(3)錆びた鎖が千切れる時に

 楢原恭子ならはらきょうこという人間、つまりぼくのママについてのあれこれ。


 ぼくと彼女は親子であり、多くの親が子の人格形成に多大な影響を齎すように、多分に漏れず、ぼくという人格の中で彼女が占める割合はそれなりに大きいと思う。

 ゆえにぼくが彼女について語るにあたって、多少歪んだ主観が入り混じってしまうことを許してほしい。


 彼女はとにかく気が強く、地声の大きさもあって、そこにいるだけでぼくは萎縮してしまう。

 きっと彼女からすれば、平々凡々に過ごしているつもりなのだろうけれど、常に怒気を振りまいているように見えてしまうのだ。

 特に男性に高圧的な態度を取られるのが嫌いなのだと思う。彼女はパパと言い争いをする時、きまって暴力を引きずり出すような煽り文句を吐き散らし、男の暴力など怖くないといった風に振る舞う。

そのたびに、パパである楢原茂樹ならはらしげきは憤慨し、酷いときには角のささくれだったテーブルをひっくり返し、その時胃に入れた安酒に破壊衝動を委ねるのだ。

 ママはそれに負けじと更に大きな声で怒鳴り散らしたし、パパの男性的な暴力が自身に向こうとしったことかといった調子で気丈に振る舞った。

 その時ぼくとコウくんだけが、獣の臭いに満ちた部屋の中で静かに怯えていた。


 ママはとにかく気が強く、そんな親の元で育ったぼく達だから、それに合わせた順応をしなければならなかった。

 ぼくは彼女の神経を逆撫でしないように、お利口であることに努めなければならなかったし、粗暴なコウくんも、あるいはあの生き方自体が、気が強過ぎる両親の圧力に潰されてしまわないための処世術なのかもしれない。


 ある雨の日のことだ。何年前だったかは定かではないけれど、ぼくがまだ幼かった時分。

 ママは包丁を握り締めて、パパはそれを見て刺せるものなら刺してみろと煽り立てる。

 もうこの家は壊れてしまうのだと、幼心ながら予感があった。コウくんもまだ小さくて、今のようにそれに反発するだけの言葉を持っていなかったので、部屋の隅で小さく震えていた。


 ぼくはママの鬼のような形相に思わず身震いしたけれど、目を背けることはなかった。大人しく、あるいは子供らしく、コウくんと同じように目を伏せて両耳を塞げばいいのに、それをしなかった。

 当時のぼくは、それをせめてもの勇気だと錯覚していたのだと思う。そのように解釈して、自分で割り切ってしまえば楽なもので、実のところそれは勇気などではなく、そうやって大人の浅ましい弱さを直視することを、ある種の免罪符にしていたのだと思う。

 本当に何かをどうにかしたいのならば、あの時「やめて、パパ。ママ」とみっともなく喚き散らすべきだったのだ。

 それがものを知らない子供の責務だっただろうし、たったひとつの冴えたやり方。


 ぼくが正しいと信じてやまなかった立ち振る舞いは間違っていて、本当は子供の愚かさを振りかざして手を焼かせるべきだった。

 家出をして、補導にやってきた警察官に悪態をついて、悪い友達を作って、授業を抜け出して、時にはぶたれることもあるだろう。これらの行動はぼく自身の人格や価値観からはあまりにもかけ離れていて、自然な行動ではないのかもしれない。

 世間一般に語られる少年少女の反抗期などはどこか別の世界のまやかし。ママがぼくを従順な傀儡にしたのか。あるいはぼくが自らそうなったのか。考えれば考えるほど、ぼくにはさっぱり分からなくなってくる。

 とにかく、楢原恭子はぼくにとって絶対服従の対象であり、有り体に言ってしまえば、ぼくは彼女のことを真っ当な母親として見ていない。


 ▼


 電話越しの沈黙は本当に何も意味していないのだろう。

 家にいたくないと言ったぼくのことをどう思っているか。何を考えているか。そのような思考は必要なくて、ただ沈黙のあるがまま、彼女の脳内は真っ白になっている。すくなくともぼくはそう思った。

 数秒か、数十秒か。少しの間を経てぼくは身震いした。スマートフォンから耳を離したのは最早条件反射からくる行動で、それでもぼくの耳に届く彼女の怒号に、ぼくは更に震えた。

 普段ならばそのような意識が芽生えることなどないのに、雨音すら彼女の怒鳴り声に掻き消されてゆくような気がした。ぼくにそう思わせるものなどこの世のどこにもなくて、他でもないぼく自身がそのように錯覚してしまっているのだ。


「ああ、そう! だったらもう帰ってくるな! この家の敷居を跨いだら承知しないから!」


 獣の咆哮のような怒号の後に、そう言われた。鎖骨の間の、薄い皮膚の下に、鉛のようなものが滑り落ちた。

 ぼくは堪らずスマートフォンを握る手に力を込めた。耳元でそれが軋む音が、雨音の間隙を縫って伝わってくる。自分の怒りが明確に現れた結果であるそれがママに聞かれていないか不安になって、ぼくは咄嗟に手の力を緩めた。

 はっきりと自覚出来るほど怒っているにも拘わらず、そうまでしてママの怒りを軽減しようとしている自分にすら腹が立つ。


 子供とは親、家に何かしらの不満を持つものだと思う。やがて自身のはっきりとした人格を形成して、その不満はありのまま親に向けて吐き出されるべきなのだ。

 そういった主張が聞き入れられるかどうかは別として、子供の問題提起を契機に、親と子は対話をする。何かしらの折衷案が見つかればいいだろう。そうでなくとも、お互いを擦り合わせるために対話をすること自体に意味があるんじゃないだろうか。

 この家が嫌なら出て行けと、言ってしまえばそれは親子喧嘩の際の常套句なのかもしれないけれど、それを振りかざし続ける限り、ぼくは貴女に触れられるところにすら行けないのだ。


 嫌なら出て行けと、ぼくにそれが出来ないことを分かっていて、その言葉によってぼくが思考が袋小路に迷い込んでしまうことも知らずに、貴女は怒りに任せ、いつだってその言葉を吐く。

 ねえママ、ぼくはここ数年間、自分から貴女に話しかけた記憶がありません。全て無駄だと解っているからです。

 それでもぼくと貴女は血が繋がっていて、決して他人になることなど出来ないのです。その事実にすら貴女は気づかず、平気な顔をして縁を切るだのと宣うのでしょう。

 もういい加減やめにしませんか。

 ぼくは貴女の浅ましい部分をたくさん知っていて、とうとうそれを許容出来なくなってしまったから、当たり前のように今から取り乱し、支離滅裂な糾弾の言葉を吐くのです。


「いつもそうやっていやなら出て行けばいいって、そんなの出来るわけないじゃんか!」


「出来ない理由なんて無いでしょうが! 本当にどうしても嫌なら出ていけばいい。あんたもう義務教育終わってんのよ? 子供じゃないんだから」


「そうやってぼくのこと大人にしたり子供にしたり! もうわけわかんないよ! 大人なんだったらぼくがこの時間にどこにいようが勝手じゃんか!」


 ママは少し言葉に詰まって呻き声を漏らし、五月蝿いと怒鳴った。


「ほらまたうるさいって! いつもそうじゃんか。ぼく知ってるよ。ママはいつも真面目にぼくと話す気なんて無いんでしょう」


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ぼくの心臓をかえしてください 相川由真 @ninosannana1

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