31:フラットリリーはきらめかない(後)
だが、それにしても。
静葉の話す事実に従えば、この子は随分前から俺を憎からず想っていたことになる。
まあ、俺も同人活動に勧誘されたときから、密かに「こいつってナニゲに可愛いよなー」とは思っていたわけだが。
むしろ、実はわりと早い段階で、二人は相思相愛だったのではないか?
そんな疑問を提起してみたところ、静葉はあっさり同意した。
「それどころか私としては、なかなか侑也くんが告白してくれないから、いつまで中途半端な関係が続くのかなって。――ちょっぴり不安になったりしたぐらいだもの」
「……マジかよ、それ……」
静葉に半眼で睨まれ、唖然としてしまった。
そう言われて振り返ってみれば、なるほどと思える部分もある。
これまでの静葉には、時折やや奇妙な言動が見て取れたからな。
いきなり「同人誌を作るためなら恋人の振りをしてもいい」宣言とか。
誰も居ない自宅で、二人っきりなのに気にする素振りもなかったりとか。
水着姿になるのを嫌がった末に、「見たい?」って訊いてきたりとか。
いざ告白してみたら、速攻キスしてきたのだって……
あれ、静葉の方から有無を言わさずだったし。
つまり静葉は、何度となく俺の気を惹こうとしていたんだろう。
――だけど、それならそうと、そっちから告白してくれてもよかったんじゃないのか?
なんて一瞬考えたけど、この子の立場からすればそうもいかないか。
静葉は、ずっと「売れないはずの同人誌作りに『同好の士』を巻き込んだ」ことを、密かに気に病んでいたのだ。
おまけに途中からは、二人で印刷代を折半することになったりして、完全に負担を分け合う関係が構築されてしまった。
そんな状況だったから、気後れして思い切れなかったんだろうな。
折角、希望通りの相手(俺)と同人活動できることになったのに、それがかえって仇になったわけだ。で、自ら身動き取れなくなっていたと。
……ややこしいな!
真相を頭の中で整理するうち、俺は唸らずに居られなかった。
それに対して、静葉は軽く肩を竦めてみせる。
「でもまあ、多少回り道はしちゃったけど、今は結果的に良かったかもって思う。そのあいだに色々あって、ちゃんと侑也くんが私のことを見てくれてるのもわかったし。それに――」
我が「同好の士」たる恋人は、しゃべりながら徐々に相好を崩していった。
「最初に君が偽装交際を断ったとき、なんて言ったか覚えている?」
にわかに問い掛けられ、記憶の糸を手繰ってみる。
ええと、たしか俺はあのとき――
(――好きなもののために好きなことをしているのに、それをわざわざ他の理由を付けて取り繕ったりするのは、モヤモヤする)
ああ、思い出した。
たしかにこれも、この子の提案に乗れなかった理由のひとつだ。
俺は、たとえ何であれ――自分が好きなことを、自由に好きだと言い出せず、他人の目をはばかったりするのが嫌で堪らなかったんだ。
「侑也くんが偽装交際を断ってくれなきゃ、きっと聞けなかった一言だよね」
まるで、大冒険の果てに宝物を見付けたような喜びが、静葉の顔には湛えられていた。
「すぐにあのとき、君が書いた小学校の作文を思い出しちゃった。『心から好きなもののことは、誰に向かっても正直に好きだと言えるようになりたい』って」
……それじゃ、俺が子供の頃から、ちっとも成長してない人間みたいじゃねーかよ。
〇 〇 〇
そんな最近のやり取りを思い出して、ちょっと頭が痛くなった。
以前、彩花さんから聞いた話によると。
静葉の中には、これまで二人の彼女が居たのだという。
そして、少なくとも同人活動をはじめるまでは、「人目ばかり気にして、好きなものを好きと言えない女の子」だった。
そんなこの子が、俺の古い作文を読み、今現在の言葉を聞いて、何を思ったのか。
静葉の心理については、憶測でしか測る術がない。
けれど、これだけはたしかに言える気がする――……
「――恋人だからって、やっぱ公共の場で密着しすぎるのは止そう」
こういうのは、わざわざ同人ショップの店内で見せ付けるもんじゃないよな。
俺は、鉄の意志によって、自分の腕から恋人の身体を引き剥がした。
「ええーっ」と、静葉は不満げな声を上げる。
けれど、取り合ってやったりしない。
他人の目を気にしないのと、他人に無配慮なのは、本質的に違う。
殊更人前でイチャついて、周囲の
……その、どうせ二人っきりになったら、ここ一週間はキスとかしまくりだし……。
ぬああああーッ! ゴメンちょっと爆発してくるわ!
って、誰に謝ってんだよ俺(セルフツッコミ)!
静葉大好き! むしろおまえが俺を好きだって言うより俺の方がおまえを好き!
やっぱりバカップルだな俺ら!
などと、絶叫したいのを堪えつつ、平静を装う。
「じゃあ、俺は他の棚を優先して、順番に新刊チェックしていくから」
俺は、その場に静葉を置いたまま、問答無用で移動する。
最初に本を見ていた位置を離れ、二つ隣の棚の前に立った。
この辺りに陳列されているのは、よしはな(
よし、ちょっと真剣に調べていこう……。
…………。
……と、しばらく一人で、新刊チェックに集中する。
おそらく、二、三〇分程度そうしていただろうか。
同人誌を順に眺め続け、やがて棚の左端付近までリサーチが進んだ。
そのとき、ふと視界の隅へ飛び込んできたものがある。
通路を挟んだ売り場の壁面――
ポスターサイズの一覧表が貼られているのを、そこに見付けたのだ。
「ねこブ」で取り扱っている同人誌の売上を示した内容で、最新のランキングだった。
対象の本は、夏のコミロケ以後に入荷したもの、ということになっている。
俺は、何気ない思い付きで、女性向け同人誌のランキングをたしかめてみた。
売上順位を、上から下へひとつずつ眺めていく。
――あった。
サークル名「田園地域南駅」、執筆者・あや乃。
彩花さんがコミロケで発行した新刊だ。
女性向け総合で一七位。ジャンル『
前回の本が一位だったことを考えると、驚くべき結果じゃない。
それどころか、思ったより低い順位だ。
とはいえ、これはコミロケが特別な即売会だからだと思う。
普段、他の即売会に参加しないプロ作家でも、このときに限っては同人誌を頒布する、という場合が少なくない。
そこに混ざって尚、これだけの順位をキープできるのは、やはり並外れているのだろう。
というわけで、やっぱ彩花さんスゲーなー、なんて一人で唸っていたところ。
よく聞き慣れた声で、名前を呼ばれた。
「侑也くん。向こうの棚の新刊は、概ねチェックしてきたけど……」
釣られて振り向くと、静葉がすぐ傍に立っている。
見れば両手には、七、八冊ほどの同人誌を抱えていた。
今日も市場調査の副次行為として、目ぼしい本を物色してしまったようだ。
ところで余談だが、最近の静葉は微妙に存在感が増した印象を受ける。
実は、たった今も声を掛けられる直前――
この子が傍へ近付く気配を、俺はほんの僅かに感じていた。
だから、かつてのように不意を打たれて、驚いたりしなかったのだ。
これもまた、少し不思議だけれど、好ましい変化のひとつだった。
「彩花ちゃんが描いた本のこと、気になる?」
「……まあ、多少はな」
俺は、曖昧に答えつつ、反射的に少し目を逸らした。
「そう言えば、彩花さんと最近はどうなんだ」
「どうって、何が?」
「ええと、つまりだな……姉妹で仲良くしてるのか、ってことだよ」
静葉にとって、これまで彩花さんは劣等感の対象だった。
いや、過去形ではなく、たぶん同人作家としては、将来も同様であり続けるのかもしれない。
あの人は、一番身近でありつつ、とても遠い存在なのだから。
けれど彩花さんは、俺とこの子が作った同人誌を、「愛情の篭もった立派な本」だと評価してくれた。
その事実は間違いなく、静葉の心を幾分か救ったはずだ。
然らば、姉妹のわだかまりも、多少なりと払拭されたことを期待したかった。
「もう。何回も言ってるけど、私と彩花ちゃんは別に不仲ってわけじゃないから……」
静葉は、こちらが何を気に掛けているのか、口振りから察したみたいだ。
「――でも、そうだね。今は一時期よりも、普通に顔を合わせて、色々な話をするようにはなったかな。何だか、少しだけ数年前の関係に戻ったみたい……。同人誌の話題は、お互いに持ち出したりしないけど」
そう答える言葉には、まだ微妙な心理の揺れが見え隠れする。
しかし、以前までの明らかに敬遠するような雰囲気は、もう感じられない。
それが何だか嬉しくなって、俺はもう少し質問を掘り下げてみた。
「へぇ。同人誌のこと以外で、どんな話をしてるんだよ」
「どんなって……。それは、毎日のご飯支度のこととか、アルバイトのこととか――」
静葉は、記憶を手繰るように、口元へ人差し指を当てて考え込む。
それから、おもむろに思い掛けない言葉を発した。
「あと、侑也くんのことも、話題にするよ」
「……俺のこと?」
会話の流れで訊き返すと、はにかみつつも静葉はうなずく。
「う、うん。『やっぱり彼氏が居るのって、いいな』って。――彩花ちゃん、私たちのことが少し、羨ましいみたいで……」
「そんな、羨ましいだなんて」
こっちまで気恥ずかしくなって、俺はむず痒さで頬を掻いた。
「彩花さんみたいな美人だったら、いくらでも恋人なんて選び放題だろうに」
それは、本心から出た言葉だった。
決して社交辞令なんかじゃない。
才色兼備の若い女性だし、周りに群がる男は数知れないはず――
そう憶測するのは、ごく自然だろう。
ところが、にわかに静葉は、困惑したような表情を浮かべた。
「う、うーん……。それは、ちょっとどうかな。彩花ちゃんとお付き合いするのは、普通の人にはなかなか難しそうだから」
「はあ? どういうことだよ」
「だって彩花ちゃん、来る日も来る日も同人誌の原稿描いてばかりだし。何があっても、常に原稿最優先なの。たまに友達から遊びに誘われたって、断ることの方が多いぐらい。ああ見えてバイトが非番のときは、私以上に引き篭もりだから」
「……それじゃあ、これまでに彩花さんと付き合った相手は……」
「そもそも過去に居なかったはずだもの、そういう人は。――言い寄られたりしたことなら、何度もあるだろうけど。彩花ちゃんは、誰かと正式に交際した経験なんてないと思う」
咄嗟に次の言葉が出て来なくて、俺は口を噤んだ。
壁面の売上一覧表を振り返り、もう一度改めて眼差す。
――彩花さんは、あそこに自分の名前を載せるまでに、いったいどれだけのものを生贄に捧げてきたのだろうか。
多くの人々を惹き付ける、美麗で愛に満ちた同人誌。
あれだけの本が作り上げられるようになるまでに、彩花さんが費やし続けてきた時間や労力……
過去に恋人が居たとか居ないとか、それだけのことじゃない。
俺は、失われた青春を想像して、一瞬胸が詰まるような感覚に襲われた。
でも、ちょっと気持ちを落ち着かせ、考え直す。
おそらく、同じように犠牲を払っているのは、彩花さんだけじゃない。
むしろ彩花さんの本は、まだしも代償に応じた程度の報いを得ていると言えるだろう。
……世の中には、同人ショップの棚に並ぶことなく、即売会で手に取られることもない同人誌が、きっと掃いて捨てるほど存在しているのだから。
実は、先日のこと――
「コミック・ロケーション」準備会によって、あるアンケート結果がネット上に公開された。
それは、国内最大規模を誇る同即売会において、「参加サークルが同人活動に携わることにより、どの程度の収入と支出が生じているのか」に関して調査したものである。
回答を集計して判明したのは、実に全体の六割以上に上るサークルが「大なり小なり赤字を抱えて活動している」という実態だった。
開催三日間の合計サークル数が約五万とも言われるイベントで、大半はただ何かしら浪費し、ほとんど物質的な見返りもないのに参加し続けているわけだ。
すなわち、この世界に生まれた情熱の多くは、報われぬ現実と共にある。
称えられもせず。
励まされもせず。
時には、むしろ嘲笑を浴びて。
純粋でありながら、それゆえ陽の射さぬ場所で息づく――
平面世界上にだけ咲く、気高い百合のように。
フラットリリーはきらめかない。
報われぬものを追い続け、しかし今日も心を満たそうとする。
「……ねぇ。どうしたの、侑也くん?」
声を掛けられ、ふと我に返った。
不思議そうな顔をして、静葉がこちらを覗き込んでいる。
どうにも感傷的な気分になってしまった。
「いや、何でもないよ」
俺は、苦笑混じりに誤魔化した。
「それより手に抱えてる同人誌、全部買って帰るんだろ。――早くレジに行って来いよ、ここで待ってるから」
レジカウンターには、順番待ちの客が列を作っている。
静葉は、そちらと俺の顔を見比べてから、少し子供っぽい仕草で首肯した。
「うん、わかった。……ちゃんと待っててね」
要りもしない念を押すと、我が「同好の士」は一人で足早にレジへ向かった。
俺は、その幸せそうな姿を、かすかに目を細めて眼差す。
周囲には、いつまでも『ラブトゥインクル・ハーモニー』の主題歌が鳴り響いていた。
<フラットリリーはきらめかない -オタクな二人と同人誌-・了>
フラットリリーはきらめかない -オタクな二人と同人誌- 坂神京平 @sakagami
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