第10話
それから。
あれよあれよという間に一週間が経って、何故か新入部員が一人増えていた。四月の掲示を見たとかで新入生がやってきたのだ。同時に俺の肩身は狭くなっていく。
部活動そのものには後輩が増えた以外に大した進展が無く、やっていたことはと言えば五月の掲示に何を書くかの話し合いぐらいだ。だがこれといった目玉記事の内容が出てきていないので焦燥感に襲われつつあった。
五月の掲示は四月に作るべきだ。今月は半ばに掲示をしたが、普通は月の頭にするものだろうし、今月は学校が本格的に始まったのが二週目辺りからだったという言い訳が使えたが、それは来月には通用しない。
期限は間違いなく近付いていた。
だからここ数日の俺は授業中も掲示のことを考えていたりする。もちろん、昼休みの今も。
とは言えアイデアめいたモノは思いつかないときは思いつかないものだ。最近は部活中も閃きを待っているだけで、手慰みに空いた紙面を適当に埋めるためのコラム案をノートに書き連ねたりして時間を消費していた。
水都高校が意識していそうな割れ窓理論のことや、調べてみたら良く分からなかった五月病の対策。それ以外にも思いついたこと――例えば四月の紙面を見て思いついた、料理部とコラボして毎月一つレシピを載せる案――を雑多にメモしておいたり。思考の沼に耽っていれば無限に時間を費やせる。
「で、前に言ってたまた増えたっていう新入部員は馴染んできとるのか?」
と、飯を食いながらぼーっと考えていたら山入端が絡んできた。気が散るから鬱陶しいが仕方ない。まず隣に立たれるだけで無視するのは不可能だ。デカイから怖い。単純な心理である。
見上げる形で返答する。
「馴染んでるも何も俺がもう
「それは……。そいつが見学に来た日からまだ一週間も経っとらんく無かったか?」
「時間の問題じゃないんだよな。そもそも睦野の方も来てからそう経ってないが、俺はあいつをもう部長みたいに扱っている」
「お前さん」
「余計なこと言うなよ泣くからな」
機先を制する。予想できる罵倒を受けてやる必要は無い。山入端には呆れ顔をされるが、その程度ならまだ耐えられた。
「……なんだ。いくらお前さんと言えど、たかが片手以内の日数で疎外感を感じるほどとは。よほどその新入部員と睦野とやらの相性が良かったんだろうな」
相性。どうだったろうかと、その新入部員、|弥栄(やさか) |紗々耶(ささや)のことを思い出してみる。結論は簡単に出た。記憶の中のあいつらから聞こえる話し声は音符みたいに弾んでいる。
「そうだな、妙にあいつらは合ってる。あの弥栄ってのが――その新入部員のことな――、まぁ、いろいろと距離感が近いんだが、その割に場を動かそうとはしない。人の背後にくっつくのが好きな金魚の糞って感じだ。んで睦野は猪で場を動かすのが好きだが、突進が好きすぎる。重石(おもし)として弥栄はピッタリだし、あいつら自身もそれが心地良いって思ってそうな気がする」
そう言うと、くつくつと山入端が愉快げに喉を鳴らした。何だよとじっと睨み上げるが柳に風だ。歯牙にも掛けない。俺に睨まれても怖くないんだろう。むしろ山入端の巨体に俺が怯えている。
そしてパンと二の腕を軽くパンチされた。
「楽しんでるようでは無いか」
「あ。あー? まー、そうか?」
首を傾げて考えてみるが、そんなことより今パンチする必要あったのかとどうでもいいことが気に掛かってしまった。いや、スキンシップだろう。背中叩いたりとかそういうのは良く見る。見るけど、だからって、という気分だ。
「良いことだろう。遠賀原にも集団での生活が出来たとはな、驚きだ」
「出来てない気がするんだけど。早速部活もサボったし。怒られたし。あっちから引っ張ってくれる分マシだけど。俺が主導とかなら死んでた」
「お前さんそんなんで修学旅行大丈夫か? 今日の朝になんぞ班決めがあるとか予告されてたぞ」
「……は? 修学旅行? 班決め?」
聞いた覚えが無かった。五月の掲示のことを考えていたからだろうか。
もしかしたら山入端が適当なことを言っているのかもしれない。俺はそっちに賭けた。
★
水都高校の修学旅行は二年の五月末なのだそうだ。忘れていた。そういえばそんなことをどこかで聞いた覚えがある。
班決めをしたり、その班単位での自由行動の時間に何をするかのスケジュール組みなど、四月末からいろいろ考えていくようだ。昼休みに山入端に言われてから、午後に担任の授業があり、そこで少し説明を受けた。班決め自体は来週月曜らしい。俺は賭けに負けた。
しかし、代わりに得るものもあったのだ。
部室に三人が揃って、開口一番、俺は満を辞して案を発表した。
「五月の掲示、修学旅行はどうだ」
「……しゅうがくりょこう」
弥栄が復唱した。無視だ無視。これは意味が無いやつだ。弥栄は意味の無い復唱をたまにする。
俺が見据えるのは睦野、その人ただ一人。こいつは実質的に部長なのだ。部活に来ないことを宣言した笠置や元幽霊部員の俺なんて眼では無い。部の手綱を引くのは睦野であり、睦野の決定が全てなのである。
俺は睦野の意見を待った。
睦野は一瞬だけ眼を細めて、そして言う。
「良いんじゃ無いですか」
「よしっ」ガッツポーズ。
何かおかしい気もするが後輩の許可に俺は喜んだ。なにせ一週間無駄にしてきたのである。進展に感動しても自然なこととさえ言えた。
「よっしゃーですね遠賀原センパイ。いえー!」
「……お、おう」
片手を挙げてハイタッチを求めてきた弥栄に応じようとしてみる。こういうところが俺の居心地をどんどん悪くしている気がしているのだが、弥栄はこういう奴なのだ。もう諦めた。
「というか先輩。修学旅行の件なら昨日私と紗々耶さんで話題にしてたんですけど」
そこに不満そうな睦野の声が割り込んで、俺の動きは止まった。
「……嘘だな。覚えが無い」
「本当です。ね、紗々耶さん」
「うんうん」
睦野が問い掛けて、弥栄が頷く。だが二人の位置関係のせいでちょっと奇妙な感じだった。
弥栄が睦野と触れるぐらいの距離に居たがるからだろう。こいつの近さはハッキリ言ってそれだけで変だ。『自分を可愛く見せるため』とかでくっつく女子が居て嫌われるとかいう噂を耳にしたことがあるが、それとは多分違う。別物だ。
睦野が何か作業しようとすると離れる。だがそうするとそわそわし始めるのだ。邪魔にならないのであればずっとくっついている。それはもう嫌われそうな程だ。嫌な表情をしない睦野が今のところ理解できていない。
それはさておき。
二人とも嘘をついている感じでは無かった。だから実際、修学旅行については話題に出ていたのだろう。ただ俺が聞いていなかっただけで。
「そうか。それは、ごめんな」
「いえ」睦野は首を振る。「いつも通りのことですし」
「……」
恐らくこれは許されていないときの反応だ。掘り返すと墓穴になるタイプなのも間違いないので気付かなかったことにするしかないが。俺はそんなにいつもいつも人の話を聞いていないのか。自覚が無いだけにショックだった。
辛い宣告を告げてきた睦野がそのまま続けて、机をとんとペンで突く。
「でも先輩、修学旅行の何について書くべきなんでしょう」
台詞は問い掛けの体裁を為していながら、どこか自分自身の中で考えを整理しようとしているような響きがあった。
「修学旅行と一口に言っても、掲示にする内容となるとどういうのがいいのか」
「どういうってそりゃ、適当に修学旅行の行き先とスケジュールの紹介とか」
「花ちゃんも来年は修学旅行に行くんだもんねー」
「どうして他人事なんですんか紗々耶さんもですよ。いえそうではなくて、まだ行ってない修学旅行の行き先って観光雑誌からでも引っ張ってくるんですか。スケジュールは二年生のしおりで確認出来ますし、興味のある人は自力で調べそうじゃありません?」
「調べないだろ」
「しらべなーい」
俺と弥栄が言い切る姿に、頭を抱える睦野。うーうーと言葉にならない呻き声を上げてから、はたと顔を上げて、
「それに掲示を見る層の話ですよ。修学旅行の行き先の紹介を書いた掲示って二年生以外見ないと思いませんか?」
「そもそも新聞部の掲示なんて誰も見ないだろ。俺は去年の幽霊部員時代には一回も見てないぞ」
「え、センパイ幽霊部員だったんですか?」
「あ。あ、いや」
「もう、話を逸らさないでください! それに誰も見ないなんて身も蓋もない」
あーだこーだと好き勝手な台詞が飛び交う。軸の入った会議になっていない。
ならばこれは雑談なのだろう。しっちゃかめっちゃか焦点の定まらない、しかしそれでも良いという形の、楽しむための会話。
「実は俺、去年死んでたんだよな。幽霊だったんだよ」
「――それ以上ふざけるなら怒りますよ?」
違った。ここは真剣な議論の場だったようだ。
空気が凍る。目くじらを立てた睦野は未だかつて無く恐ろしかった。俺は背筋を伸ばしてペンを取る。
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