濡れた足音が聞こえる。夜更けのマンションの誰もいない暗がりから。

漣《さざなみ》という語感は独特で、
水面を描写する言葉ではあるけれど、
本能的、反射的な「何か」が体を走るときにこそ、
多く使われるのではないかと思う。

その物件は、いわゆる事故物件ではない。
さざなみという意味を持つドイツ語の「クロイゼルング」が、
「僕」が住むことに決めた岬の白いマンションの名前だった。
内側から何十個もの錠を掛ける以外は、ごく普通の物件だ。

そう聞いていたのに。

一つ、二つと怪異が重なっていく。
少年の異変、住人の不審死、「見える」彼の助言。
語り聞かせる口調には、無念も後悔も大袈裟には表れない。
一見平然としているかのようなその口調が、むしろ怖い。

渦潮に巻き込まれれて絶叫するようなホラーではない。
さざなみ、という独特の語感が確かに似合う。
仄暗いアイツの正体は、一体何なのか。
密やかに背後に迫ってくる怪談には、奇妙で空虚な魅力がある。