第2話 少年少女は今日も待ち侘びて――。

 倫敦ロンドンの下町に存在する貧困スラム街。娼婦のマーサ=タブラムは今日も客引きをしていた。

 いつもなら、どんなに少ない日でも一晩で二人くらいは“客”が取れた。しかし今日は、全くと言っていいほど客がいないのだ。

 誰を誘ってみても断られてしまうのだ。

 ――いつもは紳士然とした硬派な顔をしながらも、私が誘えば――誘わなくても、見かければ客になるのに。

 もうすぐ今月の家賃の支払い日だ。それなのに全然稼げない。このままでは家を追い出されて路上生活者になってしまう。

 路上生活者も嫌だが、そこから貧窮院に送り込まれるのはもっと嫌だ。貧窮院あそこの生活の過酷さは、かつての娼婦仲間同業者や客から嫌というほど聞かされていた。

 さあ、どうしようか――。マーサは困りに困ってしまった。


「――すいません……」


 その時、マーサに話しかけてくる人物がいた。


「何? あたしの客? いいわよ。今月厳しいから、ちょっと高くなるけどいい?」


 ――ようやく、客がきた。今月は厳しいから、少しくらい吹っ掛けてやってもいいかもしれない。マーサは密かに微笑を浮かべた。


「――そうじゃない……」

「えっ?」


 客のつぶやきを聞こうと聞き返したその時、マーサの喉元からはナイフの刃が生えた。


「ぐぁっはぁ……ごほっ……っ…………」


 ――なんで私なの? 同じような境遇の女なんてそこら辺にいくらでもいるでしょ……。

 信じられない、といった表情で客の表情を覗く。


 獲物を狩った後の猛獣――口の端を歪めながら微笑む客の顔を見ながらマーサはそう思った。

 それがマーサの最期だった。



       ∞



 貧民スラム街に近い場所に存在する工房では、今日も二人の少年少女が人形ドールを制作していた。


「マーティン、胸のリボンが少し雑だわ。これじゃ、お客様クライアントになんてお出しできないわ。やり直しよ」

「えー、この結び方は吸血族ヴァンパイアの女の子の間で流行ってる結び方なんだよ。ステイシーこそ知らないの?」

「し、知ってたわよ。それにしても結び方が汚いの。とにかくやり直しなさいよ」

「……わかったよ」


 どうやら人形ドールのリボンについて言い争ってたようだ。マーティンと呼ばれた少年は、少女――ステイシーには口では勝てないようで、今回も言い負かされていた。


「そういえば、ここ最近、先生帰ってこないね。どうしたのかな?」

「大丈夫よ。先生マスターがここにいないってことは、先生マスターは今、普通の人間ヒトとして生活できてるってことじゃない。その方がいいじゃない」

「そうだけどさ――、さびしいよ」

「まあね――」


 彼らには先生マスターがいた。先生マスターは中々工房に帰ってこない。

 生活自体は二人だけで何とかなった。人形ドールを売ったお金は二人が十分に生活してもなお、余るほどあり、近所の住人は何かにつけて二人を気に掛けてくれたからだ。

 生活には余裕があっても、先生マスターがいないのは二人にとって寂しいことだった。


 その時、玄関のベルがチリン、チリンと鳴り響いた。

 そこから現れたのは、茶色いコートに黒で揃えた帽子と靴、気の弱そうな表情をした青年――先生マスターだった。


「お帰りなさい、先生マスター。私、顔の彫り方が前よりも上手くなったと思わない?」

先生マスター、お帰り。僕は人形ドールの服の縫い方が上手くなったよ!」

「そうだね。二人とも上手くなったと思うよ」


 先生マスターは微笑みながら、成長の速い弟子子供たちを褒めた。


「ねぇ、先生マスターがここに来たってことは、何かあるんだよね?」


 先生マスターが帰ってきたことを一頻ひとしきり喜んだ後、ステイシーは我に返ったように聞いた。その瞳は不安そうだ。


「あぁ、実は女王陛下マジェスティーから依頼オーダーがあったんだ」

女王陛下ヴィクトリアが何を頼んだの?」

「それが、切り裂き魔を捕まえなくちゃいけないんだ」

切り裂ジャック・ザ・き魔リッパーを捕まえるですって!? 先生マスター正気なの!?」


 先生マスター――エリックは困惑した。なぜステイシーがそこまで反対するのかが分からなかったのだ。

 ステイシーは軽蔑と驚愕の混じった、信じられないものを見るような眼差しを向けてきたのだ。

 エリックは堪らず、マーティンに聞いた。


「マーティン、ちょっと聞いてもいいかい? どうしてステイシーは切り裂き魔について、そこまで驚いているのかい?」


 それに対するマーティンの反応も似たようなものだった。


先生マスターの所には切り裂き魔ジャックの噂は届いていないんですか? あまりにも凶悪で残酷な様子から、最近では切り裂きジャック・ザジャック・リッパーとも呼ばれているのに――」

「隣の家のファニーおばさんも、僕たちが遠くに人形ドールを届けに行くって言うといい顔しないし、夜遅くは出歩かないようにって、何度も来るようになったんだよ」

真逆まさか、そこまでのものとは知らなかったよ。自分の身は自分で守れるようにするよ。それにしても想像していた以上の存在だね」


 自分が対決しなくてはならない相手が、真逆まさかそこまでの相手とは説明されていなかった。これはわざとなのだろうか、それとも、ただのミスなのか――。ヴィクトリアの悪意ともうっかりとも取れる行為に対して、エリックは少し憂鬱な気分になった。


 ――隣に住むファニー夫人に日頃のお礼をしに行かなくてはならないだろうか。今までの出納すいとうについても把握しておきたい。出来れば自分が家を空けていた間の弟子の様子も知りたい。


 これからやらなくてはならないことについて考えながら、エリックの頬には薄く笑みがこぼれた。

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女王陛下と元狂科学者の事件簿―The Queen Majesty and Frankenstein's Case File― 丹羽玲央奈 @Chapelier-Fou_Blanche-Neige

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