松山大学女子駅伝部の奇跡

ボーダーコリー

魂の襷リレー

 松山大学女子駅伝部が創部されたのは、2008年の春。発足当時の部員はわずかに2人だけであった。

 しかし、何とか少しずつ部員が増え、その年に行われた【全日本大学女子駅伝】(杜の都女子駅伝)に初出場を果たすことができたのである。

 結果は、出場校26チーム中で23位だったのだが、全6区間で行われるこの大会で、松山大学女子駅伝部の部員はギリギリの6人のみ。

 しかも、その内の1人はサッカー部からの助っ人であったということは、ほとんどの方は御存知のないことだろう。


 そこから松山大学女子駅伝部の歴史がスタートした訳なのだが、翌年の同大会では順位を大幅に上げて11位となり、更に、その翌年には4位に入り、創部から僅か3年で、全体の8位以内に入った出場校に与えられる翌年の同大会のシード権を獲得すると、それ以降も毎年のように上位に入賞し、シード権を獲得してきたのである。

 そして、2016年の同大会で、大会を5連覇中であった大学女子駅伝界の『絶対王者』として君臨する立命館大学を破り、創部して9年という短期間で見事に初優勝を成し遂げたのだ。

 だが、その僅か2か月後(2016年12月30日)に行われた《全日本大学女子選抜駅伝》(富士山女子駅伝)では、『絶対王者』のリベンジに遭ってしまい、3位となってしまった。

 この大会で、改めて立命館大学の意地や底力というものを思い知らされる結果となった訳である。

 やはり、立命館大学は単なるひ弱なエリート集団ではなかったということなのだろう。

 大会後のインタビューで、「色んな意味で、練習量とか、メンバーを含めて立命館が一番だということが証明できた」と、語った立命館の主将の言葉には、当然のことではあるが素直に拍手を送りたい。

 しかし、松山大学女子駅伝部が毎年行っている恒例の『地獄の夏合宿』のことを、地元紙や地元の報道特別番組などで知っている私は、立命館の主将のコメントを聞き、今回の駅伝のことをどうしても書きたくなってしまったのである。


 2016年の12月30日に行われた《全日本大学女子選抜駅伝》は、全7区間、43.8キロのレースである。

 この大会は前年まで立命館が3連覇を果たしており、世間では立命館の4連覇達成か、あるいは、松山大学の【全日本大学女子駅伝】との2冠達成かというところに注目が集まっていた。

 レース前日に開かれた各大学の監督によるインタビューで、松山大学の監督はえて目標順位こそ明言しなかったものの、「優勝争いにしっかりと絡みたい」と、闘志をにじませていた。


 そして、レース当日。私は自宅で駅伝のテレビ中継を放送開始から観ていた。


 松山大学の1区を務めたのは3年生で、御存知の方も多いかもしれないが、リオデジャネイロ五輪オリンピックの女子3000メートル障害に出場し、現役の女子大学生として史上初めてとなる五輪出場という快挙を成し遂げた選手である。

 彼女は2か月前の【全日本大学女子駅伝】でアンカーを務め、区間新記録の快走をみせ、松山大学の初優勝に大きく貢献していた。

 そして、今回も区間賞の走りを披露し、2位の立命館に6秒差を付けてトップでたすきつないだ。


 続いての2区を任されたのは、1年生ながら【全日本大学女子駅伝】では4区を務め、やはり、区間新記録の快走でチームの初優勝に大きく貢献したスーパールーキーである。

 彼女もまた、区間賞の走りを披露し、立命館との差を12秒差に広げて3区の選手に襷を繋ぐ。


 3区を任された選手は2年生で、【全日本大学女子駅伝】ではメンバー入りすることができなかったものの、その後調子を上げ、今大会でのメンバー入りを勝ち取った選手である。

 しかし、最大のライバルである立命館の3区を走るのは『絶対王者』の中でも「大学女子駅伝界のエース」と呼ばれている選手であり、松山大学は12秒あったタイム差を追いつかれてしまう。

 それでも「大学女子駅伝界のエース」と互角の走りをみせて、殆どタイム差なしで4区で待っていた同級生に襷を繋いだのである。


 4区を務めた2年生は【全日本大学女子駅伝】では3区を走り、3位だった順位を1つ上げる快走で、やはり、チームの初優勝に貢献していた選手である。

 だが、今回はコンディションがあまり良くなかったのか、立命館との差を徐々に広げられてしまい、トップと15秒差で5区の選手に襷を繋ぐこととなった。


 5区を走る選手は、松山大学で2年生の後半から女子駅伝部の主将を務めているチームの精神的支柱となる選手である。

 彼女は【全日本大学女子駅伝】では最長区間(9.2キロ)となる5区を走り、もう1つのライバル校である名城大学との激しい首位争いを制して区間賞の走りを披露し、松山大学の初優勝に最も貢献したと言っても過言ではない選手である。

 今大会の5区も、全7区間の内で最長区間であり、しかも、その距離は10.9キロにも及ぶ過酷な区間でもあるので、各校のエースが集う区間でもあった。


 しかし、「この選手であれば、立命館との15秒差を縮めてくれるかも知れないし、或いは、逆転さえ可能なのでは?」と、私は期待しながらテレビを観ていたのだが……。

 実は、この選手は昨年の9月に行われた日本インカレで、立命館の「エース」の選手と5000メートルで激しいデッドヒートを演じた末に勝利し、見事に優勝を果たしていたのである。

 私は、そのことを【全日本大学女子駅伝】初優勝後に制作された地元の報道特別番組を視聴して知っていたので、不安よりも期待の方が大きかったのだ。

 余談になるが、松山大学は、この日本インカレで10人の選手が出場していたのだが、10人中9人が入賞を果たすという成果を見せ、総合順位でも立命館を上回り、「トラックの女王」となっていた。

 

 話をレースに戻そう。

 松山大学の主将の走りだが、普段の勢いが感じられない……。

 5区の距離である10.9キロの半ばを過ぎても、トップを走る立命館との差は縮まる気配がない。それどころか、徐々に立命館との差は広がりをみせていた。

 更に、後続を走る3位以下の各ライバル校との差も殆どなくなってしまっていた。

 そして、残り3キロを少し過ぎた辺りで、3位に付けていたライバルの名城大学に追い抜かれてしまう。

 しくも、その名城大学の選手は、10月に行われた【全日本大学女子駅伝】の5区を共に走り、そして、凄まじいデッドヒートを繰り広げた末に競り勝った相手であった。

 その選手に追い抜かれてしまったショックもあったのかも知れない……。

 そこからは、大阪学院大学、京都産業大学、大東文化大学の選手にも追い抜かれてしまい、チームの順位が6位まで落ちてしまっていた。

 そして、最長区間である5区の10.9キロの道のりも残り1キロ付近に差し掛かった時、松山大学の主将にアクシデントが起こってしまう。


 おそらく、チームの主将であるという責任感からくる精神的重圧プレッシャーなど、様々なことが要因として考えられるのだが、どうやら脱水症状を起こしてしまっていたらしかった。

 いつもの力強い走りが影を潜め、よろよろとした動きになったかと思うと、その場に立ち止まりそうになってしまっていた。

 そして、その姿を見て「棄権」という言葉が私の脳裏に浮かんだ次の瞬間、沿道で応援している方々から「頑張れ!」という声が上がったのである。

 すると、主将である選手は、そこから驚異的な精神力を発揮して、再び走り出したのだ。

 だが、次の6区まで残り700メートルの辺りでは大きく上体のバランスを崩し、そのまま地面に倒れそうになってしまう。

 しかし、その度に不屈の精神で体勢を立て直して、「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」の内の1人が待つ6区に向けて懸命に走る姿に、私は感動を覚えていた。


 ここで「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」のことについて、少しだけ触れたいと思う。

「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」とは、その名前が示す通り最上級生である4人の4年生部員のことを指している。

 今回の大会では、その中で1人だけメンバー入りを勝ち取ることができなかった選手がいた。

 その選手は、松山大学が初優勝した昨年の【全日本大学女子駅伝】でもメンバー入りすることができなかったのだが、今回は足の疲労骨折のため出場が叶わなかったという事情もあったらしい。


 実は、松山大学女子駅伝部のメンバーは1人の例外もなく、高校時代までは全国的には無名の選手ばかりなのだが、このことは熱心な駅伝ファンでなければ意外に知られていない事実だと思う。

 つまり、中学や高校時代からその名を全国に知られているエリート選手が集う立命館とは全く対照的な存在であると言えるのだ。

 立命館がエリート集団であるならば、松山大学は差し詰め、無名の雑草集団と呼ぶのに相応ふさわしいのではないだろうか。

 そんな無名の選手たちをインターハイなどの全国大会に出向き、その才能を見極めてスカウトし、独自の理論や練習方法で鍛え上げ、そして、選手の素質を飛躍的に伸ばし開花させている監督には「お見事」という言葉しかない。


 話が少しれてしまったのだが、松山大学女子駅伝部の恒例となっている『地獄の夏合宿』に耐え、4年間苦楽を共にしてきた「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」の絆は深い。

 脱水症状に陥ってまでも走り続けた主将の、「絶対に襷を途絶えさせない!」という執念の源は、「松山大学女子駅伝部の4年生カルテットの4人で襷をつないで、絶対に日本一になる!」という、大会前日のメンバー発表後の4人の話し合いの中で生まれた約束だったのだ。

 そして、主将は何度も倒れそうになりながらも6位で襷をつなぐと、その場に倒れ込み、全く微動だにしない状態になり、係員らに抱えられて救護室に運ばれて行った……。

 ちなみに、トップの立命館とのタイム差は1分44秒であった。

 だが、主将の魂の走りには、たくさんの感動を貰った。


 この時点で既にドラマなのだが、まだ、そのドラマには続きがあったのである。


 主将から魂の襷を受け継いだ「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」の1人は、【全日本大学女子駅伝】では4年連続で1区を任されていた選手だ。

 過去の3年間は安定した走りで常に上位に食い込み、2区の選手に襷をつないでいたのだが、4年生として挑んだ昨年の最後の大会では「予想以上のハイペース」にリズムを掴めず、14位で襷をつなぐ形となってしまい、チームの初優勝に湧く仲間たちとは対照的に、ただ1人だけ悔し涙を流した選手である。

 6位で襷を受け取ったその選手は、「焦りはあったが、プラスに働いた。今までで一番、思いのこもった走りができた」と、レース後に語ったように、自身初の区間賞を獲得し、チームの順位を3位に引き上げる快走をみせてくれた。


 そして、いよいよ最終区間の7区で待つ、「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」の1人に魂の襷が渡った。

 チームのアンカーを務めた選手は、松山の在る愛媛県と同じ四国の高知県の名門、山田高校陸上部の出身なのだが、前述した通り、高校時代までは全国的には無名の選手であった。

 しかし、彼女もまた『地獄の夏合宿』を通して不屈の精神を培い、【全日本大学女子駅伝】では一昨年までは3年連続でメンバーに選ばれていたのだが、最終学年となった昨年の大会ではメンバー入りを果たせなかった選手の1人だった。

 監督のメンバー発表の後、その選手は感情を抑えきれず、その場で泣き崩れてしまっていたのだが、その後は裏方としてチームを支え、チームの初優勝に貢献したことは言うまでもない。

 そして、その後、再び不屈の精神力を発揮して今大会のメンバー入りを勝ち取り、最終区間である7区を任されていたのだ。


 この大会の最終区間である7区の距離は8.3キロで、ラストの3キロに差し掛かると、「魔の坂」と呼ばれている標高差が166メートルもある坂が選手を待ち構えているのだが、これは、ビル37階分を上ることに相当するらしい。

 6区の選手からアンカーに襷が渡った時点での松山大学とトップを走る立命館とのタイム差は1分30秒だったので、私は奇跡が起こることを期待した。

 しかし、ここで『絶対王者』立命館の、意地や底力というものを思い知らされてしまうことになる。

 松山大学の選手も懸命な走りをみせたのだが、トップの立命館とのタイム差は縮まらない。

 そして、松山大学は、最終区の中盤まで大阪学院大学、京都産業大学の2校と激しい3位争いを繰り広げていた。

 ここで「松山大学女子駅伝部の4年生カルテット」の1人であり、アンカーを務めた選手が、5区で魂の走りをみせてくれた主将や、6区で自身初の区間賞の走りをみせてチームの順位を押し上げて襷をつないだ同級生と同様の力強い走りをみせてくれた。

 最終区も残り3キロを切る辺りで、大阪学院大学、京都産業大学との激しい3位争いに決着をつけ、そのまま3位で松山大学の仲間が待つゴールに飛び込んだのである。


 アンカーを務めた選手はゴール後、「ゴールで待っている仲間……特に、4年生として唯一、最後の大会に出場できなかった同級生に、笑顔で襷を渡したかった……」と、涙ながらに語った。

 そして、そう語った松山大学のアンカーを務めた選手を、他の4年生や後輩たちが次々に抱きしめていた……。


 レース後のインタビューで、「チャンスはあったと思うが、これが実力。後輩が先輩の後に続いて力を付けてきており、また今まで通り、こつこつ、淡々、丁寧にやり続けていく」と、松山大学女子駅伝部の監督は話したそうだ。


 今大会でのトップである立命館と松山大学のタイム差は、2分14秒。

 このタイム差を僅か1年間で逆転することは極めて難しい。

 やはり、『絶対王者』立命館の壁は素人しろうとながらに、とても厚くて高いと感じた。

 しかし、もう1校のライバルであり、今大会で2位となった名城大学とのタイム差は36秒である。

 そういった点だけをみてみれば、名城大学との差は確実に縮まっていると言えるだろう。

 この大会では過去最高順位に並ぶ3位という成績は、「何年か前なら喜べた」結果であると言える。

 しかし、【全日本大学女子駅伝】で初優勝するなど快進撃を続けてきた松山大学のメンバーは、大会終了直後に全員、悔しさで涙が止まらなかったそうだ。

 頼れる4人の4年生が卒業した後に残る部員は、僅かに10人。

 そのことからも、『絶対王者』である立命館との違いがあるのは明白なのだが、私は悲観などはしていない。

 何故なら、今大会での松山大学の魂の走りを観た高校駅伝界のホープたちが、今年、新たに松山大学女子駅伝部に加入してくれるかも知れないという思いがあるからだ。

 そうなれば創部以来間違いなく最強であるチームは、より強固な集団になれると私は確信している。

 2017年、新たにチームの新主将に選ばれたのは、女子大学生として史上初めて五輪に出場し、春から4年生となる選手だ。


 彼女を含めて現在のメンバーは、大学に入り確実に、そして、飛躍的に成績を伸ばしている。

 個人的には、今年(2017年)の駅伝が早くも楽しみで仕方がない気持ちであるというのが正直なところだ。

 今年も、松山大学のスカイブルーのユニフォームを着た選手たちが、全国大会で躍動することを願っている。


 最後になるが、この作品のタイトルは『松山大学女子駅伝部の奇跡』とさせて頂いたのだが、このタイトルは、松山大学女子駅伝部の皆さんにとっては失礼なものなのかも知れない。

『地獄の夏合宿』を通して仲間と苦楽を共にしながら不屈の精神を培い、個々の走りに磨きを掛けてきた彼女たちにとっては、見ず知らずの他人から「奇跡」などと表現されるのは腹立たしいことなのかなとも思う。

 だが、私が言いたいことは、自分の大好きな地元の地方大学に、このような素晴らしい駅伝部が存在するということが、私にとっては「奇跡」なのだということである。


 松山は、東京などの大都会などと比べると、単なる地方の田舎町の一つに過ぎないのかも知れない。

 しかし、そんな田舎町から全国で……いや、世界で活躍する選手を輩出している『地方大学の星』である松山大学女子駅伝部を誇りに感じている地元県民は多いと思う。


 これで本当に最後となるが、2016年の大会を通して輝く魂の走りをみせて、多くの人々に勇気と感動を与えてくれた松山大学女子駅伝部の選手の皆さん、そして、監督やコーチの方々、更に、松山大学女子駅伝部に関わる全ての皆さんに対し、心から「ありがとう」と伝えたい。



 


 

 


 

 

 

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