第31話 女子(男子)高校生の日常。

お金持ちにも、ボンビーちゃんにも、


おじいさんにも、生まれたての赤ちゃんだって、


みんなみんな、平等にある。


世界中、誰にでも。



…よくあるなぞなぞ。


答えは時間(time is money!)。






…What are you up to?













その日は朝からスッキリとしない、曇り空だった。雨こそ降らないが、冬の訪れを告げる冷たい木枯らし1号に、身を縮こませて門をくぐる生徒の姿が目立つ。



教室へと上がる階段の踊り場で数人の女生徒たちが色めきたった声をあげながら、駆け足でみちるを追い抜いて行った。






「やった!今日は2人だー」


「超絵になるぅ、やっぱ神カップル!」


「ねぇー、雑誌に載ってもおかしくないよね」


彼女らの教室はもっと奥なのに、わざわざこんな手前でたむろしてしているのは、正門の真上だからだ。この寒い中、窓を全開にして下を覗いている。


(さ、さぶい…)


北風がひゅるひゅると吹き込むものだから、みちるの目線は嫌でもそちらを向いてしまった。と、同時に飛び込んできた、ある光景。



まず目にとまったのは、薄墨色の冬空の下に映えた、アンティークブキャナンのマフラー。その中にピンク色の頬をうずめて、ただそれだけなのに、芹澤美桜は相変わらず人目を引く愛らしさがあった。


嬉々とした表情。その隣にはーー。



「やっぱ付き合ってるんだねー、時田先輩と。いいなぁー」


「いいなぁって、まぁ無理じゃん私らじゃ。超頭いいし。テストでいっつも1位みたいだしぃ」


「って、やばっ、そーいえば1限目ウチらテストじゃん!」


ハッとしたように顔を見合わせる三人娘。


バタバタとけたたましい足音が廊下に響いて、周囲の生徒が振り返って彼女らを見ていた。開けた窓もそのままに、元気なミーハーちゃん達は、あっという間に奥の教室へと消えて行った。




悠介と美桜の二人が連れ立って登下校する姿は、やはりよく目立つ。瞬く間に二人が付き合っているという噂が流れ出したのは、この11月に入ってすぐの話だ。



「まっったく、何よ『神カップル』って。ダサすぎて笑っちゃう」


ピシャッと、歯切れの良い音とともに目の前のサッシが閉まった。


「悠介と美桜が付き合うなんて、絶対無いんだから。なんなら悠介誰とも付き合ってないし。美桜が付き纏ってるだけよ!」


華奢な造りの細い指が小さなクレセント錠にスルリと絡まる。が、錠をかける爪の色が異様に白く変わっていくのを目の当たりにして、みちるは若干血の気が引いた。


その視線に気づいたのか、彼女は振り返って宣言でもするかの如く声高に叫んだ。


「私が許さない!絶対によっ!」


「…許さないって…、そんなこと言ったって綾、お母さんじゃないんだよ」


夏の頃より、さらに伸びたロングの黒髪が乱れているのは、吹き込んだ風のせいばかりではなさそうだ。


「やだもぅ綾ってば、そんなに怒って髪の毛ボサボサだよぉ。みちるも、梳かしてあげるからコッチきーてー」


その様子を教室から見ていたのか、森下香奈が、

二人を手招きした。






◇◆◇◆◇






「イタッ!香奈ってば、ちょっと痛いっ」


「だぁってー綾、動くんだもん、これじゃあうまく結えないでしょー?みちる、綾押さえてて」


「了解♡」


「ちょ…やだっ!誰が結わいてって言ったのよ⁈二人ともやーめーてっ」


「動かないでよぉ、ずっとコレやりたかったんだもん♪絶対似合うからぁ」



料理に裁縫、女子っぽい事は何でもござれ。女子力ナンバーワンの香奈にかかれば、ヘアアレンジなんてお手の物だ。


魔法使いのように、鮮やかな手捌きでスルスルと束ねて行く。


「ホラ出来た!ねー、かわいいでしょ?」


最後の仕上げまでやり終えると、香奈はブラシを置いて天使のような屈託のない微笑みを浮かべてみせた。


「わぁお…、すご…」


比類なき、とまでいえば大袈裟だが。そのセンスにみちるは両手で口元を押さえ、お見事とばかりに感嘆の声を漏らした。


just3minute。それはそれは見事にイメージチェンジをした、新しい内川綾、誕生の瞬間。



「…なんなのよ、コレ」


が、しかし、香奈が小さな鏡を手渡すと、彼女は覗き込んで低い声で唸った。


耳の上にちょこんと出来た二つのお団子に恐る恐る手を伸ばす。…もちろん、悦に入っている様子ではない。



「おっ!オレこのキャラ知ってる。昔流行ったアニメのヤツじゃね?」


「ナントカに代わってお仕置きよっ!ってヤツだろ?ってか、内川じゃぁ、お仕置きどころか殺されんじゃねーの」


頭上で声がした。見ると、いつのまにいたのかクラスの男子・吉岡将希と斉藤理さいとうおさむがニヤッと笑いながら立っていた。


「…ちょっと吉岡、世の中にはねぇ、言っていい事と悪い事があるって知ってんでしょ?香奈の彼氏じゃなかったら、今頃ブン殴ってるからね?」


持っていた鏡を静かに伏せて、綾は座ったまま、上目遣いで揶揄する二人に殺気立った一瞥をくれた。


「ヒィッ怖ぇ〜、ピンクリボンのツインテでそのセリフ…、褒めに来てやっただけなのにぃー。でもやっぱ香奈スゲーよ、馬子にも衣装、的な?」


「だぁれが馬子よっ⁈ちょっと香奈、今すぐ別れなさい、こんなヤツ!」


「まー、そー言わずに。…ところでさぁ、内川も宇野も、今日放課後予定あんの?」



「えっ?」

「予定?」



唐突な斎藤の誘いに、みちると綾は互いに顔を見合わせた。






◇◆◇◆◇





「くーっ!マジやっべぇ、指いてぇし!」


「ヘンッ、オレに勝とうなんてまだ早いっての!」


大学生だろうか。自分の兄と似たような風貌の男性が二人、入り口付近に設置された格闘ゲームの前で声を上げて熱くなっている。



暗がりの店内には、耳を突くような高音の電子音が鳴り響いていた。続いて、パパッと天井に閃光が走る。


ものすごい速さでボタンを連打する音。クレーンの動きに合わせて流れるメロディー…色々な音と光が折り重なって、独特の世界がそこに広がっていた。


「…ゲームセンターなんて、久しぶり…」


あまり馴染みのない空気に、みちるはしばし圧倒されたように辺りを見回した。


取れたら奇跡と思われるクレーンゲームは、それでも人気なのだろう。かなりの数がズラリと並んでいる。


その奥で、吉岡と綾は、早くもハンドルを握ってドライブレースに熱狂し始めていた。


「見てろよ香奈、このオレのドライビングテクニック!おい内川、勉強だけが全てじゃないって思い知らせてやる!」


「フンッ、大口叩いていられるのも今だけよ。負けたら香奈は返してもらうわ」


「ふ…二人とも、頑張ってね…」


綾と吉岡の間にバチバチと火花が散って、香奈はオロオロしている。傍に立った斎藤が「たかがゲームでお前ら…」と、やや呆れ気味に呟いているのが聞こえた。


みちるもその中に混じろうとしたが、ふと目に留まったあるゲーム機が気になって、フラリとそちらに足を向けた。




(懐かしいーなぁ、コレ)


布製のハンマーを握って、財布から出したコインを投入、すると程なくしてそのゲームはスタートした。



『イテッ!イテ、イテッ!』


目の前の穴から数匹のワニが顔を出し、齧られないようにハンマーでそのアタマを叩く。3歳の子供にもできる、単純なゲーム。


…な、はずなのに。


「あ、あれっ?やだまた…もうっ」


ワニの数が増えるにつれ、調子が狂っていった。


「…どーでもいいけど、ひでーな、宇野」


「わっ、ビックリした」


ガブガブと齧っては逃げるワニを必死に追いかけていたみちるは、その気配に全く気づく筈もなく…。声をかけられて、漸くこの惨状を斎藤に見られている事に気がついた。


「ちょっとオレに貸してみ?」


笑うと頬の片側にえくぼが出来るのが特徴的。斎藤に促されるまま、みちるは手にしたハンマーを渡した。



オリャッと威勢よく一声上げて、斎藤理は次々とワニを叩いていく。みるみる内に、スコアはどんどん伸びていった。


邪魔になりそうだったので、少し下がってみる。すると斎藤は、筋肉質で肩幅のある逆三角形の骨格がとても印象的だった。たしか水泳部員だったなと、みちるは自分の中の彼に関する僅かな情報を紡いでいった。


「…苦手なんかよ、カラオケ」


ゲームを続けたまま、斎藤が言った。


「へっ…⁈」


唐突な、そしてあまり突っ込まれたくない質問にみちるの心臓が跳ね上がる。


「ここ来る前、宇野嫌だって言ったから」


「あ、あぁ、それねっ!違うの、ただちょっと喉の調子が悪くて…」


確かに最初は5人でカラオケに行こうと提案されていたのだが。やはり『』で、ちょっと気が進まないと曖昧に濁したら、速攻で吉岡がゲーセンを推したというのが、今ここにいる経緯だった。


「ま、いいけど。将希も来たかったみたいだし。けど宇野ってさ…」


そう斎藤が何かを言いかけた瞬間、すぐ裏にあったゲーム機から「ドォォォーンッ!」という爆発音が響いて、それにより彼の声は「ほぼ」掻き消された。


僅かに聞き取った『フレーズ』に、身体が硬直する。


「えっ……」


「だから、宇野って本当は『歌上手い』んでしょ?宇野とおなちゅうの山本ってヤツが、少し前にオレの部に入部してきて言ってたんだよ。合唱コンの独唱はトリハダもんだった、ってさ」


ゲーム終了を知らせるメロディーが、感情を持たない機械だらけの空間に、静かに流れた。


「覚えてる?山本涼平って」


「う…ん、よ、よく分からない。でも多分ずっと同じクラスじゃなかったと思う」


確かに、斎藤が口にしたその名に聞き覚えはあったのだが、山本涼平という人物について、今のみちるにそれ以上のことを思い出す余裕はなかった。


「あ…、そろそろ向こうも終わったんじゃない?いかないとっ」


暑くもないのに、額にジワリと汗が滲んだ。吉岡達がいる方へ踵を返した時、斎藤が言った。


「音痴とか言って、悪かった。…ゴメン」


「えっ?」


その謝罪は突然で、驚いたみちるは足を止めた。振り返ると、彼はバツが悪そうに口元を押さえている。店内が暗いのではっきりとはしないが、頬の辺りが少し赤いようにも見える。斎藤は目線を床に落として、ボソボソと続けた。


「初めてクラスで歌った時、大地讃頌歌って宇野が音外したの、覚えてるだろ?あの時、オレおまえの事超絶音痴とか言って。喘息拗らせて退院したばっかりだったのに、悪かった」


「あ…あぁ、あの時のあれ…」


斎藤に言われて、みちるの中で、半年ほど前の記憶が蘇えった。


(首締められた鳥みたいだって、クラス中で笑われたっけ…。ショックで何が何だかんだ分からなくなって、屋上まで走って逃げて、そして、それから…)


それから、誰もいない屋上で、悠介と初めて出会ったのだ。


(頭が混乱してたから、私、怒鳴ったりしちゃって…)


悠介は、まだ覚えているだろうか。

あの日のこと…



「…ないの?」


「えっ⁈」


ハッとして顔を上げると、斎藤が心配そうな面持ちでこちらを見ていた。


「あれ気にして、歌うのやめたんだったらオレ本当最悪だなって。それとも…」


「それとも…って、何?」


斎藤が意味ありげに言葉を切ったので、みちるは恐る恐る促す。聞いてみたいという厄介な好奇心は、やはり生まれつきの性なのか…。


再び、だがゆっくりと斎藤が口を開いた。


「あの先輩、女子がよく騒いでる特進科の。…アイツの前なら歌ってるのかなってさ。仲いいんだろ?文化祭のとき、宇野がアイツと喋ってるの見たんだよ。スゲーじゃん」


「あ…、あれは…、違うのっ!そんなんじゃなくてだから…」


「付き合ってんのかと思った。…そんな雰囲気だったけど?」


「そんな雰囲気、って…」


鏡を見なくても、自分が今どんな顔をしているのかみちるには分かった。体温は急上昇、絵に書いたら、顔面はおろかきっと髪の先まで真っかだ。


「そ、そんなわけないじゃん!何言ってんの斎藤、ヘンだよ」


そんな顔を見せるわけにも行かず、みちるはサッと下を向き、素早く彼に背を向けると、足早に場を去ろうとした。


と、その時。



「じゃあ、オレと付き合ってよ」


さまざまな電子音が入り混じる空間。が、今度は掻き消されることなく、はっきりと聞こえた。


そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。



(…えっ?…ええっ⁈)


「ちょっ…ウソでしょ、何言ってるの斎藤、やだ

ぁっ!」


まさかの事態にみちるの思考回路は完全にショート、結果いつものように大声を上げ、思い切り否定してしまった。が、我に返って漸く自分の失態に気付くと今度はどうしていいのか分からず、言葉を失ったままその場に立ち尽くした。


「ヤダァって…ってか宇野の声、超デカいんですけどぉ」


棒と化したみちるを見兼ねてか。両手で耳を押さえて、斎藤がおどけて見せた。


「あ、ああゴメンつい…クセなんだよね。よく言われる…」


「あんなデカい声で否定されて、オレ超傷ついたー」


あっけらかんと言い放って、大げさに胸の辺りを押さえてみせる。


「否定って…だってそっちが急にヘンな事言うから。ビックリするじゃん普通…」


「ヘンって。オレは本気なんだけど」


「ホラまたヘンな事言ってる!」


「ハハッ…、どうしたらいいんでしょうね、この状況」


困ったように鼻の下を人差し指で擦りながら、斎藤理はみちるに言った。


「自分で言うのもアレだけど、これでもオレ、結構モテんだよね?」


「え?ああ、うん、そう、なの?」


斎藤が言わんとしていることがイマイチ分からず、みちるは返答を濁してしまった。いや、彼が非モテでないことは分かる。男子らしい逞しさもあり、黒髪はサラリとして爽やかだ。一重のやや細い目をしているが、笑うと茶目っ気もある。特別目立つというわけではないが、誰にでも好印象を与える外見であることは確かだった。


「そうなのって…まぁいいや。でもさ、フラれることもあるわけで。そんな時はいつも相手に、好きなヤツがいる。それでその後はーー」


と、斎藤が続けようとした時、吉岡らのいたアーケードゲームの方から、男女入り混じった数人の歓声が上がった。




「スゲェ…なんだよこのツインテール。男顔負けじゃねーかよ」


「かっこよすぎ!…てか対戦相手のボクも結構上手かったけど、全っ然歯が立たなかったね。可哀想に」



騒つくギャラリー達の声を背中に受けて、色白のツインテールの乙女が一人、シートから身を滑らせた。


「約束通り、香奈は返してもらうわよ」


言うが早いか、傍らにいた同じ制服姿の少女の手を引き、颯爽と歩いていく…


麗しの女騎士と、騎士に連れ去られる愛らしい姫君。かぐわしい百合の園…その光景は、まるでドラマか物語のようだった。…ここがゲームセンターでなければ。


「お、おい内川、約束どおりって…香奈も…二人してどこ行くんだよっ⁈」


「ごめんねぇ、吉岡くん。でも私たち、もう終わりみたいね…」


縋りつく彼氏を憐れな表情で見つめて、それでも香奈は綾の手にピタリとくっ付いて離れない。



「…ったく。どっちも惨敗かよ。にしてもザマァねぇな、将希のやつ」


ボヤくように呟いて、みちるのとなりで斎藤がプッと吹き出した。



「ウソだろちょっと、香奈までそんな…いいトコ見せたかっただけなのに終わりって、オレそんなにダサかったのか…ねぇ、待ってよ香奈、香奈ぁぁー」



come baaackー!!



吉岡の、悲痛な叫び声が虚しく響いていた。





…もう一度言おう、ここは、ゲームセンターだ。

























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