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- 21 -


 マーディアスの部下たちは引き金を引いたが、たった七文字の言葉は、握りしめた真実の石に確実に届いていた。そしてその言葉は、───真実となった。


 新たな弾丸に、レジェンは片眼と心臓を確実に撃ち抜かれ、倒れ伏した。だが、すぐに立ち上がった。


 保安官バッジの星の角がひとつ折れている。シャツとベストには弾痕がいくつも空き、そのすべては血にまみれて、もはや元の色はほとんど残っていない。血はまだだくだくと流れている。指から、裾から、したたり落ちる。傷を押さえることすらもせず、ふらふらと、生気のない顔でレジェンは歩き出した。膝にも弾丸が当たっていて、彼はびっこを引き引き、少しずつ少しずつ、マーディアスのいる方へと歩み寄っていった。


 ただ一カ所、残されたもう片方の瞳にだけ生気があった。怒りとか、憎しみとかを超えた、あたしがマーディアスに感じたのなどよりはるかに恐ろしい負の感情に満ちていた。レジェンの中にそんな感情があることを想像したことがなくて、あたしは思わず顔を覆った。がくがくと足が震えて、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたけど、今度は誰も助けてはくれなかった。耐えきれずにとさりと膝を落としてへたり込んだ。レジェンは、やっぱり、他愛ない嘘だけを言ってなくちゃいけなかったんだ。


 マーディアスの部下らは、その異様な姿に悲鳴をあげた。死人が立ち上がって歩き出したのだから当然だ。恐怖に駆られて、何回も何回も遊底を引き、何発も何発も銃弾を浴びせ、だがレジェンは撃たれても撃たれても歩調を変えなかった。レジェンが一歩迫るたびに、射手は一歩退いた。


 「痛くねぇ」レジェンは低い声で言った。「傷なんか、一瞬で治っちまう」真実の石がぎらりぎらめいた。


 レジェンの傷が治っていく。体から、ぼとりぼとりと、撃ち込まれたはずの銃弾が、治りゆく傷口から吐き出されて地面に転がっていく。撃ち抜かれた眼球が生々しく蘇っていく。無傷のレジェンに戻っても、シャツが血に塗れていることには変わりなかった。


 マーディアスもいちどは後ずさりをしたが、その表情はすぐに、歓喜のそれに変わった。


 「すばらしい! 不死すらも、かなう望みだったのだな!」


 マーディアスは腰にぶら下げていた剣をすらり抜き放つと、レジェンに斬りつけた。無防備なレジェンは、なすがまま袈裟懸けにばっさり斬られた。血がまた激しく吹き出す、だが、切り裂かれたシャツの下で傷は見る見るうちに治っていく。


 「すばらしい!」マーディアスは今度は銃を持った部下に駆け寄った。「おい、もう一度撃ってみろ!」部下はひるんでいた。するとマーディアスは有無を言わさずその銃を取り上げた。自分で狙いを定め、レジェンを狙って引き金を引く。弾丸はレジェンの頭蓋を貫き、彼は頭から血しぶきをあげてのけぞった。だがそれすらもすぐに治ってしまい、再び歩き出した。血の気のない顔、鈍い動き、そして死なない体。太古から伝わる不死の怪物のようだった。


 「すばらしい!」マーディアスの歓喜はさらに高まった。




- 22 -


 そのとき、レジェンの周りに、ふっ、ふっ、ふっ、と何か白い煙のカタマリが続けざまに浮かび上がった。今まで彼の肩をふわふわしていた煙の動きも激しくなっていた。レジェンがそうなるのを、待ちかまえていたみたいだった。


 「いかん……」トウラが、うめいた。「レジェン君は、破滅する。おそらくはもう止められん……」


 「どういうこと……?」へたり込み青ざめたまま、あたしは尋ねた。


 「真実の石がもたらす破滅には前兆があるのだ。今までに破滅に追いやられた者どもの霊魂が、新たな所有者を同じ破滅に導こうとする……あの白い煙は、まさしくその悪しき霊魂だ。彼らは、レジェン君の心に生まれた負の感情に寄り集い、煽り立てている。新たな仲間が増えることを、心待ちにしているのだ……」


 「そんな……」


 恐れていたことが起きてしまった。レジェンには破滅がもたらされてしまうのだ。やっぱり、真実の石は手にしてはいけないものだったんだ。


 あたしは絶望しかけていた、だが賢明なるトウラはあきらめずにまだ頭を巡らせていた。すぐに決断し、あたしに叫んだ。


 「おぬし、〈三号筒型退魔法陣〉を描けるか?!」


 「え……」


 「描けるのか?!」有無を言わせぬ声だった。声に押されて、あたしはよろよろと立ち上がった。


 「えっと、……南なら、なんとか」


 「よし、今すぐ南底礎陣を描け! わしは北底を描く! きやつの背の高さより大きく描くのだぞ、精いっぱい手を伸ばせ!」


 〈筒型退魔法陣〉は、ふたりで作成する立体の魔法バリアだ。ふたりの魔法使いが相対して立ち、自らの前面の空中にそれぞれ円形の魔法陣を描くと、双方の魔方陣の間の空間を筒型に切り取り、その空間から人間以外の魔力や霊力を持った存在を完全に排除する。ふたりぶんの力を相乗する分、その効果は非常に高い。ただし魔石の消費も膨大だ。


 あたしとトウラは、正しく南北に位置して、レジェンを間に挟むように立った。


 レジェンはといえば、剣を投げ捨てたマーディアスと揉み合っていた。マーディアスは、力ずくで真実の石を奪い取ろうとしていた。彼は相変わらず、自分が石を手にするべきだと信じていて、一方で、自分が真実の石に滅ぼされる可能性など、微塵も考えていないようだった。


 あたしは虚空に魔法陣を描き始めた。退魔法陣なんて二三度実験で描いただけで、うろ覚えだ。思い出せ、思い出さなきゃ。レジェンを破滅させたくない。あたしの耳に「クオレは、絶対負けない」という言葉がよみがえった。


 もみ合うレジェンとマーディアスの頭上、ドームの天井付近に、白い煙のカタマリが新たに浮かび上がった。むくむくと入道雲のように膨らんでいき、大きくなるにつれ、彫りの深い壮年の男の顔立ちにはっきりと変化していく。その顔の口がゆっくりと開いて、何か言葉を発した。意味を成さぬ、ドームの空気を鈍く震わすだけの声だったけれど、それを聞いたとたん、魔法陣を描く手がかじかむほどの寒気が心の中に入り込んできた。石よもういいだろう、かの者に我々と同じ破滅をくれてやれ―――そう言っているようにしか、思えなかった。あの顔は、いったい……?


 トウラが叫んだ。「狂王ブカサドだ! ヤツほどの妄念が取り憑いたら、二度と正気には戻れぬ! 取り返しがつかなくなるぞ! 急げ、娘!」


 何体かの悪霊はすでにレジェンに取り憑いていた。体の周囲にまとわりつき、目を覆い、鼻を覆い、口から中に入り込んだ。そのたびに、レジェンの表情が醜く歪んでいくように見えた。……もしかするとそのせいでレジェンの容赦がなくなったのだろうか、レジェンがマーディアスを荒っぽく蹴倒して、揉み合いに決着がついた。


 「こいつがほしいのか? あ?」


 レジェンは、曇る瞳で、マーディアスに真実の石を突きつけた。


 「ほしいだろうな? すばらしい石だ、まったくな! 真実の方が、真実になることの方が、そりゃあうれしいさ!」


 違う! ……あたしは心の中で悲鳴を挙げながら、魔法陣の最後の仕上げをしていた。


 「くれてやるよ」声もまた、肺から血をくかのように濁っていた。「真実を」


 嘘でいいの。レジェンは嘘でいいの。どこまでも他愛のない嘘で、いいの。


 「さぁ。オレが、これから言うことは、真実に、なる」


 ……嘘よ、全部嘘!


 「てめぇなんざ、」

 「き」

 「え」

 「て」

 「し」

 「ま」

 「描陣完了! 発動せよ!」あたしとトウラが同時に叫んだ。筒型の空間が、中心の軸から金色に輝き始める。その直径は勢いよく広がり、描いた魔法陣の円周と同じ大きさに達し、魔力に満ちた退魔空間がレジェンを包み込んだ。


 トウラの狙いは的中した。魔法の効果で、レジェンにまとわりついていた悪霊たちは、すべて退魔空間の外へと弾き出され───真実の石もまた、レジェンの手のひらからこぼれ落ちた。レジェンが最後に発した「え」の声は、石に伝わらなかった。


 いったん退魔空間ができてしまえば、もう大丈夫だ。「レジェン!」あたしはその中に飛び込んで、レジェンを抱きしめた。レジェンは、……レジェンは、あたしの腕の中でぼろぼろと涙をこぼした。「ありがとう、クオレ」レジェンは言った。「ごめん、クオレ」レジェンはその言葉もつけくわえた。


 傷は確かになくなっていたけれど、あれだけ血を流したのも確かだ。レジェンの顔色はひどく悪かった。あたしは、レジェンに肩を貸して、空間の外へ連れ出し、壁際で回復魔法を施した。レジェンは泣きじゃくりながら、ありがとうとごめんを繰り返していた。なぜ彼が泣くのか、なぜ謝るのか、わかるような気も、わからないような気もした。




- 23 -


 一方で、真実の石は落ちて地面を転がり、ちょうどドームの中心点で止まっていた。マーディアスが見境なく追いかけ、飛びついて拾い上げた。


 「やった! やったぞ、ついに真実の石を手に入れた……っ!」


 それ以外のものは、彼の目にも耳にも、もはや何も入ってはいかなかった。周りに、レジェンから離れた悪霊たちがわっと押し寄せたことを、彼は理解していなかった。


 「私が、私が望むのは、そうだ、まず私をヤツと同じに不死の体にしてくれ! 傷など一瞬で直るようにしてくれ!」真実の石はぎらりぎらめいた。「かなったのか? かなったのだな? はははははこれでもう怖れるものなど何もないぞ。あとはゆっくり、ゆっくりとな。何を望む? 何を願う? 何を真実となす? あぁ、いざとなると言葉が出てこぬ……魔法の復権? そんなことはどうでもいいことだ。どうにでもなることだ。私は、私の、私だけの、誰にも思いつかない、誰にもまねできない、歴史に残るような、それを聞けば誰もが私のことを思い出すような、すばらしく偉大な望みを、いくつも、いくつも、いくつも、実現して、真実になる、まごうことなき真実になる、ははは、……石は私の手にある、不死にして不屈の私の手にあるのだ、二度と手放さぬ、誰にも渡さぬ、私のもの、私の願い、すべては真実になるのだ!」


 狂王ブカサドの霊が、ゆっくりとマーディアスの頭上に降りていった。


 「はは、はは、」マーディアスは、顔をゆがめて笑い続け、


 そして言った。


 「私は、私は、……月をたなごころに乗せてもてあそぼうぞ!」


 マーディアスに、破滅がもたらされた。


 幾度となく鳴り響いた銃声、大声、そういったもろもろが、もともと弱く落盤を繰り返していた断層を刺激していたのだ。


 本当に真実の石の呼び起こした災いだったのか、ただマーディアスの笑い声が引き金になったのか、それは知らない。


 ドームの天井が崩れ、あまたの悪霊に囲まれた男の頭上に───その頭上にだけ、巨大な岩が降り注いだ。砂埃が、舞い上がる。笑い声が甲高い悲鳴に変わり、埋もれて、消えた。


 ……マーディアスの言葉は真実となっていた。すぐさま部下たちによって掘り出されたとき、彼は生きており、しかも無傷だった。だが瞳はいつまでも虚空をさまよっていた。口元からはよだれが垂れ下がっていた。正気を失い、顔に貼りついたままの欲望にゆがんだ薄ら笑いを、彼は永遠に解くことはできなくなったのだ。トウラの知るいかなる回復魔法も効果はなく、彼が二度と意味のある言葉を発することはなかった。


 彼の手からこぼれ落ちて、再び転がっていった真実の石は、音もなくいずこかへと姿を消していた……。




- 24 -


 「君たちも早く脱出したまえ。また落盤が起きるかもしれない」


 と、トウラは言い、白墨で地面に長距離空間転移の魔法陣を描き始めた。


 複雑な術式を、慣れた手つきでためらいなく描いていく。その顔は、高揚と落胆に疲れ果てていたが、晴れやかな笑みも薄く重なっていた。幕切れがどうあれ、長い旅の終わりに安堵していた。


 魔法陣を描き終わると、彼は部下どもをその中に集めた。マーディアスは、その中のひとりが担ぎ上げた。


 「床につかせるくらいの義理はある。このまま、宿か病院のある町まで跳ぶことにする。本当に、すまないことをした……」


 そう言って、トウラは深々と頭を下げた。


 多数の人間を長距離転移させるには、相当の魔石が必要だ。それを指摘しようとしたあたしを、トウラはさえぎった。


 「閣下から賜った魔石を使い切りたいのだ。彼のために使う魔法はこれが最後だろうからな。浪費だとは思うが、これもけじめだ」


 魔法が発動し、魔法陣が光を放ち始めた。転移が始まり、トウラたちの姿が少しずつ薄れていく。


 去り際に、トウラはぽつりとつぶやいた。「もしかしたら、真実の石は、レジェン君のような持ち主を、ずっと探していたのかもしれんな。我々は、愚かだった……」


 魔法陣の光が消えると、後にはあたしとレジェンが呆然と残された。


 坑内のドームに、ふたりきり。隣に立つレジェンを見上げると、彼はなんだか照れくさそうに、そっぽを向いていた。頭をかくようなしぐさで手を頭の後ろに回す。


 帽子もシャツもベストもぼろぼろの血まみれ、折れ曲がった保安官バッジ、傷や体力は魔法で癒えているが、痛々しい姿であることには変わりない。はやく、元のレジェンに戻してあげたかった。


 「あたしたちも、戻ろっか」あたしはつぶやいた。「魔石、足りるかな」


 トウラにもらった魔石は、退魔法陣でほとんどが消費されて、あとは豆粒大のものが残るだけだ。あたしとレジェンを空間転移するに足りるかどうかあやしい。足りなければ、歩いて帰るしかないが、外は大雨のはずだ。耳を澄ますと、坑口から、かすかに雷鳴が聞こえた。傘なんかないから、ずぶ濡れで帰るしか……。


 あたしははっとした。あの雨はレジェンが真実の石で降らせたものだ。石が消えた今もなおその効果が切れないとなると、……もしかして、永遠に降り続くのだろうか?


 すると、「大丈夫だよ」レジェンが相変わらずそっぽを向いたままで言った。


 「ここはもう、イナの店なんだから」レジェンの帽子の中から、きらりきらめく光が放たれた。


 ……あたしたちは、言葉通りに、イナの店の玄関口に立っていた。


 土砂降りの雨が、軒や地面を叩いている。まだ日が傾き始めたくらいの時間のはずだが、垂れ込める雲の下、町中が夜のように暗かった。イナの店の中からは、畑仕事ができなくなった町の人たちの、早々にのんだくれてくだを巻く声がした。


 まぎれもなく、空間転移で戻ってきたのだ。……あたしは目を丸くした。


 「……なんで?」


 レジェンは黙って、先ほどから後頭部に触れていた手を、首からぶら下げたつば広帽の中に差し入れ、


 ……真実の石を、取り出した。


 「元に戻るとこは、元に戻してやって、くれないかな」レジェンは石にささやいた。「ついでに、オレも、死ねる体に戻してほしい。元に戻すのもたいへんだと思うけど、そこんとこ、ヤな顔しないでよろしく頼むよ」石は、きらりきらめいた。


 突然雨が止んだ。雲が切れ、薄日が差してきた。レジェンの姿も、服も、折れ曲がった保安官バッジも、元通りに戻っていた。この半日の間、まるで何も起きなかったかのように。


 ……イナの店の中から、おぉ、やんだか! と歓声がした。何人かは店の外に飛び出して、ぬかるみの中で陽気に小躍りを始めた。


 「おやお帰り。どこへ行ってたんだい? あの連中は、もう帰ったのかい?」


 イナばあちゃんも店の外に顔を出した。あたしたちの姿を見つけて不思議そうな顔をしたが、深く考えることはないようだった。


 「それにしてもいいおしめりだったねぇ! もしかして、あんたが魔法でやったのかい? あっはっは、まさかね、あんたにそんな大それたことできるわけないよねぇ」


 勝手に決めて、返事を聞きもせず、今度は、外で踊っている連中を怒鳴りつけた。


 「ほぅらあんたたち! どろんこ遊びはいいかげんにおし! 酒手踏み倒して逃げたりしたら承知しないよ!」


 ……何もかもが笑い話になったようだった。この町は、ずっとそんななんだろう。


 それより、あたしは目を見張っていた。今日はいろんなことがあったけど、驚いたというのではこれがいちばんだった。レジェンの手の中にあるものは、紛れもなく、マーディアスを破滅させて消えていったはずの、真実の石だ。


 「どうして……消えた、はずじゃ……」


 「答は簡単」レジェンは言った。


 「おれが落とし物入れでこいつを見つけて、最初に言ったことは、『キレイだなぁ、こんなキレイな石がもう一つあったら、クオレにプレゼントしてやるのに』だったってこと。……ホレ、やる」レジェンはあたしに真実の石を押しつけた。


 こころなしかうれしくなさげに、レジェンは最後にこう言った。


 「真実なんてものは、ポッケに入れておくくらいでちょうどいいんだよ」

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