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 イナばあちゃんがひどく憤慨したが、マーディアスは、あたしをみじめなほど乱暴に店の外へ突き出した。外でパイプ殻を捨てていたトウラが、驚いて立ち上がった。


 あたしの襟首をつかんだまま、マーディアスは言った。


 「さぁ、レジェンとやらのところまで案内してもらおうか」


 「そうはいっても、どっちへ行ったんだか……」


 店を出るとそこは町の目抜き通りだ。かつては魔石鉱を積んだ馬車がしげく行き来したものだが、今や往来はまるでなく、建ち並ぶ家は空き家ばかりだ。かんかん照りの日差しが地面に陰影を貼りつけ、動くものは何ひとつ見当たらない。


 さて、この町で、レジェンの行きそうなところ……って、レジェンは保安官なのだ。パトロールの名目で、どこにでも行くしどこにでも入る、それが許される立場だ。住民は少ないが、かつては栄えていた名残で、町全体の広さはかなりのものがある。いったん見失ったら、足取りを探すのは難しい。


 「事務所で戻るのを待っていた方がいいと思いますけど」


 「その間に使われたらどうする!」マーディアスが怒鳴った。……もう存分に使っていると思います、という言葉をぐっと飲み込んだ。彼が警戒しているのは、〈レジェンが分不相応な使い方をする〉ことだ。もしそうなったら、レジェンには〈破滅が訪れ〉、そして石は〈空間を転移して消えてしまう〉……事典によればそういうことになる。マーディアスは、石が消えてしまって探索が振り出しに戻ることを危惧しているのだ。


 こんな奴に使われるくらいなら、石なんて消えてしまった方がどれほどよいかと思うけれど……レジェンにもし〈破滅が訪れる〉なんてことになったら!


 身を固くしたあたしの肩を、マーディアスはきつくつかんで振り回した。


 「さぁ、急げ! 居場所がわからぬとはいわせん!」


 ずいぶん無茶を言う。わからないものはわからない。このまま何もわからなければいい、と思いながら―――あたしの目は聡かった。道の端の、きつい日差しに乾ききった砂の上に、レジェンの靴跡が並んでいるのを見つけてしまい、そこであたしの視線は固まってしまった。


 マーディアスはすぐにそれに気づいて、わかりやすい奴だ、とにやりほくそ笑んだ。


 すぐさま部下に指を突きつけて指図した。


 「あの足跡を追え!」


 はっ、と敬礼して、部下が駆け出した、そのときだった。


 びゅうぅ、と一陣の風が吹き抜け、店の前で渦を巻き、去っていった。汗も引っ込む、涼風だった。……ひと吹ききりで、町にはまたすぐによどんだ蒸し暑さが戻ってきた。そして、乾いた砂の上の足跡は、風によって魔法のようにかき消えていた。……魔法?




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 「なんてことだ! いまいましい風め!」


 足跡が消えてしまったことで、マーディアスは一気に不機嫌になった。またあたしの襟首をひっつかんでまくしたてる。


 「何か他に手がかりはないのか!」


 そのとき、老魔法使いのトウラが、パイプを握ったまま間に入ってきた。


 「まぁまぁ閣下、落ち着いて考えることですぞ」


 脳天から煙を出しそうな勢いのマーディアスをなだめて、続けてあたしに言った。


 「おぬし、〈人捜し〉の魔法を知っているかね」


 「知ってますけど……」


 その名の通りの魔法だ。対象となる人物の居場所が、たちどころにわかってしまう(ただし、魔法をかける者は、その人物のことをよく知っていなければならない。だからこの老魔法使いは、術は知っていても今日会ったばかりのレジェンの場所を探し当てることはできない)。便利な一方、対象の意識が見つかるまで魔力を広範囲に行き渡らせなければならないので、魔石の消費量がきわめて多い魔法でもある。


 あたしは答えた。


 「そんな大粒の魔石、この土地にはもう残ってないです」


 トウラはだまって部下をひとり呼ぶと、その男が担いでいた荷袋をごそごそやって、中から紙に包まれた石を取り出した。包みをはがすと、中から出てきたのは、最高の状態に研磨された、真実の石に劣らない大きさの、立派な魔石だった。これなら、人捜しの魔法を十回使ったってお釣りがくる。


 「差し上げよう。もし彼を捜し出してくれるのならば」


 トウラは言った。しわだらけの手から、あたしの手にどすりと渡された巨大な魔石。予想外の重みに、背筋にしびれが走った。


 「あの、……レジェンを見つけたら、どうするんですか」


 「我々が欲しいのは真実の石だけだ」今度はマーディアスが割り込んできて言った。「おとなしく渡せばよし、したがわぬなら―――力ずくでも」


 レジェンがおとなしくしているわけがない。彼のガンベルトは、飾り以外のなにものでもないけれど、代わりに彼の舌先がマシンガンになるだけのこと。


 ……もしあたしが、彼らをレジェンのもとに案内したら、彼は、力ずくで石を奪われてしまうか―――嘘でその場を切り抜けようとするだろう。力ずくに立ち向かうだけの嘘をついたら、真実の石は彼を〈破滅〉させてしまうんじゃないか、あたしはそう思った。


 とたんに体中の毛がぞっと立ち上がるのを感じた。


 実際のところ、レジェンはたいした人物じゃない。頭は悪い、馬力はない、金遣いは荒い。それでいて、自分がうまくやれればそれでいい、口先ばかりのワガママ男。レジェンとあたしはしょっちゅう憎まれ口を叩き合っているので、町の人に下手な勘ぐりを受けることもあるけれど、あんなのの女房になるくらいなら行かず後家の方がマシだ。


 でもあたしは、レジェンの嘘が大好きだ。レジェンがいなくなることを、あたしは心の底から怖れた。こうべが自然に垂れ、目に涙がたまってきた。


 「イヤです」


 あたしは、首を横に振り、顔を背けた。


 「使えません」


 「なんだと?」マーディアスはあたしの首をつかんで引きずり上げた。「この場でおまえを辱めれば、悲鳴でやつがすっ飛んでくるかもしれんな? あぁ?」


 「閣下っ」トウラがマーディアスを押しとどめた。「そう手荒になさいますな。少し、この老いぼれと話をさせてください」




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 トウラはあたしを、イナの店の裏手、いくぶん涼しい建物の陰へと導いた。空の酒樽に腰掛けて、懐からまたパイプを出すと、タバコを詰めて、火をつけた。


 火は指先から出ていた。それくらいの魔法は朝飯前なんだろう。魔法と向き合った年期が、あたしとは決定的に違っているようだった。


 その差異はすなわち老いでもあった。彼は一見好々爺こうこうやだった。深緑のローブに杖を抱え、頭を柔らかい布の帽子で隠していたが、その下からは一本の毛ものぞいていない。パイプをふかすゆったりした手つきは、三軒先のご隠居にそっくりだ。


 しかし、パイプから立ち上る長い紫煙の向こうのしわくちゃの顔、肉の落ちた頬は、老い進むことを拒んでいるようだった。事実、衰えた体にむち打って、長旅を厭うことなく続けている。眼光だけがマーディアスに劣らず、若々しかった。この町の人々は、レジェンはなおのこと、誰もそんな目をしていない。


 煙を一条ぷぅっと遠くに吐くと、思ったよりも柔和な声で、トウラは話しかけてきた。


 「それにしても暑いな、この町はいつもこうかね……」


 「今日は、特に」


 「そうかね」


 ひとつうなずいてから、トウラはパイプをいったん傍らに置いた。


 「さて、少し話をしようか、お嬢さん。我々は話し合って折り合いをつけていかなければならないようだから」


 あたしも小さくうなずいて、膝を合わせてかしこまった。


 「まずはあるじの無礼を詫びよう」トウラは膝に手をつき深く頭を下げた。それから、小声で言った。「どうも閣下は頭のめぐりが極端でいかん。人のため魔法文化のためと思い詰めると、大義名分がかえってまなこを曇らせる……まぁ、これは内々の話にしておいてくれたまえよ」さすがに雇い主の悪口は大きな声では言えないようだ。トウラは再びパイプをくわえた。


 「とはいえかの石は、金を積めば買えるというものではないのでな」


 それはそうだ。欲しいものがあれば願えばいい。真実の石を持つ者にとって、金銭など無用だ。


 「ことにあたっては力のみが頼り、とは閣下もよくおっしゃられていたが、お嬢さんにまで手をかけるとは思わなかった。探索の長旅を始めてもう三ヶ月になるか、ぼんぼん育ちの方だから、焦りも疲れもこの老いぼれよりこたえているご様子」


 すぅ、ぱぁ、すぅ、ぱぁ、と、ゆっくり話しながらゆっくり吸っていたトウラは、また傍らにパイプを置き、また頭を下げた。


 「……お嬢さん。真実の石の入手に協力してはいただけないだろうか。真実の石は、必ず社会のために使う。約束する」


 彼がそう思っていたとしても、あのマーディアスという男が本当にそう思っているかは定かでなかった。この話を聞く限りは、トウラはそう悪い人ではなさそうだったけれど、あたしはどうしても警戒を解くことができなかった。




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 あたしが目をそらしたまま黙っていると、トウラは話題を変えた。


 「魔法を研究しているのかね」


 「……はい」


 「わしも、魔法の研究者だ。……長年、真実の石について研究してきた。だからこそ今、マーディアス閣下と目的をおなじゅうして行動している。……その目的とは、魔石の枯渇によって凋落した魔法文化の復興だ」


 「噂には、聞いています」


 「そうかね。なら話は早い」トウラは目を細めた。「もしも我々が真実の石を手に入れたならば、まず厳重なる管理体制を作った後に、少しずつ魔石の鉱脈を復活させることから始めようと思っている。一足飛びに大望を成就させようとすれば、真実の石の怒りに触れよう。狂王ブカサドが狂行軍を成功させ得たのも、真実の石に少しずつ手の届く望みから伝えていったからだと言われる。まぁ彼は後年、その力を侮り、破滅を呼び込むことになるわけだが……」


 「破滅……」


 「真実の石が、その者と関係を持ったという事実を隠蔽しようと試みるのだといわれている。つまり、真実の石のもたらす破滅とは、〈口封じ〉だ。死ぬ、狂気に冒される、舌と手足をもがれる刑に処される、終わりはさまざまだが、真実の石に破滅をもたらされた者は、二度と知恵もて言葉を操ることはできなくなる。その愚を冒さぬように使っていかなければならない」


 自分の研究成果を披露できることがうれしいようで、トウラは機嫌よく、舌先もなめらかだ。彼は本当に自分の研究が好きで、だからこそあのマーディアスという傲慢なパトロンに頭を下げ、真実の石探索という老骨にむち打つ旅に、不平も言わず加わっているのだろう。だが彼の語る内容は、あたしの背筋に、また別の怖気を走らせた。真実の石のもたらす〈破滅〉は伝説でも誇張でもなんでもなく、直接に確実に所有者の人生を奪うのだ。レジェンは、いったい、どうなるのだろう。


 「それなら……」あたしは言った。「真実の石にとって、〈分不相応な願い〉って、どんなものですか」


 「ふむ。言葉通りにとらえてよいと思う。その人間の器に収まらないことは、分不相応なことだ」


 「……太陽とポーカーしたい、と言ったら、どうなりますか」


 「?」トウラはたぶん何の冗談かと思ったろうが、あたしの目は真剣だった。「……なるほど、レジェンというのはそういうことを口走る男かね」


 「はい」


 「ふむふむ。わかっているのは、判断するのが真実の石自身だということだ。真実の石は、語調や言葉をきちんと聞き、人間と同じように解釈して、判断をくだす。しかし、真実の石が把握できるのは語気の強弱だけで、顔の表情や周囲の状況までは読むことができない。また、人間は問い返すことができるが、真実の石は問い返さず一度で判断してしまうのだ。言葉が足りなければ判断を誤る。言葉が多すぎればよけいな判断をくだす。思い通りに伝えるのは難しい。……本当に太陽が地に下りてくるかもしれんし、因果のなさに捨て置かれるかもしれんし、あるいは真実の石にも限界はあるだろう」


 「……真実の石の、限界とは?」


 そう訊くと、トウラは満足げにひとつうなずいて、口調を少し変えた。それは、袖を引いて誘うかのような。


 「調べてみたくは、ないかね」


 あたしは目をしばたたかせた。


 「魔法の研究をしていると言ったが、いまこの町で、満足のいく研究ができるかね?」


 ……図星だった。あたしは、この町でできることのほとんどをやりつくしていた。本当は、もっと多くの文献から知識を得たかったし、もっと難しい、魔石をふんだんに使う実験をしてみたかった。この町で、ひとりきりで続けていたら、永遠にできないことだ。


 「マーディアス閣下は、閣下と呼ばれるとおり、魔石流通に携わる勅任閣僚を代々務めてきたお家柄だ。潤沢な資金を持っていらっしゃるし、魔石の入手も思いのままだ。おぬしの望む研究環境をすぐにでも提供できる……どうかね、ともに真実の石を、そして魔法の未来を研究してみるというのは?」


 あからさまにいえば、買収しようとしているのだろう。でもその言葉には真剣みがあったし、あたしにとっても願ってもない話だった。


 「真実の石を、魔法文化の復興のために使うよう、レジェン君を説得してはもらえないだろうか。個人の欲望にゆだねると、必ず破綻をきたす。歴史がそうだった。……唐突にやってきて、短い時間で難しいことを頼んでいるとは思うが、どうか考えてはくれまいか」


 あたしの心は揺れた。


 トウラはあたしよりずっと多くのことを知っている。


 あたしももっと多くのことを知りたいと望んでいる。


 あたしはこの町から飛び出して、もっと多くのことを知るべきなんだ。そのチャンスがあるなら、迷わず飛びつくべきなんだ。ベストの選択が目の前にある。


 あたしの今なすべきことはレジェンの手から真実の石を取り上げることで、トウラの望みは真実の石を手に入れて魔法を復興させること。この取引に応じてレジェンを捜し出し、あのマーディアスの手に渡る前にトウラに真実の石を委ねる。そうすれば、すべては丸く収まって、そのうえあたしは願ってもない研究環境を得る。


 でも。


 怖かった。


 あたしは、ううん、この町の若者たちはみな、山が閉じていった寂しい歴史を知っている。そのとき、大人たちの間で、いくつもの約束が交わされ、いくつかは守られ、いくつかは反古ほごにされた。起きたたくさんの出来事は、その多くが悲観的で、中心に立っていた大人たちはどうにかしようと必死だった。そして、いったいどんな状況であるのか、子供たちに丁寧に説明する言葉を持ち合わせなかった。あたしたちは、いつの間にかやってきた別れや悲しみを、目に見えるものも見えなかったものも、その軽重を計る力もなく、黙って受け入れていた。


 その中でレジェンは、嘘ばかり言っていた。嘘はときとして暴走し、あるいは彼がときとして真実を語るとき、彼はいつも罰を受けるはめに陥った。それでも彼は嘘をつくのをやめなかった。無邪気な嘘を突き続けてあたしたちを笑わせていた。さびれた町を守るのは、権力でも、暴力でも、財力でもないんだって、レジェンはそのことを小さい頃から自覚しないまま体現していた。


 あたしにとって、嘘か真実かわからなくなる真剣な言葉より、人と人とをつなぎうる他愛のない嘘の方が、よほど信じるに足るものだった。


 あたしがもし本当に知識を求めて旅立つのなら―――そのときは、必ず、レジェンの嘘に送り出されたい。ここにある信じる糸を失ってまで、旅立つ勇気は、あたしにはない。

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