好きには勝てない

花岡 柊

好きには勝てない

 いつもの寄り道をいつものカフェで涼太としていた。就業時間後のここはなかなかの混み具合で、よく席取り合戦が繰りひろげられている。

 そんな私も、ササッと素早い動きでバッグを置き、無事にテーブル席をひとつ確保した。

「相変わらずの素早い動きに感服だよ」

 呆れた顔をしている涼太だけれど、今日もちゃんと座って珈琲を飲めるのだから感謝してもらいたい。

 得意げな顔のまま席に着くと、二人分の珈琲を買いに涼太がカウンターへ向かう。その背中を見送り、珈琲がやってくるまでの間、さてさてあの二人はどうなるのやら。ニシシッ、なんて一人怪しい笑いを洩らしていた。

 私が思うに、二人は絶対あの二人のはずなのよ。逢いたいって思っていた相手は、絶対に彼のはずなんだ。

 きっと今度から買うマーブルチョコを、彼女は笑顔で手にするはず。

 しかも、隣にはしっかりと――――。

 むふふふと妄想を繰り広げていたら、早々に涼太が戻ってきた。

「顔、ゆるんでっけど」

 トレーに珈琲を二つ乗せた涼太はテーブルにそれを置き、私の顔を指摘してから席に着く。

 私は、ふふーんっとさっき席取りした時よりも更に得意げな顔を、何も知らない涼太へ向けた。

 今に見ていなさい。いつも冷静さを装っているそのシラッとした顔を、驚きの表情に変えてやるんだから。

 ふふんっというように笑みを浮かべて涼太を見る。

「私は今日。ちょっといいことをしたのだよ」

 ワトソン君、的なふりで私は人差し指を立てる。

「なんだよいい事って」

 私が立てた人差し指をしまって、替わりに顎を突き出すと、それほど興味も無いというように涼太が珈琲を口にした。

 そんな顔していられるのも今のうちなんだからね。この話を聞いたら絶対に驚くはずなんだから。

 そう確信しいる私は、のんびりと珈琲を飲んでいる涼太を見て再び口を開いた。

「私ね。同僚の紗南に、多分健ちゃんであろう彼を引き合わせることができたのだよ」

 ふふんっ、とまたも得意げに笑って見せる。もちろん、ワトソン君に対する人差し指も忘れない。

 すると、涼太は期待したとおりのリアクションをして見せてくれた。

「えっ!? 健ちゃんて、あのチョコレートの健ちゃん!?」

 ほぉ~ら、みなさいワトソン君、驚いたでしょう?

 涼太の食いついた驚き顔に、私は満足げに笑いつつ益々得意げになる。

「そうそう。色々端折られてるけど、大体合ってるそのチョコレートの健ちゃん」

 どんなもんだい、と一昔前の小学生みたいに人差し指で鼻の下を擦りたいくらいだ。

 なのに涼太ってば。

「恭子、その健ちゃんのこと探し当てたの? マジかっ! すげーな! 探偵みたいだな! どんな手を使ったんだよ」

 なんか最後の一言って、人聞き悪くない?

 口にはしないものの、私は不満を顔に出す。その表情に気がついたのか、涼太は言い過ぎたとばかりに珈琲をまた口にした。

 涼太が誤魔化したことに気がつかないふりで、私はサラリと話を続ける。

「あのね、うちに来てる営業君のことなんだけど。よくよく話を聞いてみたら――――」

「えっ!? 何。ちょっと待てよ。恭子、その営業君と仲良くなったわけ?」

 話を思いっきり遮った涼太は、食らいつくくらいの勢いで前のめりに訊いてくる。

 ゾンビ映画ならここで襲われるのは間違いない。

「あのさ、そこ引っかかるとこじゃないし」

 私は、話を中断されたこととポイントのずれている涼太を指摘する。

「いやいや、そこ大事でしょ」

 なのに涼太は、とっても大切なことだろう。といわんばかりの目をして訴えてきた。

 そんな目で見られてもねぇ……。

 ゾンビ相手なら、このノートブックが納まるバッグで急所の頭部をおもいっきり一打して終わらせるところだけれど、愛しい相手にそんなことするわけにもいかないし。

 もう、面倒くさいなぁ。

「仲良くなったって言ったって、所詮仕事関係者だよ」

 焼きもちは嬉しい時もあるけど、今はちょっと面倒くさい。

 いや、結構面倒くさいのだ。

 だって私は、早く二人の話を聞いて欲しいのだから。

 どうやって涼太の気を逸らすか頭の中で首を捻っていたら、涼太は口を尖らせねっとりとした目で私に釘を刺すように訴える。

「まーいいや。あとで追求な」

 今は取り敢えず話を聞いてやる。そんな態度の上から目線で涼太が腕を組み、なんとか聞く姿勢になったのだけれど、あとで更に面倒なことになるのかと、最初の勢いが削がれて少しテンションが下がってしまった。

 それでも二人の話をしたくてウズウズしていた感情を抑えられず、私は気を取り直すべく少し冷め始めた珈琲を一口飲み、紗南と健ちゃんのことについて気持ちを整えた。

「とにかくその営業君が言うには、紗南は自分がずっと逢いたかった幼馴染のような気がするから、会って話してみたいっていうのよ。だから、私が引き合わせてあげたの」

「えっ!? ちょっと待てよ」

 え……、今度は何に引っかかったのよ。

 私は二度目になる涼太の“えっ!?”を警戒する。

「健ちゃんて、営業君のことだったのかよ」

「営業君が健ちゃんだよ」

「どっちでもいいし」

 確かにたいした問題ではない。

 それより。

「そう言わなかったっけ?」

「言ってないし」

 さっき上から目線で営業君相手に焼きもちした自分が恥ずかしくなってしまったのか、涼太が少し唇を尖らせて頭をぽりぽりとかいている。

 これで、“あとで追求”はなくなっただろう。

 涼太は自分のした焼きもちを誤魔化すように、で? で? なんて急かすように話の続きを促した。

「紗南って子は、想い出の健ちゃんのことがあってとても一途なわけよ。社内で何人か言い寄ってくる男性社員もいたけど、みんな撃沈してるんだよね。で、私はいい案を思いついたのよ」

 またもワトソン君登場で、私は人差し指をピンッと立てる。

「私自身のことを引き合いに出せば、心優しい紗南なら親友を立ててくれるだろうってね」

 どういう意味だよ、というような目つきのまま、カップの珈琲を持ち上げる涼太が一口飲むのを待って口を開いた。

「私のために営業君の知り合い関係で合コン開いてくれるって言うから、それと引き換えに営業君と逢って欲しいって紗南に頼んだの」

「合コン?」

 合コンという言葉に、目の前に座る涼太の目がすぅーっと細められる。

 俺という奴がいながら、合コンをセッティングしてもらうなんて、どういうことだ。そんな感じだろう。さっきの面倒くささがまた甦る。

 これは、早いうちに誤解を解いておかなくちゃ。

「えっとぉ。違うからね」

「違うって、何が」

 問い返された声がいつもより低めで、眉間に深い皺まで寄っている。

 さっきまで落ちついていたはずの私の感情が、ザワザワと慌てだして萎縮していった。涼太の不機嫌な目にもタジッて、私は急いで説明を付け加える。

「合コンていうのは建前でね。ほら。私って、彼氏いないことになってるから――――」

「おいっ。ちょっと待てよ。彼氏がいないってなんだよっ。俺の存在はっ?」

 さっき細められた目が威嚇に変わった。

 ひゃーーっ。益々誤解が深まってしまった。

「えっと、えっと」

 違うっ。

 違うのよ。

 だからっ、そのっ、えっとっ。

 慌てる私は、説明しなきゃいけない言葉が巧く纏まって出てこない。

「恭子にとって、俺は彼氏じゃなかったんだな。てか、俺は要らないってことか」

 そんな飛躍しすぎ。

「ちがっ! 違うって。落ち着いて、落ち着いてっ」

 やたらと冷めた表情で私を見ている涼太。

 対照的に、誤解を早く解かなくちゃと慌てている私は、そばにあったカップに手を引っ掛けて落っことしそうになり一人大騒ぎ。

 慌てている私に向かって、涼太の冷静な声がふりかかる。

「落ち着くのは、恭子だろ?」

 溜息と共に言われ、そうだったと私は落とさずに済んだカップをしっかり手に持ち、冷めてきた珈琲を一口喉に流し込んで心を落ち着ける。

「なんていうかさ。言い出し難かったのよ」

「何が?」

 未だ不貞腐れたように涼太が訊き返した。

「紗南は、健ちゃんのことを想ってずっと一人なわけでしょ。なのに、私に彼ができて調子に乗ったような話なんてできないじゃない。だから、独り身っていうことに……」

 語尾が尻切れトンボになりながらも、私は涼太に向かってそう説明した。

 説明を聞いた涼太といえば、椅子にふんぞり返るように座って腕を組むと深い溜息を零したあとに目を瞑ってしまった。ついでに言えば、綺麗な形をした唇もきゅっと閉じて真一文字になっている。

 これは……マズイかも。

 ちょっといい事したのよ、なんて浮かれて。しかも、ワトソン君なんて得意げに人差し指なんか立てている場合じゃなかった。

 寒い季節にやってくる、あのキラキラと眩しいクリスマスを前に、本当に独り身になってしまう恐れが……。

「りょ、涼太……?」

 目を瞑ってしまった涼太のご機嫌を伺うように、私は猫なで声で名前を呼ぶ。けど、その目はピクリとも動かない。

 ま、マズイよ。本当にまずいって。

 紗南に春が来て、私に極寒の冬?

 いやいやいやっ。

 冗談じゃない。私、寒いの苦手なんだから。どっちかっていったら、夏の方が好きなんだから。もっと言えば、夏よりもずっとずっと、いっぱい、たくさん涼太のことが好きなんだから。

 冷たそうに見えるしゅっとした鋭い眼が、笑った時にふわって緩んだら凄く幸せな気持ちになるし。軽薄そうな薄い唇から私の名前が出たときの、あの温かさを伝えてくれる瞬間だって好き。少し痩せすぎな感じの身体だって、筋肉はしっかりついていて抱きしめられると凄く安心する。

 ほかにもいっぱいいっぱい、言葉にするのは難しいけど、私は涼太の全部が好きだから。

 だからイヤだよ。怒んないでよ。笑ってよ。

 冷や汗交じりの涙交じり。得意になっていたさっきまでの自分を蹴り飛ばしたい。

 ちゃんと順を追って説明すればよかった。そしたら涼太の気分を悪くすることも、こんな風に怒らせることもなかったのに。

 後悔の渦に飲み込まれそうになりながら、私はもう一度涼太の名前を呼んだ。

「涼太?」

 私の声に、しゅっとした鋭い目がパッと開く。それと同時に涼太がスッと立ち上がったかと思うと、徐に踵を返してしまった。涼太が私に背を向けて、何の躊躇いもなく出口を目指していなくなろうとしている。

 えっ……ちょっ、待って……。

 伸ばした手は届くこともなく、怒った背中が遠ざかって行く。

 置いて……いかれた……。

 周囲のざわめきも聞こえなくなるくらい、耳の奥がキーンッと嫌な音を立てている。

 警告音?

 心臓辺りが冷えていき、頭の中は真っ白だ。

 心細さに泣き出してしまいそうになったそのすぐあとには、深く考えることなくバッグを引っつかんで背中を追っていた。

 涼太っ。

 待って。

 待ってよ。

 バタバタとなりふり構わず涼太の背中を追っかけて行ったら、路地裏の途中で涼太が足を止めた。

 その背中に声をかける。

「涼太」

 恐る恐る近づいて、もう一度小さな声で涼太を呼んだ。

「あの……。ごめんね。なんて言うか。紗南のこと考えたら、浮かれてもいられないって思って。だけど私、涼太が大事だよ。紗南には言えなくて嘘ついちゃったけど、ちゃんと大事だよ。だって涼太がいなかったら、毎日がつまらないもん。涼太と会えるこの時間が大切だもん。涼太がいなくなったら私……。ねぇ、涼太……」

 私の涙声にゆっくりと涼太が振り返る。その顔に縋りつくような目を向けると、何故だか涼太は満面の笑み。

 怒っていると思っていた涼太がめちゃめちゃ笑顔だったものだから、泣きそうになっていた私の感情がついていかない。

「どんだけ俺のこと好きなんだよ」

「え……?」

「不安そうな顔して追っかけてきたから、すげー嬉しくなった」

 にんまり笑ったかと思うと、ぐっと手を引き私を抱きしめる。

 安心できる胸の中におさまりながら浮かぶのは疑問。

 もしかして、わざと?

 そう思ったら一瞬カチンときたけど、私の耳元に埋めた顔から温かな呼吸が伝わってきて、怒りなんてどうでもよくなっちゃった。

 寧ろ、あなた子供ですか? なんて、私を試す涼太が愛らしくさえ感じてしまうのだからしょうもない。

「合コン。行くなよ」

「行かないよ」

「紗南ちゃんと健ちゃん。うまくいくといいな」

「うん」

 ああ、悔しいけれど、結局好きに勝てるものはないのよね。

 私の方が涼太のことをずっとずっと好きだから。

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