第11話

 侃々諤々かんかんがくがくの議論の末、五月の記事は去年の修学旅行についての聞き込みをメインにしようと相成あいなった。

 それも別に旅行そのものについてでは無く、メインは去年の経験を踏まえた学生視点での"準備しておくと便利なモノ"である。発案者は弥栄だ。

 今年の修学旅行については終わってから紙面にすれば良いだとか観光雑誌みたいな内容は微妙なんじゃないかとかそういう意見で紛糾ふんきゅうする議論の中、そっとそんな案を出してきた。とりあえず出た中では一番の意見に思えたのでそれに決まったという次第である。

 内容としてはつまらないものになりそうだったが仕方あるまい。やってみてから反省して、それで次に活かせば良いのだ。というか個人的には別に形さえ整ってさえいれば読者の多寡たかは気にしない。

 ということで物は試し。早速、最も聞き易い先輩に去年の修学旅行について聞いてみることにした。

 新聞部に三年生は居ない。だがちょうどほんの少し前に先輩に会ったばかりだった。誰かと言えば小塚さんである。

 あの三年生は隣の漫研で活動しているはずだ。お隣さんという近さもあり、後輩二人を引き連れて訪ねる。

「すいません新聞部です小塚さんいらっしゃいますかー?」

 扉をノックして中に聞こえるように声を張り上げる。

 居なかったり忙しかったりすれば出直せば良い。以前にやり取りした際の小塚さんの印象では、失礼なことさえしなければ突然訪ねても大丈夫だろうと判断してのことだ。

 しかし、扉を開けて応じてくれたのは小塚さんでは無く、見知らぬ男子生徒だった。

「……小塚さんに用事?」

 こちらの顔色を窺うような視線を向けてくる気弱そうな男子で、声音までもが弱々しかった。

 骨張っていて痩せぎすだ。普通のサイズの制服が心なしかぶかぶかに見える程で、俺は、隠れて見えない腹部が実は空洞なんじゃないかとしょうもない想像をしてしまった。

「はい。あの、来月の紙面のことで相談があったんですが、」

 頭を下げて言葉を返す睦野が、漫研の部室内をそっと覗いて、

「……忙しかったでしょうか」

 確かにそこに座っている小塚さんがこちらに視線一つ向けないということに気後れしたようで、引け腰でお伺いを立てる。ちらと背後に意識を向けたガリガリ男子は悩ましげに眉を落として、そっと頷いた。

「うん。小塚さん集中してるみたいですから、難しいかと。私で良ければ聞きますけど、小塚さんじゃなきゃダメですかね」

 『私』とあまりにも自然に自分を指して言ったガリガリ男子に内容そっちのけで驚く。希少種だ。気弱そうな割に我は強いんだろうか。変な口調は注目を浴びるから精神が強くないと叩かれて均されるものだと思うのだが。

 まあそれは良い。

 問題は小塚さんから話を聞くのは難しそうということだった。こちらの目的は三年生から話を聞くことなわけだが、ガリガリ男子は三年生なのかと俺が口を開いてみる。

「んー、三年生から話が聞きたいんですが、」

「それならダメですね。私は二年生です」

「遠賀原先輩と同じ学年ですか……本当に? このしっかりしてそうな人と遠賀原さんが?」

 やはり二年生だった。なんか含みありげに小声で呟く後輩は気になるが無視して、肩を落とす。無駄足だったようだ。仕方ない、タイミングが悪かったのだろう。

「そうですか。実は去年の修学旅行について聞きたかったんですが、残念です」

「お気持ちありがとうございました。他の人を当たってみます」

「いえいえ」

 腰の低く丁寧なガリガリ君に釣られてカチコチな会話を交わしてしまった。俺と睦野はぎこちないし弥栄に至っては置物だが、ガリガリ君の振る舞いの自然さと来たら堂に入ったものだ。

 名前も知らぬガリガリ君に尊敬の念を禁じ得ない。

 思わず深々と一礼をしてから立ち去ろうとしてしまうが、そこで、

「んーもうすぐ終わるから待っててほしいっすー」

 液晶に向かう小塚さんから静止の声。返しかけたきびすが中途半端に動きを止める。

 どうしたものかと顔を見合わせる新聞部の面々だったが、そこは気の利くガリガリ君、「いいんですか?」と小塚さんに尋ねて頷いたのを見ると、

「ということらしいので、急ぎで無ければ狭いですけど入ってください。小塚さんの邪魔にならないよう気をつけて」

 誘導係みたいにすすーっと俺達を部屋の中に入れてくれた。

「適当に椅子に座って待っていてください。机もまともに無いですけど、手持ち無沙汰ならそこの本棚の本でも適当に読んでいて頂ければ」

 促されて三人揃って椅子に座って、息を殺す。そこには奇妙な緊張感があった。リラックスしているのはガリガリ君ぐらいだ。

 目の前にはせかせかと作業をする小塚さんの姿がある。その動きが気になったのか、弥栄がひそひそ声で睦野に話し掛けた。

「あれ、何してるんでしょー」

「えと……」

 わからなかったのだろう、困り顔になる睦野にガリガリ君が助け船を出す。

「パソコンで絵を描いてるんだよ」

 役目を得たとばかりに俺達の斜め前の壁に椅子をつけて座ったガリガリ君の説明が始まった。

「手元にあるのはペンタブっていうものです。漫画やイラスト書くのに特化したデバイスなんですけど、去年の末に小塚さんのためだけに購入したものなんですよ」

 そうしている間も小塚さんは画面と睨めっこして難しい表情をしている。どことなく馴染めていない新聞部三名は借りてきた猫のようにおとなしい。ガリガリ君の話に聞き入るばかり。

「あっちの作業台でアナログに漫画描くこともあるんですけど、ああやってパソコンでも小塚さんは描けるんですよね。しかも両方とも凄く上手いんですよ。そういえばそこの棚にもいくつかあったはず……これですこの辺りの」

 部活動報告書用と書かれたファイルに閉じられたいくつものイラスト。ただカラーコピーしただけで製本されたものと比べると随分と安っぽい。だが、それでも分かる程度に小塚さんの絵は上手かった。

 赤熱した鉄に槌を下ろさんとする髭面の親父とそれを物陰から眺める少年。愛らしい少女の腕が機械に変形するその瞬間を切り取った一枚。デフォルメされたミニキャラ達をジャグリングする道化師。あと普通に犬。

 どれもこれも躍動感に溢れている。静止画と呼ぶには違和感があるほどに、その一瞬後が容易に想像できる動きを持ったイラスト群。犬は飼ってる奴の模写っぽいが。

 ただ、これは漫画では無い。漫画は無いのか、と思ったが、そういえば小塚さんは入部してさほど長くは無い。もしかしたらまだ描いてないのかもしれなかった。

 ならば他の部員はどうなのかとパラパラとファイルを捲ってみる。全員分、絵柄の安定しないイラスト群が並んでいた。一人だけ四コマ漫画のような物が見えたが、それぐらいだっただろう。

 まあ適当な部活っぽいしこんなもんなのかなと思っていたが、同じようなイラストばかり並んでいるのを見て、妙な違和感を覚える。何か、何かが引っ掛かったような気がして、首を傾げた。

 ……と、そうこうしていたら小塚さんが長く息を吐き、ぐーっと伸びをする。満足げに深く息を吐き出しながら強張った身体をほぐして、そしてこちらを見遣る。

「お疲れ様です」

 その姿に、小塚さんが何を言うまでも無く、ガリガリ君が先んじてねぎらいの言葉を掛けた。終わったのだ。何がなのかは俺には分からないが、多分小塚さんの作業に一区切りがついた。

「あざーっすー」

 片手を挙げて、部活っぽい挨拶を返す小塚さん。そのまま彼女はガリガリ君から意識を外して、俺達にそれを向ける。

「いやー、待たせて悪かったすね。ちょっと遅れちゃいましたけど、何の用すか?」

 そう尋ねてくる小塚さんの表情に疲労の色が薄く滲んでいた。やはりどうやらタイミングが悪かったようだ。が、ここまで配慮して貰っているのに今更そんな後悔などしていてもらちが明かない。

「去年の修学旅行について三年生の話が聞きたかったんですよ」

 だから、そう単刀直入に要点を告げた。学生視点で準備しておくと良いものについて紙面を作れば簡単でかつ体裁ていさいも整いやすいのでは無いかと考えていると、簡単にぶっちゃけた説明を行なう。

「あー修学旅行。懐かしいすね、良い思い出っす」

 屈託の無い笑みを見せる小塚さんを見ると、なるほど、思い出すだけでも笑顔になる程度には素晴らしかったのだろう。

「去年はどこに行かれたのでしょう?」

「京都っすよ」

「定番ですね。今年は北海道だった気がするから京都っぽい内容は紙面に出来なさそうだけど。なんかありますかね、小塚さん」

「歴史探検しただけすけどねー。まあ、確かに色々とあるにはあるんすけど。紙面に出来そうな内容だけで良いすよね?」

 気になる言い回しだった。まるで言いたくないことがあるみたいに。

 しかしその意味を考える前に、睦野が頷いていた。小塚さんはほっと息を吐いて、話を続ける。

「でも修学旅行すかー懐かしい。楽しかったっすよやっぱり。一緒に行った班が良かったってのもあって、同じ部活の、ってそのときは美術部だったからそこの友達と一緒の班だったんすよね」

「なるほど。旅行ってメンバー大事ですよねやっぱり」

 膝の上に置いたノートにメモしながらコメントを返す。蛇がのたくったみたいな字になってしまって顔を顰めているとそっと下敷きを貸してくれるガリガリ君。なんと気の利く奴だ。イケメンかよ。

 隣の睦野は器用に手元の小さなメモ帳に短く書き付けていた。と、顔を上げて、

「あれ、小塚さんは美術部だったんですか?」

 そう問い掛ける。

 ちょっと面食らったような表情をした小塚さんは、しかしそっと首肯して言った。

「そうなんすよ。元美術部で。去年に色々とあって年末にここに転部したんすけど、言いましたっけ? てかこの話関係ないっすね」

 はは、と小塚さんは照れくさそうな笑顔で首筋に手を回す。軌道修正を図ろうとするようにごほんとくぐもった咳をして、さて、というところで睦野が割り込んだ。

「いえ。まだ紙面の内容もちゃんと決まっているわけではないので何でも聞かせてください。あの、難しいかもしれませんが、雑談という風にして頂ければ。紙面に出来そうなところはメモしておきますし、先月は時間が無くて窺えなかったんですけど、今度はちゃんと掲示前に文面を見せに来ますから、そのときにダメな内容だったら没にしてもらって構いませんし」

 心なしか早口で睦野はそう言い切った。そうも迫ったら逆に雑談らしさから遠ざかるような気がするんだが。当然小塚さんもちょっと引いていた。が、落ち着きを取り戻したのだろう、ニコリと微笑むと、何故か席を立った。

「よし。じゃ、愚痴聞いてってくださいっすー。竹くんトランプ持ってきてー」

「はい」

 トランプを棚の一番上から当然のように取ってくるガリガリ君と、いそいそと壁に立てかけてあった折りたたみ式の机を引っ張り出してくる小塚さん。見事な連携を見せる二人の手であれよあれよという間に準備は整ってしまった。

「遊びながら話そ? 何やりたいっすかー、はい手ー上げてー」

 そこで目を輝かせて真っ先に挙手したのは借りてきた猫のように大人しかった弥栄 紗々耶その人だった。

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遠賀原くん、部活動チャレンジ! 針野六四六 @zakozasf

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