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 坑道の奥へ、レジェンはのっしのっしと突き進む。しかたないから、ついていく。


 どうやったら、レジェンから真実の石を取り上げられるだろう。……それができたら、あたしは、どうしよう? そう考えたとき初めて、あたしは自分に真実の石を使うつもりがまるっきりないのに気づいた。願いがかなうことより、欲望の虜となって良心を失うことより、破滅を怖れていた。それがレジェンだろうと、自分だろうと、あるいは他の誰かだろうと、破滅という状況が訪れることを、怖れていた。


 ───真実の石を、誰かが必ず持っていなければならないのだとしたら、いちばん破滅の確率が低そうなのはレジェンだ、だったら、レジェンが持っているのがいいのだろうか、そんなことを思って、あたしはレジェンの背中を見つめた。……おや。明るいところにいたときはよくわからなかったけれど、レジェンの肩、脱いだつば広帽子を首から背にぶら下げている辺りに、ぽうっと白く光る煙のようなカタマリが浮いている。ゴミか何かと思って払おうとしたら、勝手にふらふらと飛び回る。なんだろう……?


 かつての探検隊の最高到達地点は、あっという間に過ぎてしまった。坑口からの光が弱まり、逆に、真実の石が醸し出した青い光の方が強くなっていく。


 足元がどうにかわかる程度の、薄暗いものだったけれど、そのブルーはとても鮮やかだった。たそがれの闇だけを抽出したみたいに幻想的な空間が生み出されていた。先へ少しずつ進むと、岩の凹凸で変わる光の陰影が、なんだか揺れているように見える。あたしは海を見たことがないけれど、くらい海の底というのは、もしかしたらこんな感じだろうか。


 坑口は、結局一カ所しか作られていない。非常用の坑道がもう一カ所あったが、閉山直前の落盤事故で埋まったままだ。ここからまっすぐな横坑と下る斜坑、下りきると横坑がずっと続いている。横坑と斜坑の分岐点が、いくらか広く、天井の高いドーム状の空間になっていた。


 ここまで来ると、もう入り口からの光も届かない。深い青、淡い青、ぐるりと首を回すだけで、青が降り落ちて迫ってきた。わずかに地にこぼれた原石や、掘るに値しなかった細い鉱脈が強く輝き、星のようにまたたいて、夜空に包まれているみたいだった。打ち捨てられた古い掘削道具も、にぎわいを増す青のオブジェ。輝きながらさらに奥へと続くトロッコの線路は、あたしたちをどこへいざなおうとしているのだろう……。


 これも、真実の石のしわざなんだ。


 少し寂しげで単調ではあるけれど、自分も青のオブジェのひとつとなっていると、なぜだか落ち着いて、幸せになれそうな気がした。あたしは、この空間になら、ずっといてもいいと思った。


 「いいカンジだなぁ」また同じつぶやきをレジェンが漏らした。


 だが。


 「いい感じだ、まったく」……背後で声がした。老いた弱い声だったが、この空間ではよく響いた。トウラだ。


 魔法による光の球が天井に向かって投げ上げられた。その球は太陽のようにまぶしく輝いて、空間を昼間と同じ明るさに照らし出した。青い幻想的な空間は、たちどころにかき消されてしまった。


 トウラは難しい顔で言った。


 「おもしろいな、少年。実に結構! だが、すまんがわしもいつまでも遊んではおれんのだ」




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 「いつの間に……」


 あたしは目を丸くした。


 「申し訳ないが、お嬢さんを〈人捜し〉させてもらった。短い会話だったが、あれくらい顔を合わせていればわしには十分だ」


 トウラの眼光は先刻よりさらに鋭かった。


 「少年。その石はおぬしには使いこなせぬ。おぬしにはもう破滅の兆候が出ているぞ」もしかして、レジェンの肩に乗っている白い煙のことだろうか。「速やかに預からせてもらう」


 トウラの手の中に新たな魔法が生まれていた。ミルク色の霧の球―――〈沈黙〉の魔法だ! あの霧に包まれると、何もしゃべれなくなる。真実の石は、口にした言葉に反応する、したがってしゃべれなくなれば真実の石は使えなくなる理屈だ。隙を与えるつもりがないのだろう、トウラの魔法の発動は尋常でなく速く、霧の球はただちにその手から放たれた。


 反射的に体が動いていた。あたしはレジェンの前に立つと、小さな魔法陣を虚空に描いた。それが、可能な限りすばやく作れる魔法障壁だった。トウラから渡された魔石を使うことに、一瞬ためらいはあったが、振り切った。


 沈黙の魔法球が魔法障壁に当たり、魔力同士のぶつかり合いがかすかな火花を散らす。―――ふつうなら、つまり技量が同程度なら、沈黙の魔法は魔法障壁にぶつかった時点で消えてしまうはずだった、だが霧の球は、回転しながら幾度も幾度も障壁に挑みかかってきた。力量の、絶対的な差だった。


 「お嬢さん、おぬしは彼に真実の石を持たせたくないのではないのか……!」


 トウラが苦々しく言った。あたしは答えられなかった。


 「だが、魔力をその程度にしか扱えぬのでは、わしの魔法は防げんよ。精進が必要だっ……はっ!」


 トウラは、力強く腕を前に突き出した。新たな魔力がそれに乗って霧の球へと注ぎ込まれた。霧の球が勢いを増し、尖った矢じりのような形状に変わって障壁を貫こうとする。ダメだ、防げない!


 けれどレジェンはこの勝負を見ながらにやにやしていた。その手には、真実の石が握られていた。


 「大丈夫さ。クオレは魔法じゃ誰にも負けない。負けないったら、負けない」真実の石がきらりきらめいた。


 弱々しい魔法障壁は、霧の矢じりが何度ぶつかろうとも、びくともしなくなった。


 「時間をかけすぎたか……」トウラはつぶやいて、手を下ろした。霧の矢じりがすっと姿を消した。レジェンに真実の石を使うつもりがある以上、こうなったらトウラに勝ち目はない。


 トウラは大きく手を広げながら、大きくため息をついた。


 「降参だ、少年。少し話し合おう」




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 「思ったよりあきらめが早いなぁ。もう少しごちゃごちゃとごたくを並べるかと思ってた」


 レジェンが失敬なことを言った。


 「おぬしは、我欲なしに石を使うようだからな。それは真実の石との正しい向き合い方といえる。……真実の石について、深く学んだことでもあるのかね」


 「うんにゃ」


 「知らずに、あのパラソルか。なるほどなるほど、知識の多寡ではなく、器というものだろうな。わかってきた気がする。やれやれ……」


 トウラは少しくたびれた様子で、手近の乾いたガラクタにどすりと腰を下ろした。それから、あたしの前でしたのと同じように、パイプを取り出して、たばこを詰めて、火をつけた。レジェンも地べたにあぐらを組んで座り込み、片膝に頬杖をつくと、イナばあちゃんの店でしたように、指先でくるくると真実の石を回し始めた。


 先刻トウラが天井に投げ上げた魔法の灯りは、今も煌々と明るく、あたしたちを照らし出した。真実の石も、存在を主張するかのようにきらきらと輝く。


 「それが真実の石か」トウラはゆっくりパイプをふかしながら言った。「長年追い求めてきたものだというのに、おぬしの手にあると、まるで芝居の小道具だな。どうも調子が狂っていかん……だが、平常心で向き合えるのはよいことだ」


 トウラは、ぐっと顔を近づけて、レジェンを説得し始めた。「まずは単刀直入にうかがおうか。その石を、我々に譲ってはくれんかね」


 「やなこった」レジェンは即答した。


 「なぜかね」


 「あんたらが気に食わん」


 トウラは肩をすくめた。「違いない。無礼は詫びよう。だが、それは我々にとってぜひとも必要なものなのだ。……これも何かの縁だ、どうだろう、君も都でわしとともに真実の石を研究してみんかね」


 「勉強だとか研究だとか、興味ない」


 答えは予想通りだった。彼にはあたしのような悩みはない。


 「では、君はその石を、今後どうしていくつもりかね」


 「使いたくなったら、使いたいように使うさ」


 「やれやれ、困った……器がわかっても、同じ土俵には立てぬか」


 トウラは、寂しそうな目をした。


 「だが、どうしても必要なのだ。今こそ必要なのだ。真実の石なかりせば魔法文化はついえる。その一念でわしはここまで来たのだ。わかってほしい」


 レジェンも寂しそうな目をした。あたしがいままで見たことのない、どこかへ遠ざかる視線だった。


 「そうかな。オレには、必要なものなんて、何もないけどな」


 トウラとレジェンはしばらく見つめ合っていた。


 やがてレジェンは石を回すのをやめてひっつかみ、言い放った。「こんなもんはさ」


 まじめくさった顔のままで、真実の石を握った手を、トウラに向けて軽く前に突き出した。「今すぐこの世からなくなった方が……」


 レジェンはそう言って、そして扉をノックするように肘を曲げ、その手を軽く振り上げて振り下ろした。「いいんじゃないのかな?」


 ───握っていた手を開く、すると真実の石は手の中から消えていた!


 あたしは目を丸くした、ましてトウラのうろたえようといったらなかった。


 「ま、まさか、今の言葉を真実にしてしまったのか?! 真実の石が消えることをおぬし自ら望んだのか?!」飛びかかるようにレジェンにつかみかかってわめき散らし、それから力なくひざを突き、呆然として頭を抱えた。「それだけは……それだけはしてほしくなかった……」


 レジェンはにやりと笑って、左手をポケットに入れ、真実の石を取り出した。……手品だ。レジェンならやりそうなことだ。そういう彼の性格を知っているあたしでさえ、いつの間にポケットに移ったのかわからなかったから、トウラが驚くのも無理はない。彼はほぅ、と大きくため息をついた。


 「あまり年寄りを驚かせんでくれ。……わかった、わかった、まずはおぬしを所有者として認めよう。マーディアス殿はどうにか説得することにして、時間をかけてその使い方を相談させてはくれまいか……」


 トウラは立ち上がり、裾についた砂を払った。そこで、思い出したように、口を開いた。


 「そうだ、だが少年、ひとつ忠告しておかなければならん。その肩に乗っている白い煙だがな……」


 トウラがそこまで言いかけたとき。


 レジェンが弾けるように立ち上がり、坑道の入り口の方を凝視した。……遠くから、足音が響いてくる。


 ここにあたしたちがいることは、誰も知らないはずだ。立ち入り禁止のこの場所に、いったい誰が?


 「マーディアス閣下だろう、おおよその場所は伝えておいたからな」トウラが言った。


 「外、今、雨でしょう? どしゃぶりなのに、わざわざここまで?」


 「ははは、ふつうなら泥まみれだろうが、そこはわしが魔法をかけてある。閣下がきれい好きなこともあるが、荷が濡れたり汚れたりしても何かと困るのでな」


 「火薬の匂いだ」突然レジェンが言った。目を見開き、彼らしくない真剣な表情になっていた。


 「そう、火薬が湿気ると、銃が撃てなくなるから───」


 言いかけて、トウラも足音のする方角をにらんだ。自分の言葉通りに、魔法が役に立ったことを察したのだ。


 坑道を抜けてきたマーディアスの部下はいずれも、銃を持つ者たちだった。残りの段平持ちの部下は、坑口で見張りをしているものらしかった。彼らはドームの中に入ると列をなし、いっせいに銃を構えた。銃は既に弾が込められ、いつでも撃てる状態だった。さほど広くないこのドームはむろん射程内で、身を隠す場所などあるはずもない。


 続いてマーディアスが現れた。会ったときと同じ薄笑いを唇の端に貼りつけて、銃手の隊列の後方に立った。


 「封鎖していた扉の錠は壊させてもらった。……ここは、閉山して立入禁止なのだな」マーディアスは言った。「我々は、真実の石を手に入れさえすればいいのだ。他のことを考える必要はない」


 「閣下……!」


 トウラが目をむいた。


 「ここならば、銃声すらも気づかれることはない。死体も数日は見つかるまい。全滅させてでも、真実の石はこの手にいただく」


 レジェンが、真実の石を握りしめる。何か言おうと、口を開きかけた。


 マーディアスはむろんそれを許さなかった。手がさっと振り上げられ、……五挺の銃が、いっせいに火を噴いた。




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 奇跡は起こらなかった。一瞬閉じた目を開き直しても、光景は変わらなかった。


 銃弾はすべて、確実にレジェンの体を貫いていた。血が激しく噴き出し、彼はのけぞって倒れた。その手から、ぽろりと真実の石が落ちた。


 「レジェン!」


 あたしの叫びをかき消すように、マーディアスの鋭い指令が飛んだ。


 「次弾装填!」


 銃を持った五人の部下がいっせいに遊底を引く。薬莢が吐き出され、銃身に新たな弾丸が装填された。その銃口はあたしとトウラに向けられていた。どんな魔法も、引き金を引くより早くは発動しない。マーディアスの意図は明白だった。


 「これで邪魔者はいなくなる」その声は悦びに満ちていた。射線上に入らないようにしながら、レジェンの取り落とした真実の石にゆっくり近づいていく。


 トウラは、あたしに目配せをしてから、マーディアスに言った。


 「……閣下。はじめからそのつもりでしたな? わしは真実の石を捜し出すまでの、ただの道具にすぎぬと?」


 「それは私のせりふだ。貴様こそ、私を差し置いて、先に真実の石を手にするつもりだったろう?」


 「すべては魔法の復興のため。閣下の意思がそこから遠く離れているならば、それを抑えるのもわしの役目。真実の石を個人の欲望に委ねてはならんのです!」


 トウラはそうしてマーディアスの気を引いていた。その間にあたしはそろそろとレジェンに近寄った……だが、ほんの数歩で銃声が轟いて、あたしの足下に着弾した。動くなという脅しだった。


 「トウラ。真実の石に限っては、理想も正論も、手に入れた後で考えることだ。それでよいではないか。……そこに転がっている男には、どうせ理想も正論もないのだろう!」マーディアスは吐き捨てるように言った。「真実の石を手に入れてはならぬ者がいるとすれば、まさしくそいつに他ならぬわ!」


 近づけた数歩で、レジェンの様子が少し確認できた。よかった、まだ息がある、致命傷はなかったのだ。「チクショォォゥ……」のどの奥から、絞り出す声。


 「しゃべっちゃダメ、レジェン! また撃たれちゃう!」


 しかし出血がひどい。このままじゃ、時間の問題だ。血がだくだくと流れ出し、うつぶせに倒れた体の下に池を作り始めている。このままじゃ……。


 「まだ、声を出せるか。だがもう動けまい。石はもはや私のものだ」


 マーディアスは、その鮮血の色も、立ちこめる臭いも、まるで苦にならないようだった。視線は、真実の石に釘づけだった。石は、倒れたレジェンの体から一メートルほどのところに、所在なく転がり、トウラの放った魔法光を受けてきらきら光っている。


 ゆっくり一歩一歩、噛みしめるようにマーディアスは近づいた。地面が少しでも揺れると、真実の石が壊れてしまうかもしれないと怖れているようだった。希少なものは脆弱だと、そうあらねばならないと、心から信じているのだった。


 滑稽な抜き足差し足で進みながら、マーディアスは石のそばに横たわるレジェンに言った。


 「まったくコケにしてくれたな、ガキめ。だが、命乞いをするなら、命だけは助けてやってもいいぞ。この私が、真実の石を使って、助けてやる───貴様とは違い、私は石を人助けに使うのだ。正しいことに使うのだよ」


 マーディアスはついに真実の石にたどりつくと、がっと革靴で踏みしめた。転がらないように押さえ込み、それから、体を曲げ、手を伸ばして拾い上げようとする。


 レジェンはぎりぎりと歯を食いしばり、踏みつけられた真実の石を見つめていた。


 マーディアスの手が真実の石に触れようとしたその瞬間。


 レジェンが、残った力を振り絞り、マーディアスの足下に飛びかかった。


 何しろ片足を球に乗せていたのだ。バランスを崩すマーディアス、その足下から転がり出す真実の石。


「撃てぇ! 奴を撃てぇ!」マーディアスは叫んだが、あたしとトウラを狙っていた部下たちが狙いを切り替えるには、わずかに時間がかかった。


 そのわずかな間に、レジェンは転がった真実の石をつかみ取り───目を固く閉じて、声の限りに叫んだ。


 「オレは死なねぇ!」真実の石はぎらりぎらめいた。明らかに異質な輝きだった。

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