ネジ曲がったらこうなった

天邪鬼

序章

祖父の日記

 普通小学生くらいの子どもというのは祖父母に愛着を抱くものなのだろうが、私の場合は少し事情が違った。

 いや、今のは少し語弊がありそうだ。決して何か特別な訳があったのではない。ただどうも、私は祖父に対して或る種の畏怖を抱いていたのである。

 これもまた誤解を招く表現だったろうか。祖父が厳格な人間であったとか、そういうことではない。むしろ常に温かい微笑みを浮かべており、端から見れば穏和であっただろう。しかし私には、彼の芯に詰まった、人ならぬ何かが感ぜられ、どうも疎ましい存在だったのである。おそらくこの類いを「心に闇を抱えた人」というのだろうと私は子どもながらに思ったのだった。しかし私以外に、彼を同じ目で見るものは一人としていなかった。やはり外では彼は徳のある温厚な人間として通っていたのである。


 その深淵が実体を持ったのは、私が大学を卒業してすぐ、まだ肌寒い春の日のことだった。

 そのとき祖父は横浜の病院で病床に臥していた。もうこれで最期かもしれないからと父に念を押され、私は卒業の報告をするべく父と二人、祖父の元を訪ねたのだった。

 全身に転移した癌が祖父の身体を蝕んでいるのだと聞いていたが、当の本人は私が病室に入ってくるのを見ると、いつもと変わらぬ笑顔を作っていた。どこか冷めていた私は、なるほど祖父は強い人間だな、とまるで他人事のように彼の性質を分析していた。

 そんな私がわざわざそこへ赴いたのは決して父に強要されたからではなく、それだけの義理があると思っていたからだ。というのも、入学祝から教材費に至るまで、少ない年金を私のために費やしたのは他でもない祖父だったからである。従って私にとって報告は義務であった。

 就職先の話をした後は、大した話はしなかったと記憶している。というより、特に覚えが無いということは大した話では無かったのだろう。とにかく唐突に祖父が父を追い出した。別に怒鳴り散らしたのではない。何か適当に用を頼んで外に出したのだ。この内容も私は記憶していない。


 あるいは、その後の出来事があまりに浮世離れしていたがために、それまでの些末を忘れさせてしまったのかもしれない。


 父が病室から出るなり、急に祖父の様子が変わった。私も心無い人間で、間も無く息を引き取ろうとしている祖父に対して、ようやく本性を現したな、などと思った。

 未だかつて見たことの無い、悲哀に充ちた彼の表情は、私が幼少より感じていたそれであり、驚くことは一つもなかった。


「なぁお前に、頼みがある。」

 祖父の目を黙って見つめ私は続きを促した。

「オレの書斎の本棚の裏に一冊、日記があるんだよ。それをお前さんにやる。なに、ちょっとした卒業祝いだと思ってくれればいいから。」

 お前だったら、きっとあれを読めるから。と、言って軽く笑って見せた。この年寄りが綺麗な歯をしているのは、元の歯はすでに抜け落ち、とうにすべて入れ歯になっているからだった。

「なぜ親父じゃ無いんだ?」

「おぅアイツは昔から泣き虫の意気地無しだったからな。アレに見せたら気が狂っちまうよ。」

「それはそんなに酷いのか?」

「いや、お前さんなら読めるよ。いや、読んでくれ。この老い耄れの、最期の細やかな頼みと思ってな。」




 数日後、祖父は静かに息を引き取った。



 葬儀の準備というのは意外に忙しいもので、通夜の途中、人が切れたのを見計らってようやく抜け出すことができた。

 そして私は、祖父の部屋に入ると言われた通りに本棚の裏を探した。

 懐中電灯で照らしてやると確かにそこに日記が落ちていたが、とても手を差し込めるほどの幅はなく、部屋にあったハンガーを使ってなんとか引き出した。


 ひどく埃を被ったその日記は『異世界冒険譚』と題されていた。

 まさか、祖父が書いた小説だろうかと思ったが、とりあえずそれについた埃を簡単に手で払い、小走りで通夜へと戻った。



 東京に帰ってからすぐ、私は祖父の日記を手に取り、さっそく読み始めた。

 普段の私なら興味さえ示さなかっただろう。まして祖父に愛着の無かった私であるからなおさらそのはずだった。

 しかし私はそれを開いた。まるで、何かに誘われるようなそんな感覚であった。



 その本こそ、祖父の闇そのものであったと言えるだろう。


 それは、非常に砕けた口調で綴られた、至って普通の日記だった。


 ただ一つあった異常は、その日記がこの世界において書かれたものでは無かったことである。



 祖父の日記は、次のように始まった。





 異世界での旅の記録をここに綴る。昔から易占の方には通じていたが、まさか転移なんかが出来るとは思ってもみなかった。

 テレポーテシヨン(テレポーテションと書きたかったのだろう)というやつらしい。

 ここはどうやら、過去に分岐して出来た世界のようだ。ということは、同じ日本でも言葉が通じなかったりするんだろうか。

 とにかく俺が訪ねた世界で見聞したことを書き残していく。



 1987年7月10日       西田徹

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