04

 部屋へ入ったレティは帽子を脱ぐと、スタンドミラー横のポールハンガーにそれをかける。

 走っている途中は怒っていたかぼちゃのアクセサリーは、自分の定位置に戻されるとその表情を喜びへと変えた。

 アクセサリーが笑ったのを確認すると、少女は微笑みそして部屋を出ていく。

 階段をおりてリビングへと足を踏み入れると、キッチンで夕食を作っているガーネットの背中が見えた。

 ファフニールの話によれば、老婆は黒竜を封じた魔女の一人ということらしいが、なぜガーネットは話さなかったんだろう……。少女は考え深げに、ガーネットの丸い背中を見つめている。


「レティ、こいつを運んどくれ」


 ガーネットは、ボーッと突っ立っている少女に声を掛けると、かぼちゃの煮物が入った皿を差し出す。レティは老婆の方へ歩いていくと、落とさないように両手で皿を支え、テーブルへと運んでいく。

 次々に差し出される皿を、順にテーブルへ運び終えたレティは自分の席に座る。少し遅れてガーネットも席に着くと、自分と少女のコップへお茶を注ぎ入れた。


「なら、食べるとするかね。いただきます」

「いただきます」


 ガーネットに合わせてレティも挨拶すると、二人揃って食事を始める。

 ナイフとフォーク、そしてスプーンが食器にぶつかる音だけが響くリビング。

 ガーネットはちらりと少女の様子を窺う。

 レティはただ黙々と料理を食べ進めている。いつもと様子が違う少女を、不思議に思ったガーネットは口を開いた。


「今日はやけに静かだねえ。何かあったのかい?」

「えっ? ……ううん、なんにもないの。ちょっと考え事」


 それだけ言うとレティはまた黙り込み、食事を続ける。ふーんと頷いたものの、いつもと違う雰囲気に老婆は少しつまらなさそうな顔をした。


「あ~そうだった。レティ、明日はクーリエまでお使い頼むよ」

「え~、わち明日もお散歩いくのに」

「なんだい、そんなに大事な用なのかい?」

「うん、大事な用なの」

「……なら仕方ないね。ジャックが出来たら頼むとするか」


 ようやくいつもの小生意気なレティらしくなったと、ガーネットはひと安心したが、気付けば少女は食事を終え、食器を片付けようとしていた。


「もう食べないのかい? あたしの肉をやろうか?」

「わち、もうお腹ポンポンだもん」


 肉の皿を差し出す老婆を尻目に、レティは食器をシンクへと持っていく。


「ババ、ごちそうさま」


 そう言うと少女は、リビングを出て行きバスルームへと向かった。

 なにか様子がおかしい。そう思ったガーネットは、一人残されたリビングで寂しい食事を続けるのだった――。



 お風呂から上がったレティは、パジャマに着替え髪を乾かし、そしてリビングへと戻る。

 リビングでは、ガーネットがティーカップ片手に相変わらず魔導書に向かっていた。


「ババ、おやすみ」


 レティは老婆にそう言うと階段をあがっていく。それを見ていたガーネットは怪訝な顔をしている。

 ふと魔導書に視線を落とす。しばらく一点だけを見つめていたが、やがて顔を上げるとあることを思いつく。


「そうだ、レティに監視をつければ……いや駄目か。……でも、明日一日くらいなら……」


 ガーネットは魔導書を置き、立ち上がると空中に魔法陣を描いた。

 レティが召喚したウィルとはまた違った形の魔法陣。複雑な模様、そして禍々しい気配を醸し出す円は、紫に発光し黒い煙が溢れている。

 老魔女が詠唱を始めると、少しずつ魔法陣は回転しその輝きを増していく。


「深遠なる闇の彼方、暗黒の岬より来たれ、《ルナ・ルミナス!》」


 魔法陣は光と煙を巻き込みながら収縮し、霧散するとそこから現れたのは、黒くて長い髪をした少女だった。紫色のローブを一枚だけ纏った、赤い目をした少女は老婆に視線を向ける。


「あらおばあちゃん、私を呼ぶなんて久しぶりじゃない。 いったい何の用かしら?」


 少女は艶々のストレートの髪をかき上げながらそう言うと、テーブルの端に腰掛けた。

 ガーネットが召喚したこの少女は闇の精霊、ルナ・ルミナス。光の精霊であるウィル・オ・ウィスプと対をなす存在だ。難易度的にはルナを召喚することのほうが、ウィルを召喚することよりも難しいとされる。

 基本的に召喚には触媒は必要ない。あるのは精霊との契約だけだ。

 しかし中には例外もあり得る。


「おばあちゃんじゃないよ! 好きでこの姿になったわけじゃない」

「……まあそうだったわね。それで、私になにか用?」

「お前さんにレティの監視を頼もうと思ってねえ」

「監視? あのおチビちゃんの? いやよ、めんどくさい」


 ルナは嫌そうな顔をして首を左右に振ると、足を組んで不遜な態度を示す。


「どうやら、何か怪しい動きをしてるようなんだ」

「怪しい動き、ねえ。……そんなのほかっとけばいいじゃない」

「よくないわ! ……もちろんタダでとは言わない。明日1日働いてくれたら、“ダークマター”をやろう」


 ダークマターと聞いたルナの耳はピクリと動いた。

 ダークマターとは、闇の中で生まれた、闇が凝縮された魔石。闇属性の魔法を使うと、極稀にその周囲に形成されることもある。滅多に手に入らないそれは、ルナの大好きな石だった。

 それまでそっぽを向いていたルナだったが、ゆっくりと老婆に向き直ると、その瞳は輝きに満ち満ちていた。


「本当っ!?」

「嘘は言わないよ」

「やる!! やるわっ! ダークマターには代えられないもの」

「なら明日、レティが家を出て行く時にでも、あの子の影に入っとくれ」

「分かったわ」


 ガーネットの頼みを、物に釣られて快く承諾した精霊は、一度頷くとスーッと消えていった。



 ――その頃レティは、自室で明日の準備に勤しんでいた。

 鼻歌を歌いながらオレンジ色の大きなトートバッグの中に、お菓子の袋を詰め込んでいく。そして机の一番下の引き出しを開けると、分厚い本のようなものを取り出した。

 表紙には『まどうしょ』と書かれている。どうやらレティが書いた字のようだ。丁寧に書いたつもりなのだろうが、字体は整っておらず、正直言って下手だ。

 その魔導書もトートバッグへ一緒に入れると、少女はようやくベッドへ入り眠りに就いた。



     ◇◆◇◆◇



 ――翌日――。

 くまのぬいぐるみを抱きながら目を覚ましたレティは、上体を起こして眠たそうに目を擦る。ベッドから出ると、そのまま部屋を出て階段をおりていく。リビングでは、まだガーネットが朝食の準備をしている最中だった。


「ん? レティ、今日はやけに早起きだねえ」

「はやく目が覚めちゃったから起きたの」


 目を擦りながらそう言うと、少女は洗面所へと歩いていく。

 ガーネットは朝食の準備を進め、出来上がったものをテーブルへと運ぶ。今朝はシンプルにバゲットと目玉焼き、そしてベーコンをバターで炒めたものだけのようだ。出来立ての朝食は湯気を上げて、美味しそうな匂いを漂わせている。

 老婆が椅子に座る頃、ようやくレティが洗面所から戻ってきた。

 前髪を少し濡らして歩いてくる少女の目は、完全に眠気から開放されている。


「ババ、おはよう!」

「ん、おはよう。ほれ、さっさと座りな」

「うん」


 レティも席に着くと、二人は揃って食事を始める。

 いつもより機嫌のよさそうなガーネットを、少女は不思議そうな顔をして見ている。


「ババ、なにかいいことでもあったの?」

「ん~? なんでもないさ。いつもと変わらないだろう?」

「そうかな?」


 小首を傾げながらも、レティはパンを千切っては食べる。

 二人はいつもと変わらぬ会話をしながら食事を続ける。やがて食べ終えると、ガーネットは後片付けへ、そしてレティは洗面所へと向かった。

 歯磨き、洗顔、ブラッシングと、いつも通りのメニューをこなし、少女はリビングへ戻ると二階への階段を駆け上がっていく。一日経って足の疲れもすっかり取れたようで、軽快な足取りだ。


 自分の部屋のドアを開けて中へ入ると、パジャマを脱いでローブに着替える。そのままポールハンガーに手を伸ばし、帽子を外すと深くかぶった。急に掴まれた為なのか、それとも定位置から離れたくないからなのか、帽子のアクセサリーは哀しみの表情をしている。

 レティは帽子のことなどお構いなしに、机の横にかけておいたトートバッグを取りに行く。そして再度、中身のチェックをする。……どうやら持っていく物は全て揃っているみたいだ。少女はにこやかに、うんうんと頷いている。

 ようやく準備が整ったレティは、バッグを持って部屋を出て行った。


 リビングでは、ガーネットがいつもの場所で魔導書を読んでいる。レティに怪しまれない様に、自分自身がおかしな挙動をしないように、いつも通りに振舞おうとしていた。

 どこか抜けているようでいて、その実、意外にも鋭い一面がレティにはある。本人にはその自覚すらないかもしれないが……。ガーネットは、今まで何度か指摘されてきたことを少しだけ思い出していた。


 するとそこへ、ちょうどレティがリビングへと入ってくる。少女のサイズには合っていない、幅八十センチほどもある大きなバッグを肩にかけ、玄関へと歩いていく。


「ずいぶん大きな鞄だねえ、遠足でも行くのかい?」

「ババ、わち、ちょっとそこまで行ってくるの」

「そうかい? なら、気をつけて行っといで」


 レティに声をかけると、老婆は玄関脇の影へと視線を移す。するとその影からルナが姿を現した。ガーネットは目配せすると、精霊は一度頷いて、玄関のドアを開ける少女の影の中へ飛び込んだ。


「じゃあババ、行ってきま~す」


 自分の影の中にルナが入ったことすら気付かずに、レティは老婆に手を振り外へと出て行った。

 ルナからの報告が今から楽しみなのだろう、少女の背中を見送るガーネットの顔はにやけている。


 家から出たレティは、カースの森へと急ぐ。昨日とは違い、今日は少々重い荷物を持っている。しかし少女は歩くスピードを上げた。少しでも早く洞窟に着いて、ファフニールの為に時間を使いたい。逸る気持ちを抑えながらも、レティは森へとひた走る。

 森へ着いても少女の足が止まることはない。そのまま獣道に入り、洞窟を目指す。

 やがて木々のトンネルを抜けると、少し息を切らしながらも、レティは洞窟入口へ到着した。ただひたすらに森を突っ切ってきたせいで、ローブには沢山の葉っぱがくっ付いている。


 少女は服に付着した植物の葉を払い落とす。そしていつものように、魔法陣を描きウィルを召喚した。

 光の中から現れたウィルは、どこか疲れた表情をしている。


「ウィル、どうちたの?」

「はぁ~、なんでもないよ。行こうか……」


 そう言うと精霊は、肩を落としながらゆっくりと洞窟の中へ入っていった。

 レティはそれを見て首を傾げる。しばらくウィルの後ろ姿を見つめていたが、ハッとして洞窟の中へと消えていった精霊を追いかける。

 洞窟の中は相変わらず真っ暗で、ウィルがいなければ、どこをどう歩いていいのかすら分からないほどだ。


「うぅ……目がしぱしぱするよ」

「どうちて?」

「……寝不足だから……」


 少女の少し前を行くウィルは、時折目を擦りながら浮遊している。右へ左へと、その軌道は頼りなくおぼつかない。

 道中、何度も道を間違えそうになり、その都度、レティに怒られる精霊。しょんぼりしながらも、少女の為に暗い洞窟を照らし続ける。

 やがてファフニールのいる大広間付近に来ると、ウィルは完全に目を閉じ無言のまま消えていった。レティはウィルに礼を言い、一人、大広間への一本道を歩いていく。

 暗闇を抜けて視界が開けると、ドラゴンが寝ているのが見えた。少女は、低い寝息をたてるファフニールに静かに近付いていく。忍び足で歩く少女に、ドラゴンはまるで気付く気配がない。しかし、砂地に足を踏み入れた時、履いているブーツが砂と擦れて音が鳴り、それによってファフニールが目を覚ました。

 ゆっくりと頭をもたげる黒竜の目は、眠気からかしょぼしょぼしており、いまだレティに焦点が定まっていない。


「嬢ちゃんか……今日は少し早いな」

「うん! 早くファフニールに会いたかったから」

「そうか。ところでキャンディは持ってきてくれたか?」

「うん。でも今日はキャンディだけじゃないの。お菓子いっぱい持ってきたから」


 そう言ってレティは、肩にかけたバッグを下ろして中を漁る。そしてお菓子の詰め合わせ袋を取り出して黒竜に見せた。

 眠たそうにしていたファフニールは、ほのかに香るお菓子の甘い芳香を嗅ぎ付け、完全に覚醒した。


「おおっ! しかし嬢ちゃん、昨日貰ったキャンディがまだ残ってるんだが」


 ファフニールは自分の手元に視線を移す。そこには、昨日レティが帰り際にあげた飴玉がまだ転がっていた。三つの内の一つは割れて砕けている。


「どうちて食べなかったの?」

「食べようとしたんだがな……透明の外そうとしたら砕けちまって……」

「そのまま食べればいいのに」

「この透明のは不味そうだろ?」


 楽しみにしていたキャンディを食べられなくて、ファフニールは悲しそうな瞳を少女に向けている。その目は涙で潤んでいるようだった。


「しょうがないなぁ。わちが食べさせてあげるから」


 レティはそう言って黒竜の手元まで歩いていき、地面に転がる飴を拾い上げて包装紙を外す。そしてファフニールの口元に飴を持っていくと、ドラゴンは口を開けて飴を待つ。


「なんだかファフニールって、かわいいの」

「あ~……ん? 可愛い? なんだそれ。それより嬢ちゃん、キャンディをくれ」


 ファフニールは再び口を開ける。少女はその様子をクスクスと笑い、その口に飴を放り込んだ。口を閉じて甘さを味わう黒竜は、目も一緒に閉じられている。


「やっぱり美味いな。それよりもだ、今日は随分と大きな荷物だな。全部お菓子なのか?」


 オレンジ色の鮮やかなトートバッグに視線を移したファフニールは、心なしか瞳が輝いているように見える。


「ちがうの。ファフニールを人間にするための研究をするんだよ。だからほら……」


 そう言って少女はバッグから魔導書を取り出した。そして、昨日ファフニールが岩で作ってくれた椅子に腰掛ける。


「魔導書、か? それは嬢ちゃんのか?」

「そうなの」

「中を見せてくれないか」

「うん、いいよ」


 ドラゴンは地面に頭を下ろし、レティはその顔に向かって魔導書を広げパラパラとページをめくっていく。次々にめくられていく魔導書のページを、興味深そうに注視するファフニール。


「ふ~む……おぉ、竜言語魔法。そうか……うーん…………なに!?」

「ん? どうちたの?」


 なにかとんでもない物を見つけてしまった、そういった様子で黒竜は目を見開いて驚いている。


「嬢ちゃん、二ページ前に戻してくれ」

「うん、いいけど」


 レティは不思議そうな顔をしながらも、ファフニールに言われたとおり2ページだけ戻す。

 上質な白い紙に赤いインクで描かれた魔法陣、そして複雑な術式と魔法の詠唱文句。ページの一番上には『めると・ふれあ』と書かれている。魔法名の左に炎のマークが描かれていることからも、属性は火だと分かる。

 それにしても何故ファフニールはそこまで驚いているのだろうか。少女はドラゴンの顔を見つめている。ページを凝視する黒竜は真剣に目を走らせ、その内容に驚愕していた。


「こいつも、ガーネットの魔導書からか?」

「うん、そうなの」

「……嬢ちゃん、こいつが使えるのか?」

「うん。だってこれに書いてあるのは、ぜんぶわちが覚えた魔法だもん」


 レティは得意げに胸を叩いて言った。


「……今、出来るか?」

「う~ん。それやると、今のわちじゃMPなくなっちゃうから無理なの」

「そうか……だが、こいつは凄いぞ、嬢ちゃん」


 ファフニールはゆっくりと頭を上げると、少女の目を覗き込む。レティも見上げ、視線を交わすと黒竜は言った。


「ガーネットですら、完璧には使えなかった魔法だ」

「ババが?」

「ああ。今はどうか知らないが、少なくとも、俺を封印した当時はまだ未完成だった」


 それに比べてこの小さな少女は……いや、MPが空になるという点ではまだ完全じゃないのかもしれないが、それはただ単純にMPが足りていないということだ。

 おそらくまだ小さな炎しか出せないだろう。レティの手を見ても、特に火傷の跡などはない。火炎属性最強の魔法を使っても、術士への反動がないところを見ると、未完ではなく完成されている魔法なのだ。

 炎を得意とするガーネットですら完成出来なかった魔法、メルト・フレア。それをこの少女は完成させた。

 やはり魔法のセンスがずば抜けている、とファフニールは確信を持って大きく頷いた。


「こいつは禁術と言ってな――」

「きんじゅつ?」

「あまりの威力に使うことを禁じられた魔法なんだ。……って嬢ちゃん知らなかったのか?」

「うん」


 ファフニールは少女の即答に、ぽかーんと口を開けて呆れている。そんなドラゴンを余所にレティは椅子に座ると、魔導書の竜言語魔法『ドラグマティッド』のページを開いた。

 上から下へ何度も読み返すと、椅子から降りて魔導書を椅子に置き、その場にしゃがむ。近くに落ちていた小枝を手に取ると、地面に何かを書き始めた。


「それは――昨日の竜言語魔法の術式だな。しかしそんなものを書いてどうするつもりだ?」

「きっとこれから人間になれる魔法が作れると思うの」

「なに!? 嬢ちゃんよ、まさか新しく魔法を作るつもりか?」

「うん、そうなの」


 ファフニールに返事をすると、少女は黙々と数式のようなものを地面に書いていく。黒竜は、ただ黙ってその様子をジッと眺めている。

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