カラスと猫と、贈り物。
蒼井七海
カラスと猫と、贈り物。
一羽のカラスが大きく羽ばたいて、送電線の上にとまった。
くりくりと動いた
「わあっ! これ、もらっていいのー!?」
小さな女の子が、目を輝かせている。彼女は、手に、巾着袋を持っていた。クマのイラストがプリントされた、淡い桃色の巾着袋。数週間前、雑貨屋に出かけたときたまたま目にとまってしまったものだ。女の子はかなりの時間、巾着袋の売り場の前でごねていたが、そのときは、結局買ってもらえなかったのである。
それが今、目の前にあることで、大喜びしている娘を前に、父親が微笑んだ。
「もちろんだ。お父さんから、
「わーい! ありがとう!」
父娘は、テーブルを挟んで向かい合っているのだが、女の子は今にも父親へ飛び付きそうである。落ち着きのない娘を、母がやんわりと止めて、家にまた、温かな笑い声が響く。
テーブルの上では、しわの入った包装紙と紙の箱が、電灯の明かりで、ほのかに橙色に染まっている。
家族の穏やかな夜。
それを、あるカラスは、見下ろしていた。
女の子は、それ以降、どこへ行くにも巾着袋と一緒だった。中に入れるものは毎回変わる。石ころだったり、飴だったり、ビー玉だったりした。何が入っていても、彼女にとっては、巾着袋こそが本当の宝物だった。
友達と遊びに行くときも一緒。女の子は、川べりで友達を出迎えて、一緒にどこかへ走っていく。布の鞄の隙間から、巾着袋が見えた。大きなクマが揺れている。
その光景を、あるカラスは、やはり送電線の上から、見ていた。
カアッ、と大きく、ひと鳴きした。
白い小さな猫は、ゆったりとした歩みを止めて、すぐそばを見上げた。ひとりの少女と目が合う。少女は、近くの中学校の制服を着ている。ちょっとさみしそうな目で、猫を見下ろしていた。
しばらく、そうして、少女と猫は見つめあっていたが、やがて、少女の方がかがんで、猫に目線を近づけた。
「どうしたんだい? 迷子?」
猫は答えない。
「首輪、ついてないね。野良猫かな」
猫は首をかしげる。すると、少女は、やっぱりさびしそうに笑った。
そっと、猫の頭をなでる。猫はくすぐったそうにしたが、嫌がりはしなかった。
「おまえ、いい子だねえ」
少女はしばらく、猫の頭や、顎やらをなでながら、話しかけていた。
彼女の鞄にも、スカートのポケットにも、巾着袋は、なかった。
あるカラスは、空を飛びながら見ていた。
白い猫は、塀の上からひらりと飛び降りた。舗装された道をゆっくり進んでいく。気ままな散歩。いつものことだ。
人に飼われる気はない。
もちろん、野良猫でいると、汚いものとして見られることもある。ご飯が何日も手に入らないなんて、珍しいことではない。最悪の場合、なんだか物々しい人間に捕まって、変な檻の中に入れられることもあるらしいと、別の猫から聞いた。
でも、白い猫は、それでもよかった。安楽な不自由より、死が付きまとう自由をとる。
気がつけば、足元は砂地に変わっていた。道の端にぼうぼう草が生えている。猫は気にせず歩いたが、途中で草の中に変なものを見つけて、足を止めた。
草の中をのぞいてみると、袋が落ちていた。桃色の、何か大きくて茶色いものがついている袋。すっかり汚れて黒ずんでいたが、穴はあいていない。
白い猫は首をひねった。それから、なんとはなしに、それをくわえてまた歩き出した。
あるカラスは、塀の上から、猫を目で追っていた。
画面の上に文字が並ぶ。友達からのメッセージ。伊織はちょっと微笑んで、画面を指で叩いた。
手早くメッセージに返信をすると、もう一度ボタンを押して画面を消し、再びスマートフォンをポケットに忍ばせる。
白い息を吐きだしながら、空を見上げた。街の明かりは夜の空さえも煌々と照らし出す。いくら、冬の空が澄んでいるといっても、星を見ることはできなかった。
「はあ……」
無意識のうちに、ため息をつく。
ふと、スマートフォンの画面に出ていた、今日の日付を思い出した。
「クリスマス、か」
十二月二十五日。クリスマス。降誕祭。イエス・キリストが生まれた日だとか、いろいろ言われてはいるが、多くの日本人にとってはただのお祭りだ。
とはいえ、子どものころはプレゼントが楽しみだったこともあったが、今となってはそれさえない。一緒に過ごす恋人などもいないので、伊織にとっては、その名前がちょっぴり心をくすぐるだけの一日だ。
家に帰れば、いつもより豪勢な夕食が待っている。そのくらいか。
「早く帰ろう」
言いながら、アスファルトを踏みしめる。
そのときだ。
カアッ。
大きな鳴き声がした。伊織は驚いて空を見上げた。
カラスが、空を旋回している。漆黒のからだは、夜空の上でもよく見えた。
「なんだ、カラスか」
珍しくもない。伊織はほっとして、また歩き出した。の、だが。
カアッ。
「わっ!?」
突然、そのカラスが目の前を横切ってから、また飛び上がった。おそるおそる見てみれば、今度は少し低いところを飛んでいる。
カアッ、カアッ。
カラスはしきりに鳴いた。伊織はさすがに怖くなって、後ずさりした。
「な、何?」
震える声で言った。
ただ、カラスは何をするでもなく、そのまま低い所をまっすぐに飛ぶ。ただ、伊織が立ち止まったままでいると、カラスも止まって、ばさばさっと激しく羽を動かした。
そこで、伊織は察する。
「ついてこい、ってこと?」
カアッ。
答えるように鳴いたカラスは、まっすぐに飛んだ。伊織はおそるおそる、後についていった。
カラスの低空飛行は、それこそ珍しいものではないかもしれないが、少なくとも伊織はあまり見たことがない。しかもそれを、自分があえて追っているというこの状況。奇妙だ。奇妙すぎる。
しばらく、カラスに導かれるようにして歩いた。カラスはときおり、止まっては羽ばたいた。まるで、彼女がついてきているか、確かめるかのように。
やがて、静かな珍道中は終わった。とある路地に入ったところで、カラスが止まる。狭い路地に沿うようにしてつくられた塀の上に、止まった。
「何?」
伊織は訝しく思いながら、塀の上を見た。そして、息をのんだ。
カラスがとまった場所から少し離れた塀の上に、ぽつんと、桃色のかたまりが置いてある。それは、巾着袋だ。
「これ、って」
伊織は唖然とした。巾着袋に近寄って、よく見てみる。かなり泥と埃にまみれて汚れてしまっているが、間違いない。自分が小さい頃に、クリスマスプレゼントとしてもらって――中学生のときに落としてしまったものだ。
あのときは、
なのに。
「どうして、これが」
呟いて、はっとして。伊織は、振り返った。そこにはまだ、カラスがいる。カラスはじっと、彼女を見つめていた。
「君が、見つけてくれたの?」
カラスは答えなかった。
かわりに、大きく羽ばたいて――そのままどこかへ、飛びさってしまった。
取り残された伊織は、何もいなくなった夜空と、巾着袋を見比べる。それから、そっと、幼い頃の宝物を両手で包んだ。
「ひどいや、まっくろだね。洗ったら、また使えるようになるかな」
涙をにじませながら笑って、彼女は手と服が汚れるのも気にせずに、巾着袋を抱きしめて、歩きだした。
それをカラスは、とても遠くの空から見ていた。
『珍しいわね』
カラスが、ある家の塀の上にとまっていると、下から話しかけられた。カラスは億劫そうに、ちょっとだけ、頭を下に向ける。道の上に白い猫がいて、カラスをじっと見上げていた。
『何が』
『人間に親切にするなんて。カラスがそんな殊勝な生き物だとは思わなかったわ』
『別に。ただの気まぐれ』
ゆらゆら、尻尾を振る猫に、カラスはそっけなく答える。それからまた、下を向いて、猫がその場にいるのを確かめた。
『君こそ、珍しいじゃないか。拾いものをきれいなままとっておくなんて』
猫は、すぐには答えなかった。猫は数回毛づくろいをしたあと、ひらりと、塀に飛び乗った。カラスの隣に座る。
『あの子、昔から、よく話しかけてくるのよ。だからまあ、思い入れがね』
『そう』
カラスは意味もなく首を振る。
それを横目に、猫が言った。
『今日はね。くりすますだそうよ』
『くりすます? なにそれ』
『知らない。けど、人間のお祭りみたい。子どもは物をもらえるんですって』
『へえ』
味もそっけもない会話をしながら、猫とカラスは並ぶ。
くりすます。カラスは無言で反芻する。
『変な響きだね』
『そうね』
『でも、悪くない響きだ』
『……そうね』
猫はもう一度、毛づくろいをし、勢いよく塀の上からとびおりて、カラスを見上げた。
『さて、カラスさん。そろそろ仲間のところに戻ったらどう? あまり目の前をうろつかれると、その黒い羽をむしりたくなってしまうわ』
『そうなったら、仕返しに君の額をつついてやる』
カラスは、言ってから、カアッ、と大きく鳴くと、羽ばたいて飛び上がった。
そしてそのまま、空中で弧を描き、遠くへ飛びさった。
猫は、緑色の目で、黒い鳥を追い続けた。
(おしまい)
カラスと猫と、贈り物。 蒼井七海 @7310-428
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