三、追跡者

 市井での情報収集は、やはり女性相手に限る。ふらりと立ち寄った青果店で少し話題を振っただけなのに、まるで火がついたように話し続ける女主人に、クレアはうんうんと相槌を打っていた。

「へぇ~、そんなにすごかったんですかぁ」

「そりゃあ、もう。ここら辺は船の出入りも多いからね。海氷もそんなに厚いほうじゃないんだけれど、それにしても、あの砕氷艦はすごかった!あの大きさといい、そこらの商船なんて目じゃないね」

「見てみたかったなぁ。…でも、ただの視察にしては、随分重装備で来たらしいですね」

「南の方じゃ、海賊も出るっていうからね。道中を警戒してってことじゃないかい。……でもねぇ、ここだけの話…」

 果物が入った袋を受け取り、クレアが金を渡すと、女主人は声のトーンを落として手招いた。クレアが耳を寄せると、釣銭を用意しながらぼそぼそと答える。

「視察ってのは単なる名目に過ぎないんじゃないかって噂だよ。本当の目的は別にあったんじゃないかってね」

「本当の目的?」

「あんたも話ぐらいは聞いたことがあるだろう?ウルカナ山の向こうに、トラヴの村があるっていう」

「あぁ…」

「あたしも最初は信じてなかったんだけどね?でも、アグラスの軍人さんはお城に入ったきり、一向に出てこないし。そのうち、山の方角から変な煙が上っているのを見たっていう人も出てきてさ。お城には秘密の抜け道があるっていうから、もしかしたら本当にそういう村があって、討伐しに来たんじゃないかってね」

「ふぅん……それが本当なら興味深いですね」

「ま、噂だよ、噂。第一、本当にそんな村があったら、今まで神都が黙っているわけないじゃないか。だからあんたもそう真面目に取らず、軽く聞き流しておくれ」

「はい」

 クレアはにっこり微笑み、礼を言って店を出た。うっすらと雪が降り積もり、さくさくと音を立てる街道を歩きながら、フードを被る。

(思ったほど、知られてないんだなー)

 エクシン国に来て三日目。紫色の瞳を黒のカラーコンタクトで隠し、服装も一般的な旅人の装いに変えたクレアは、行き交う街の人々に上手く紛れ込んでいた。誰もクレアが魔性の者だとは気づかず、話しかければ気軽に答えてくれる。

 ユシリスからの情報によると、ディスタ村はエクシン国と交易があったという。だが、実際に村の存在をはっきりと認識している者は、これまで一人もいなかった。先ほどの女主人のように、誰しもがあくまでも噂に過ぎないと、そう考えている。

(…知っていたのは王族だけ、か)

 親交があるという、ディスタ村の長から直接聞いていたのだ。ユシリスの情報に誤りがある可能性はない。 

 宿に向かって歩いていたクレアは立ち止まり、後方を振り返ってその建物を見た。市街地に大きく伸びた街道の向こうには、この国を治めるエクシン王の住む城がある。風にはためく国旗が、どんよりとした曇り空にぽつりと色を落としていた。

 ディスタ村との交易は、国民たちにも公にされていなかった。この世界の理を考えれば無理もないが、彼らとの関わりは、王族たちにとってよほど表沙汰にしたいものではなかったらしい。

(まぁ、こっちにとっては好都合だけど…)

 エクシン国がディスタの存在を無かったものとして見ないつもりなら、クレアたちとしても随分動きやすい。

 だが、それは敵も同じことだったのだろう。エクシン国にとって、ディスタ村は目の上のたんこぶであり、百害あって一利なしの相手。そこに付け込むことができたからこそ、他国であるアグラスの軍隊が襲えたのだ。

「おかえりなさい。お連れの方がいらしてますよ。お部屋にご案内しておきましたから」

 宿に着く頃には、ひらひらと雪が降り始めていた。玄関で外套についた雪の結晶を払っていると、薪を運んでいた下男にそう声をかけられる。

「分かりました、ありがとう」

 クレアは階段を上って二階に取った部屋へ向かった。

(随分早かったなー)

 フィルに頼んでいた援軍だろう。思い浮かぶ助っ人は一人しかいない。

「クレアです。いま帰りました。入りますよー」

 聴覚に長けた彼のこと、廊下を歩く足音でとうに気づいているだろうが、声をかけながらドアを開ける。途端、暖められた室内の空気が冷えた身体を包み込んだ。

「………レイさん?何してるんですか?」

 目の前にあるのは、もこもこと動く毛布の固まり。思わず足を止めたクレアの前で、山の一角が崩れた。

「遅いっ、寒いっ、腹へった!」

 小気味良い文句と共に、小さな頭がひょこっと現れる。ぼさぼさになった黄金色の髪に、つり上がったアーモンド形の猫目。年甲斐も無く頬を膨らませて不満を訴える素振りも、彼がやればつい許してしまう、そんな雰囲気がある。もちろん、歳の話をすれば怒るので、クレアは絶対に言わないが。

「はいはい、すみませんね。果物買ってきたんですけど、食べます?」

「食べる!あとお茶!」

「はいはい」

 ユシリスほど…とはいかないものの、救援要請に応えてやってきた助っ人、レイとの付き合いもそれなりになってくると、扱いもとうに慣れたもので、クレアは部屋に備え付けられた簡易キッチンの前に立った。お湯を沸かしながらナイフを取り、買ってきた果物の皮を剝く。

「こっちにはいつ着いたんですか?」

「二時間くらい前や。 寒すぎて寒すぎて、も~~~ぅっ、死ぬかと思ったわ!」

「まぁ、雪国ですからねぇ」

 一人でぷりぷりと怒り続けるレイをよそに、クレアは剥き終わった果実を皿に置くと、備え付けのティーカップを取った。二人分のお茶を注ぎ、トレイに乗せて暖炉近くのテーブルに持っていく。

「できましたよ」

「うぅ~~~…ほんっま、なんで俺がこんなとこまで来なきゃあかんねん…」

 まだ文句を言い続けるレイに肩を竦め、クレアは果物の一つを床に落とした。そこにあるのは、暖炉の炎に照らされて、うっすらと浮かび上がったクレアの影。その上へ落とされた果物は不自然な形で動きを止め、やがてシャクシャクと小さな咀嚼音を響かせながらゆっくり消える。

「そんでぇ?いま調査はどんな感じやねん」

「そうですねぇ…」

 クレアが腰を下ろすと、レイは両手に持ったティーカップにふぅふぅと息を吹きかけている。

(そういえば、猫舌なんだっけ…)

 妖猫のレイは熱い飲み物がすぐには飲めない。必死な様子の彼に苦笑しつつ、クレアはこれまで調べてきた現在の状況を報告した。


 翌日。

「う~~~さむっ!あ~~~さむっ!」

「………」

 妖猫の姿になり、クレアの外套に潜り込んだ腹の中で、レイは相変わらず文句ばかりを口にしている。

「まったく……寒い寒いって言いますけどね、一番寒いのはこっちのほうなんですけど?そこんとこ分かってます?」

「うっさい!お前は若いんやから、多少の寒さくらい平気やろ!年寄りにはしんどすぎんねん!」

「も〜、こういう時ばっかり年寄りのフリするんだから」

「やかまし!」

 寒さに震えながらも、やいやいと言い合いをする二人の姿は、遥か上空の彼方にあった。レイを抱え、ぺたりと座り込んだクレアを運んでいるのはこの地に住まう怪鳥、ヒョードレ。大きいものだと五メートルを超えるものもいるこの怪鳥は、普段ウルカナ山脈の岩肌に巣を作って生息している。雪国の魔物らしく、真っ白な羽毛に覆われ、大きな黒い嘴には鋭い牙も並んでいるが、性格は至って大人しかった。群れで狩りを行うことから知能も決して低くはない。

 それだけに、討伐される恐れがある人里近くには滅多に降りてこないのだが、フィルの指示に従ってウルカナ山の麓を訪れると、この怪鳥がどこからともなく現れ、二人の前で頭を垂れた。

「わー…ずいぶんおっきいの用意してくれましたねぇ…」

「ほんま……いくら山越えするからって、デカすぎやろ…」

 所々に灰色の羽毛が紛れているのをみると、まだ成鳥していないと思われるヒョードレだったが、それでもゆうに三メートル近くある。思わずあんぐりと口を開けて見上げる二人に、「早く乗れ」と言わんばかりにギャアと鳴いた。

「ごめんね、じゃあお願いするよ」

 どうにかよじ上り、その背中に腰を落ち着けたところでヒョードレが羽ばたく。大して負担にも感じない素振りで舞い上がったところから現在に至るのだが、さすが大きいだけあってぐんぐんと飛距離を稼ぐ。先ほどまで滞在していたエクシン国が見えなくなるのはあっという間だった。

 そうして、普通の人間であれば、とっくに高山病の症状が現れる高度の中を一時間ほど進んだ頃。ようやく頂上を越えると、その先にはどこまでも続く広大な森が広がっていた。

「うわー、すごいなぁっ!見てください、レイさん!圧巻ですよー!」

「シスラの森やな」

 留め具の間からひょっこり顔だけを出したレイは、はしゃぐクレアをよそに、目を細める。

「…クレア、この辺で降りるで。どっか適当なトコに降ろしてもらえ」

「え?でも、目的地まではまだまだ先ですよ?雪原も越えていなかなきゃいけないし、このまま乗せてってもらったほうが…」

「アホ、情報収集や情報収集。お前には立派な足があるんやから、あとは歩いていったらええねん」

「…それって、自分は絶対歩かないつもりですよね?まったく、そういうことばっかり、いっつも人任せなんだから…」

 レイの指示にクレアはぼやきつつも、ヒョードレの身体を叩いて声をかけた。

「寒い中、ごめんねー!この辺で大丈夫ー!」

 一声鳴いて応じたヒョードレは、森の中腹にある窪地へと向かっていった。そこはぽっかりと穴が開いたように空き地状になっており、遮る木々がない分、身体の大きいヒョードレでも翼を傷めずに降り立てる。

「ありがとう、助かったよ」

 地上に降りたクレアは、レイも外套の中から足元に降ろすと、ヒョードレの嘴をよしよしと撫でた。

「これ、少ないけどお駄賃ね」

 肩にかけた鞄から干し肉の塊を取り出し、嬉しそうに口を開けるヒョードレに放ってやる。あっという間に平らげて首を傾げるヒョードレの様子に、クレアはレイに確認した。

「帰りもこの子が迎えに来てくれるんですかね?」

「そう聞いてるで。船も近くまで来るはずや」

「了解です。じゃあ、またよろしくね。夕方までには戻ってくるから」

 その言葉を理解したかのようにギャアと鳴き、ヒョードレは再び空へと羽ばたいていった。

「さてっと…では行きますか」

「あぁ」

 手を振ってその姿を見送ったクレアは、レイと並んで森の奥へと歩き始める。夏であれば青々と生い茂る葉も今は無い。寒そうに枝だけを晒した木々が連なる森は、鳥の声すら聞こえなかった。どこか物悲しさも感じる景色の中、クレアはいつの間にか先導するように先を行くレイに違和感を覚えた。

(珍しいなぁ…)

 寒がりで面倒くさがりでおしゃべりなはずのレイが、なぜか大人しく歩いている。自分の足で。終始無言で。すぐに抱き上げろや外套の中に入れろと言われるだろうと身構えていたクレアは、いつまでたっても声がかからないことに拍子抜けしていた。

 だが、後ろからじっくり観察しながら歩いていると、いつもと違う様子にようやく気付く。ピクピクとよく動く耳。僅かに毛が逆立って、膨らんでいるようにも見える三本の尾。

(警戒してる…?)

 しきりに周囲を気にする素振りは、まるで誰かを待っているかのようにも見える。不思議に思ったクレアが声をかけようとした、その時だった。

「来たか…」

「…?…レイさん?どうかしましたか?」

「……」

 前を向いたまま、無言のレイに一歩近づいた時、クレアの耳にもその音が聞こえた。 

「!!……レイさん、これ…」

「しっ、そのままじっとしてるんや。…安心せい、敵やない」

 グルグルという唸り声と、雪を踏みしめるいくつもの足音。そっと周囲を見渡すと、すでに取り囲まれているようだった。

(狼…)

 黒やこげ茶といった野生の狼たちが、警戒した素振りで近づいてくる。隊列を組み、クレアたちの移動に合わせて距離を縮めてきたのだろう。レイが言うなら心配ないのだろうが、あまりにも数が多い。

「……」

 いざという時に備え、クレアが拳を握りしめた時、

『何者だ』

 脳内に直接届くような声が辺りに響いた。

「!!」

 ハッと顔を上げると、狼たちの円陣が割れ、その奥から一際大きな影が現れる。

「白狼……」

 そのあまりの迫力に、クレアは呆然と呟いた。降り積もった雪にも負けないほど真っ白な毛並みを持った狼が、瞳を赤く光らせ、まっすぐにクレアたちの前へと歩み寄ってくる。周りの狼たちと比べても、明らかにふた回り以上大きい。

「クレア、頭」

「あ、はいっ…!」

 長と見て間違いないだろう。あまりの神々しさに息を飲んだクレアは、頭を垂れたレイに注意され、急いで跪いた。片膝をあげて礼の姿勢を取ると、白狼が一定の距離を保って立ち止まる。

『お主らはこの地に生きるモノではないな。何者だ?』

「我らは主の命にてやってきました。この森を通り抜ける許可を頂きたく」

 レイが粛々と答えると、白狼はじっとその姿を見つめた。

『この先には何もない。ただどこまでも続く雪原と、朽ち果てた村が一つあるのみ。それでも通りたいと?』

「いかにも。我らの目的はその村にございますので」

『……哀れな末路を迎えたが、あの村には遠からずも我が一族の血を引く者もいた。彼の者たちの眠りを妨げることは我らが決して許さぬ。どうしても通りたいと言うのならば、理由を聞こう』


 その後もレイと白狼の緊張感溢れるやり取りは続き、クレアは祈るような気持ちでただじっと待ち続けた。



****



「それで、ディスタの様子は?」

 室内では、フィルがクレアたちが集めた情報収集の結果をユシリスに報告していた。

「村は荒れ果てていましたが、放置されていた遺体などは無かったそうです。ガイル様の参謀、セルヴィは人狼族の混血でしたからね。その縁もあって、白狼たちができる限り埋葬してくれたそうで」

「そう…なら良かった」

「えぇ。レイさん曰く、白狼の長はそのうちこちらの世界に来るだろうと。その際はよしなに頼むとのことでした」

「分かった。会った時にはきちんとお礼を言わなくちゃね」

 レイは元々魔性の一族だが、地上で生きる動物たちの中には、平均以上に生きることで妖力や神気を宿す特殊なものもいた。人語を操り、意思の疎通が出来る白狼もすでにその領域にいたのだろう。生まれてからそれなりに長く生きているとはいえ、ユシリスたちの世界ではまだまだヒヨッコ扱いされるクレアが圧倒されるのも無理はない。

「ただ、当時の現場を見た彼らの証言では、子供も老人も見境いなく襲われたようで、目も当てられない酷い有様だったと…」

「……」

 痛ましげに告げるフィルの言葉に、ユシリスは眉間に皺を寄せた。デスクの上で指を組み、顎を乗せて黙り込む主に、フィルは追い打ちをかけるような結果しか報告できない。

「…それと、奥方様ですが、お屋敷にあった衣類から匂いを元に探ったところ、倉庫付近で途絶えていたそうです。付近は火薬の匂いが未だに酷く、爆発で燃え尽きた跡があり、おそらく自害されたのではとのこと………残念です…」

「…そう………そうか…」

 それは半ば予想していたとはいえ、聞きたくはない事実だった。

(ガイル…すまない…)

 豪快だがどこか不器用だった彼が、唯一愛した生涯の伴侶。彼女も救ってやることができたら、どんなに良かったか。ユシリスはぎゅっと目を閉じ、心の奥で深く詫びた。その返事が返ってくることはもう二度とない。

「ユシリス様………っと、そ、そうだ!これを!」

「…ん?」

 鎮痛な面持ちでユシリスを見つめていたフィルは、急いで書類の一枚を回した。そこにはクレアが撮影した一枚の画像が印刷されている。

「お屋敷に飾ってあったご一家の絵だそうです。日付を見ても、直近に描かれたもので間違い無いかと」

 その絵には次男ルシィを膝に乗せて椅子に座るリリナ夫人と、右隣に立つ長男のリュート。そして、いつまで経っても変わらない友、ガイルの姿があった。幸せそうな家族の絵画。彼らの時間はこれからも永遠に続いていくものだろうと、そう信じていたのに。

「こんなに大きくなって…」

 ユシリスは微笑みながらそっと子供たちを撫でる。ルシィが生まれた話は聞いていたが、ユシリスが会ったことがあるのはリュートだけだった。それも彼がまだ二歳の頃だから、きっと覚えていないだろう。

 ようやく笑みを見せた主にほっと胸を撫で下ろし、フィルは力強く宣言した。

「お二人とも、ご両親によく似てらっしゃいますね。……必ず救い出しましょう、ユシリス様」

「…うん、そうだね」

「ご子息たちは雪原で匂いが途切れていたそうです。やはり、囚われてあの要塞に連行されたと見て間違いないかと。クレアたちはマディール大陸に移動し、潜入を試みるとのことでした。何か分かり次第、またご報告いたします」

「分かった」

 フィルは一礼すると、そのまま静かに部屋を出ていった。見送った視線を再び手元に戻し、四人の顔を見つめながら思いを馳せる。

(まずは情報と接触だな…)

 地上で動くクレアとレイに指示を出すため、ユシリスは黙々と思考に没頭していった。

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Rose Guardian 〜薔薇の守護者〜 山本 皐月 @k-satsuki

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