日曜日。午前九時五十五分。あたしはスーツケース一個だけの身軽な荷物で出社した。

 だってさー、買い物は会社のカードですればいいってイケメンが言ってたし、要は着替えとメイク道具とパソコンだけあればいい訳でさ、荷物なんて少ない方がいいに決まってるし。

 なんて思ってたら、来た来た、例のイケメン。やっぱスーツだし。

「山田さん、おはようございます」

「おはようございます。大変ですね、日曜日なのにスーツで」

「いつもの事ですから慣れてます。それでは行きましょうか」

「どこへ?」

「京丹波です。聞いてますよね、現場」

「はい、聞いてます」

「じゃ、送りますから」

「あ、どうもありがとうございます」

 そうか、イケメンは駅まで送ってくれるのか。新幹線とか全部手配してくれたのかな。

 イケメンに案内されて黒いステーションワゴンの助手席に乗り込むと、助手席側に車が傾く。

「これって会社の車じゃないですよね?」

「僕の個人所有の車です」

 何というかこのイケメンは、まあカッコいいんだけど、そっけないというか事務的というか。もうちょっとさ、駅まで会話楽しもうよ。てかせめて笑顔くらい作ろうよ。なんだそのクッソ真面目な顔は。

「いい天気ですねー、こんな日は仕事してないでネズミーランドでも行きたいですよねー」

「行った事ありません」

 ……会話楽しもうよ。

「なんか道混んでますね」

「日曜日ですから」

 つまんねー男だな。仕事はできるんだろうけど、あんた彼女居ないでしょ。

「仕事大変ですね。こんな事までやらなきゃならないんですね」

「ついでだったので僕が申し出たんです」

「ついで?」

「はい、ついでです」

 なんだ、ついでか。あたしの為に休出してくれたのかと思ったのに。申し訳ないとか思って損した。

「山田さん、折角春風を楽しんでいるところ申し訳ないんですが」

「え? はい?」

「窓、閉めても構いませんか?」

「あ、はい」

 この人、花粉症なのかな? それにしちゃ涙目でもないし、鼻水も垂らしてないな。

「じゃ、東名乗りますから」

「はい。……えっ? 東名?」

「はい。東名」

「ちょ……どこまで行くんですか?」

「ですから京丹波」

「ちょっと待ってよ、京丹波まで車で行く気?」

「すみませんが待てません。ここ、高速道路ですから」

「そーじゃなくて、車で目的地まで行くのかって聞いてんの!」

「そうですよ。最初に言いましたが」

「冗談でしょ!?」

「大真面目ですが」

「それ、仕事なの? 京丹波まで送るのが?」

「違いますよ、送るのは仕事じゃなくてついでです。さっき言いましたが」

 何言ってんだこのイケメンは、頭おかしいんか?

「じゃあ、仕事ってなんなんですか?」

「僕はエンジニアですから、設計が仕事ですよ」

「じゃあなんであなた京丹波まで車なんか運転してんのよ?」

「ですからついでです。山田さん、人の話聞いてますか?」

「なんのついでなの?」

「僕が京丹波に行くついでです。同じ目的地に行くからついでに山田さんを乗せていく、これで山田さんの旅費が浮く。極めて合理的な発想ですよ」

「ああ、なんだ、そういう事でしたか。……ん? でも総務の人がなんで京丹波に? え? え?え? ちょっと待った、エンジニアって言いましたよね? あなた総務の人じゃないんですか?」

「総務? 誰がそんなこと言ったんですか? ちょっと待って下さい山田さん、僕をお忘れですか?」

「お忘れって、一昨日初めて会ったばっかりじゃないですか」

「……ああ、その程度でしたか。あんなに毎日仕様書チェックしたのに」

 なんだ今の一言は。すんごく嫌ーな感じしたぞ。確認したくないぞ。とても。

「まさかと思うけどあなた……」

「機械設計グループの神崎です」

「か、か、か、神崎さんっ!? あの恐怖のメールの神崎さん?」

「恐怖のメールとはなんですか?」

 しかも笑顔無いよ。

「いえ、あの、あたしのとてもしょーもないミスを見つけてチェックを入れた大変有難いメールを毎日下さっているあの機械設計グループの神崎さんですか?」

「いえ。あなたの極めて初歩的且つ致命的でその上取り返しのつかない事態を招くミスを見つけてチェックしている神崎です」

 てめー、喧嘩売ってんのか。

「いつもありがとうございます。ご迷惑おかけしてすみません」

「いえ、毎日の事ですから慣れてます」

 てめー、やっぱ喧嘩売ってんだろ。

「寧ろ毎日のルーティンとして行っている作業なので、最近では山田さんにミスが無いと何か家に忘れ物をしてきたかのような妙な不安さえ覚えるようになりました。これは既に依存症ですね」

 すっごいハイレベルな喧嘩の売り方だな。

「で、なんで神崎さんが京丹波なんかに?」

「同じマシンなんですから当然でしょう? あなたの作ったソフトを僕が組み込んで作る訳ですから、山田さんと僕が居ないと始まらないじゃないですか」

「あ、まあ、そうですよね」

 という事はだ。恐怖のメールどころの騒ぎじゃないんじゃないの?

「つまり、あたしと神崎さんがワンセットで京丹波に派遣されたって事ですかね」

 神崎さんが「今更何を?」という顔であたしを見る。ヘイヘイ、わかりましたよ。その通りですよ。これから毎日一緒に仕事するんだ、この人と。ああああ、なんだか考えただけでちょっと、いや、だいぶ憂鬱なんですけど。

「随分嫌そうですが、僕の事かなり嫌いですか?」

 ストレートだな、あんた! たとえそうでも『そうです』とは言えないでしょーが。

「いえ、そんな事ないですよ。神崎さん、とても仕事ができるんで、あたしが足手まといにならなきゃいいなと思いまして」

「大丈夫です。今度はずっと一緒に仕事する事になりますので、付きっきりで指導できますから」

 おい、個別指導なんかい。てかさ、そこ『足手まといなんて事は無いですよ』とかそういうフォロー入れるとこでしょ? なんでナチュラルに認めてんのよ。いちいち癇に障るわー。

 てゆーか……まさかこれ、天然? ……天然かも? え? 可能性あるぞ?

 天然なのか、神崎さんっ!?

 それから約二時間、あたしは神崎さんがハイレベルな嫌がらせを展開しているのかただの天然なのかを見極める為、散々質問攻めにしてやった。もう、ほんっとにどーでもいいような事ばっかり。

 彼の返答は至って真面目で、茶化す事無くきっちり回答してきた。だが、その回答がいちいち変なのだ。例えばだ。

「神崎さん、ソフトウエアにも詳しそうですけど、学生の頃は一体何をされてたんですか?」

「僕はひたすら数独に明け暮れてました」

「は? スウドク?」

「ナンバープレイスという理数パズルです。四色問題にも夢中になりましたが」

「あ、いえ、そういう意味じゃなくて、何を『勉強』されてたのかと」

「カラーコーディネイトです」

「は? カラー……?」

「ええ、カラーコーディネイトです。色の世界はとても奥深いんです」

「美大卒なんですか?」

「いえ。理工系です。機械工学科でレーザー関連を専攻してました」

 話嚙み合ってないよ……。いや、ちゃんと質問には答えてくれてるんだよ。正しいんだよ。あたしが正確に質問してないと言えばその通りなんだよ。

 でもさ、話の前後とかニュアンスで判るでしょ? 判らない? 判らないから、この会話になっちゃうって事だよね?

 でもさでもさ、すっごい真面目なんだよ、だからツッコめないんだよ。わかる? あたしのこの煮え切らない気持ち。ツッコませてよ。これだけボケ倒してる相手にツッコめないのはある種拷問だよ?

 つまりね。あたしは悟ったんだよ。この神崎さんは途轍もない天然だってことをさ。この人とこの先一カ月一緒に仕事するんだよ? マジですか? 気持ちのやり場無いじゃん? ミユキ、代われ!

「牧之原でちょっと休憩しましょう。ちょうどお昼ですし、深部静脈血栓塞栓症を予防するにもそろそろ車を降りた方が無難です」

「ケッセンソクセン……なんですか?」

「深部静脈血栓塞栓症。エコノミークラス症候群と呼ばれるものです。もう二時間乗ってますから」

 神崎さんは静かに車を停める。今気づいたんだけど、この人の運転は『車乗ってる感』が無い。アクセルもブレーキもスーッと自然だし、加速も新幹線みたいな自然な加速だ。もしかして運転上手い?

「何食べよっかなー。静岡って何が美味しいんだろう」

「お蕎麦、お好きですか?」

「蕎麦? ええ、好きですけど……足りるかな」

「じゃあ、僕のオススメがあります」

 神崎さんに連れられて、サービスエリア内のレストランに足を運ぶ。

「折角静岡に居るんですから、桜海老のかき揚げと茶蕎麦、それと鰻の蒲焼食べたくありませんか?」

 ……それは文句なしに美味しそうだぞ。

「食べたいですっ!」

「でしょう?」

 なんだろう、不思議な人だな、この人は。知らぬ間にペースに巻き込まれてる感じだ。

 で、あたし達はしっかりと桜海老のかき揚げと茶蕎麦と鰻重のセットを注文したわけなのよ。

「うっわー、これメッチャ美味しい! お茶の香りが凄い! 桜海老もおいひー! 鰻サイコー! あ~、生きてて良かった。ほんと今日まで生きてて良かった。神崎さん、ありがとう~!」

「山田さん、とてもいい顔で食事しますね。美味しそうにモリモリ食事をする女性は素敵ですよ」

 油断した。……いきなり攻撃してくるか、神崎。

「ええ、だからあたしこんなに太ってるんです」

「そうですね、いい感じに肥えてますね」

 これはきっと天然なんだ。機械設計Gの神崎という男は、世紀末的な天然なんだ。

「あたしこれだけで夜まで持つかな? 鰻重も付いてるから大丈夫かな?」

「あの、良かったら僕の鰻重食べませんか? まだ手を付けてませんし、僕はかき揚げが結構重かったんで茶蕎麦だけでもうお腹いっぱいなんですが」

「え? ホント? いいの? 食べます食べます! 貰います! いただきます」

 素直に手を出してしまったあたしにもう怖いものは無い。鰻重美味しい! そんなあたしを、真顔でじーっと神崎さんが見てる。でももうそんなこたぁ気にしない。鰻重おいひー!

「本当に美味しそうに食べますね。鰻重も幸せでしょうね」

 真顔でこういう事を言うこの男を完全に無視して、あたしはひたすら鰻重を頰張った。

 さて、神崎さんの熱すぎる視線を感じながらの食事も終わり、茶蕎麦と桜海老のかき揚げと鰻重(二人前)をガッツリ食べたあたしは、とってもとっても満足して車に乗り込んだ。

「ところで神崎さん、この調子で京丹波まで今日中に着くんですか?」

「物理的には到着します。渋滞や休憩なども考慮して十九時くらいには現地に入れます」

「じゃあ、今日はもうその部屋で寝られるんですね」

「いえ、無理だと思います」

「え? なんで?」

「お忘れですか? 普通の賃貸マンションです。部屋の灯りを点ければ外から丸見えです。カーテンも無いんですから。山田さん、そこで着替えなさるんですか? そこで布団敷いて眠れますか?」

 はっ! それ、完全に盲点だった!

「え? じゃあどうしよう……あたし、なんにも考えてなかった。どうしよう神崎さん! 向こう着いたらカーテン買いに行くの、付き合って貰えませんか?」

「大丈夫ですよ。時間的にそうなる事は計算済みですから、京都市内にホテルを二部屋押さえてあります。今日はそこで休んで明日の朝一番に京丹波へ向かいましょう。現地の部屋で寸法を測ってからカーテンを買いに行けばいいでしょう。コンベックスは僕が準備していますから心配ありません」

 す……凄い! なんなんだこの人。頭良過ぎだろー! なんでこんなに機転利く?

「なんか、神崎さんて、完璧ですね……」

「別に想定内でしたから」

 なんていうか。やっぱりこの人には何処にも隙が無いんだという事と、あたしはさっぱりなんにも考えてないって事を再認識させられて、地味に凹んだのだった。

 それからしばらく車に揺られていたんだけど、さっき食べた茶蕎麦&桜海老のかき揚げ&鰻重二人前の満腹感に加え、どこにも隙の無い完璧な神崎さんに全て任せておけば取り敢えず大丈夫的な安心感があって、あたしは不覚にも眠気を催してしまったのだ。

 しかーも、それを目ざとく見つける男、それが機械設計Gの神崎という人間だ。

「山田さん、お疲れでしょうから、僕に気を遣わずに寝ていただいて結構ですからね」

「あーすいません、あたし眠そうでした?」

「はい、明らかにテンションが八十パーセントほど低下してます」

「そうですか。じゃ、お言葉に甘えて寝ます」

「はい、おやすみなさい」

 そう言われて寝てしまえるのがあたしの凄い所でもある。だからバーコードもハゲもあたしに出張を命じるわけだし、ログハウスやテントの話まで飛び出してくるのだ。今更取り繕う事も無いだろう。

 で、次に目覚めた時はなんと京都に入ってたんだよ。あたし、一体どんだけ寝てたのよ。時計を見ると四時過ぎ。二時間半も爆睡してた?

「山田さん、お目覚めですか。もうホテルに着きますよ」

「うっそ。人の車でこんなに爆睡したの初めてです」

「昨夜あまり寝てなかったんですか?」

「いえ、きっちり八時間寝てきたんですけど、なんか寝心地良かったです。神崎さん、車の運転メチャメチャ上手ですね。何か特別な免許持ってます?」

「建設車両なら一通り」

 そりゃあんた、それ作ってんだからね。

「そういうのじゃなくて、なんか特別なヤツ」

「国内Aライなら」

「こくないえーらい?」

「国内A級ライセンスです。誰でも取れますから特別でもありません」

「それ持ってると何かいい事あるの?」

「ちょっとしたレースに参加できる程度です」

「ふーん……」

 なんかよくわからんもの持ってるよね。カラーなんとかだとか国内Aライだとか。きっと語彙検定二級とか京都検定一級とか訳判んないもん他にいっぱい持ってるんだろう。

 なーんて思ってるうちにホテルに着いた。神崎さんはさっさとあたしのスーツケースを下ろし、自分は小さなカバンを一つ持って手際よくチェックインを済ませている。

 とにかくやる事なす事いちいちスマートで隙が無い。部屋も隣に取ってくれたんで、なんか安心。

 その後、神崎さんに夕食に誘われて市内のレストランに行ったのよ。再び神崎さんにじーっと見つめられながらもお腹いっぱい京野菜のイタリアンを食べ、ちゃっかりワインまで飲んだあたしは大満足でホテルに戻って来たんだ。

「明日は七時にお迎えに上がります」という神崎さんと別れて、シャワー浴びて着替えたら、やる事無くなった。ベッドにひっくり返ってニュース見て、テレビも面白くないし、ああ、もうホントに何もやる事無い。今から寝ようにも、昼間車の中で爆睡したから眠れない。どーしよ。

 ……で。暇を持て余したあたしは、何を血迷ったのか、壁の向こう側にいるであろう珍獣にメールしてしまったのだ。

『ちょっと、今からそちらに伺ってもいいですか?』

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【書籍版】いちいち癇に障るんですけどっ! ビーズログ文庫 @bslog

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