追撃1000兆年

ますだじゅん

追撃1000兆年

 BF113星系外縁、重力渦動発電所で、ついにヤツを追い詰めた。

 私は愛船の操縦席で、各種センサーとESPを研ぎ澄まして、ヤツの宇宙船の周囲を探った。

何もない。

 銀河系最大の犯罪組織を率いた大犯罪者が、いまでは一隻の手下すら無く、惨めに逃げ回っている。

「観念しろ、銀河連邦警察だ!」

 私が通信で呼びかけると、ヤツはノイズだらけのモニターの中で、ふてぶてしく笑った。

「お前か。あの時の小僧が成長したものだ」

「もう小僧じゃない、銀河連邦警察で最強の捜査官だ。お前に倒されて来た先輩たちのためにも、貴様だけは!」

「生憎だが、私は往生際が悪くてね」

 ヤツは回線を切ると、宇宙船を加速させた。すでに組織も壊滅、私たち銀河連邦警察の船団に包囲されているというのに、一体どうする気だ?

 ヤツの宇宙船は、重力渦動発電所……つまりブラックホールに近づいていく。警備システムを砲撃で破壊した。

「自殺する気じゃないか?」

 同僚が通信でそう言ったが、私は「ありえない」と即答した。奴はそんなたまじゃない。

 もしや、ワームホール理論?

 ブラックホールは遠く離れた場所と異次元のトンネルで繋がっている、という理論だ。現在の科学では否定されている。だが万が一、現代科学が間違っていてワームホール理論が正しいこともあり得る。奴はその可能性に賭けたのか?

 とにかく追わねば。

「危険だ!」

 同僚の発言を無視して、私も船をブラックホールに近づけた。

 ブラックホールの強大な重力で時間が遅くなる。宇宙船に乗っている私からすれば、逆に外の時間が早く見える。星の輝きが紫外線に、エックス線に変わって見えなくなっていく。

 いまや、船内時間一秒で、外では一時間が経つ。

「止まれ!」

 私は威嚇射撃を行ったが、強烈な重力のためビームがねじ曲がり、まともに飛ばない。

 奴は威嚇を無視してさらにブラックホールに近づく。

 私も追いかける。時間の倍率が何十万倍、何百万倍になった。すでに外の世界では何年も経っているはずだ。

「そうか……」

 私は冷や汗を拭いながらうなずいた。ヤツの考えがわかった。

 未来に逃げる気だ。遠い未来に行けば、もう自分を知る者もいない。まっさらな状態で悪事を再開させるつもりだ。

 そうはさせるものか。この世の誰が忘れても、私だけは忘れない。許さない。

 ヤツはまだ上昇しない。下降を続け、ブラックホールに近づく。

 私は震える手で操縦桿を握り、船をさらに軌道修正。ヤツを追う。

 時間の倍率は何億倍、それ以上になった。もう外側の世界で何が起こっているのか、時間の速度が違いすぎて全くわからない。

 船はブラックホールの擬似的表面、時間の流れが完全に止まってしまう「事象の地平線」のすぐ外側を舐めるように飛んでいる。エンジンを全力で吹かし、吸い込まれないように遠心力を発生させながら飛ぶ。

 当然、速度は光速に近い。

 闇の中で追いかけっこは続いた。

 ヤツは私のすぐ前、追突するほどの至近距離にいる。拿捕のチャンスだが、できない。いま私の船の重力制御装置は全力を振り絞って、ブラックホールの潮汐から船体を守っている。ヤツの船に接触すれば限界を超え、船体は引きちぎられるだろう。

 船体の軋みがひどい。モニターにはエンジンや重力制御装置の発する警報がズラリと並ぶ。

 もうだめだ、これ以上は船体が持たない。ヤツの船も同じ状況のはずだが……?

 根競べに負けたのはヤツのほうだった。速度を上げ、事象の地平線から遠ざかっていく。

 私もすかさず操縦桿を操作、船を上昇させる。

 ブラックホールから離れ、時間の流れが正常に戻ったはず。

 だが。私はモニターを凝視して呻いた。

「なぜ真っ暗なんだ……?」

 見えてくるはずの星が一つもない。

 この船は肉眼とは比較にならないほどの観測機能がある。銀河系の何千億という星の大半を捉えられる。

 それなのに一つも見えない。別の銀河系も見えない。

 光だけでなく、赤外線、電波、放射線も検出できない。

 絶対の暗黒と虚無。

 私は困惑しながら、モニターを隅から隅まで確認した。

 一番端に表示された数字を見つけ、今度こそ言葉を失った。

『外部での経過時間 推定1000兆年 誤差10パーセント前後』

 何百年ではなく、何億年ですらなく。1000兆年。

 子供の頃受けた、天文学の授業が脳裏に蘇った。

 比較的明るい恒星は何十億年程度で核融合燃料を使いきって燃え尽きてしまう。赤色矮星という暗い星はもっと長持ちするが、数兆年あれば燃え尽きてしまう。星の残骸から新しく星が生まれることもあるが、再生効率は百パーセントではなく、世代を重ねるごとに星の数は減っていく。いずれ宇宙のどこを探しても星がない時代が来る。

 それが今なのだ。

 ただ一粒の粒子すら飛ばない暗闇に、かつて星と呼ばれていた、絶対零度の潰れた塊だけが散らばっているのだ。

 銀河連邦がなくなる、それは覚悟していた。地球人が滅亡して別の文明が栄えていることすら覚悟していた。だがこれは想像を超えていた。

「あ……あ……あ……」

 唇から、そんな声が漏れた。体が恐怖に震えた。生ぬるい汗が吹き出した。

 この恐怖を何に例えよう。夜の海に突き落とされた時の何万倍……。誰も知る人のいない町に、たったひとり取り残された子供の、さらに何億倍……。例えようがない。人類が味わったことのない絶対孤独なのだ。

 錯乱状態に陥ろうとしていた私を救ってくれたのは、点滅するアイコンだった。

『熱エネルギーを探知』

 すべての星が燃え尽きた宇宙で? 

 私はセンサ類を操作し、自分のESPも総動員して、熱源の正体を探った。

 熱源はごく小さく、恒星とは比較にならないほど弱々しい。普通の宇宙空間では星々の熱に紛れてしまって発見できなかったろう。

 だが、いまならば分かった。

 ヤツの宇宙船も、この時代に来ていたのだ……!

 再び闘志が燃え上がった。私は宇宙船を駆り、ヤツの船に接近した。

 また威嚇射撃を行うと、すぐに降伏の合図を送ってきた。しかも、ヤツの船は船体に装備されていた火砲、ミサイルランチャーの類をすべて解除し、宇宙空間に廃棄した。

 無抵抗だと? 私は戸惑いを覚えながら、奴の船に接舷。近接戦闘用装備に身を固めて、乗り込んだ。

「待っていた、君を……よく来てくれた……」

 しわがれた声。ミイラのように老い果てて、ヤツはコクピットに座っていた。

「その姿は……?」

 私は最初驚いたが、すぐに理解した。ヤツと私では、ブラックホールから上昇開始する時間が、コンマ何秒か違っていた。それだけで外界では何十年もの時間差が生まれたのだ。

「手を上げろ」

 銃を突きつけ、私は言ったが、実に滑稽な台詞だった。ヤツは言われるまでもなく、枯れ木のような両腕を上げている。体に武器も隠していない。センサーで確認済みだ。

「本当に済まなかった。ただ、君に謝りたかった」

 ヤツは私を真正面から見つめ、喋り始めた。

 自分が重ねてきた罪について、何度も、何度も謝罪の言葉を。

 私はその言葉を聞くにつれ動揺した。ヤツを屈服させることを、罪を悔いさせることを望んでいたはずなのに。

 ESPでヤツの心奥深くまで潜り、真意を探った。

 一片の悪意も、騙すつもりもない、純粋な白。言葉通り、償いたいという気持ちしかない。

「この世界、誰もいない宇宙でたった一人になって、十年も二十年も考え続けて……なにもできることはない、考えるだけしか……気づいたんだ、自分がどれほど悪いことをしてきたのか。だから君に謝りたかった。君の先輩や同僚たちも大勢殺してきた、本当に……」

 深く頭を垂れるヤツに銃口を向けたまま、私は言葉を失っていた。

 殺せばいい、私が裁くんだ、いまや銀河連邦警察も裁判所もない、すべて私が代行するんだ……

 だが、どうしても引き金を引けない。

 何十年も、星一つない宇宙を漂い続け、考え続けてきた? ひたすら悔いてきた? ほんのわずかな孤独で、私はあれだけ怯えたのに、ヤツは何十年? どれほど重く、長い後悔の人生だ? ヤツが悪事を働いていた時間よりも何倍も長い。

 この人はもう罪を償っているのではないか、その思いが喉までこみ上げてくる。

 だが使命感を奮い起こして、違う言葉を叩きつけた。

「観念してるんだな、じゃあ死んでもらうぞ……」

「頼む。だから君が来るのを待っていた。君に裁いてもらわなければ……この宇宙は、間違って終わってしまう」

 宇宙が間違ってしまう? 意味不明な言葉に、胸を突かれた。

「いまが宇宙の終わりなんだ。私たちが宇宙で最後の生命で、最後のエネルギーの一欠片なんだ。この宇宙で最後に行われることは、正義の執行で無ければいけない。悪が裁かれないまま、宇宙が終わってはいけない……」

 私は、銃を構えたまま動けない。ヤツの言葉が頭の中で反響する。

「この宇宙で……最後……」

 何千億年、何兆年、数知れない星々の、地球人だけでない、数えきれない文明と生物の連鎖。

 その終着点が。

 誰かを憎み、殺すことであって良いのか。

 こんなにも悔いている人間をか。

 私は銃を捨てた。狭いコクピットを漂っていく。

 ヤツは驚愕に目を見開く。

「許す。お前を許す。最後の人類、最後の生き物の名において、お前を許す……!」

 この宇宙で行われる、最後の行為は。最後の出来事は。

 誰かを許すことであって欲しかった。

「ありがとう……ありがとう……ありがとう……!」

 ヤツは私の腕にすがって大声で泣いた。声は次第に小さくなっていき、そして消えた。

 同時に、生命反応も消えたことを確認。とうの昔に寿命が尽きて、裁かれることだけを願って、執念で生きてきたのだろう。

 ヤツの亡骸を、無限に広がる虚空に葬って、自分の船に戻った。

 たった一人になった私はコクピットでため息を付いた。

 これからの果てしない時間、いろいろと考えるだろうが、きっと後悔することはない。

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