフニールは、長い尻尾を地面に勢いよく叩きつける。まるで地震でも起こったのかと思うほど地が揺れ動き、木々は激しく葉を揺らし湖はその波紋を広げていく。そして尻尾を叩きつけた衝撃で舞い上がる、手ごろなサイズの岩石を竜は器用に手で掴む。

 掴んだ岩石を少女の前にそっと持っていくと、それを下ろして即席の椅子を作った。


「嬢ちゃん、そいつに座るといい」

「うん。ありがと」


 レティは作ってもらった椅子に腰掛けお行儀よく座ると、どうぞ、とファフニールに話をするよう促す。

 ゴホンッと一度咳払いをして、黒竜ファフニールは話し始めた。

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