人形の町
青我
埼玉県 旧岩槻市
その家には、首が立ち並んでいました。
串に刺さった、無表情で蒼白で、それでいて薄ら笑う顔が並んでいます。
天井近くに棚が作られて、その上に並べられていました。
四畳半の部屋の中で、その白く串に刺さったままの顔が、一同に僕を見ています。まるで、魂を持った骸のように、無表情の奥に、一人一人違った表情を浮かべながら。
それは、雛人形のお顔でした。
祖父母は、雛人形を作る仕事をしており、その雛人形のお顔を入れる仕事を自宅でしていたのです。
小さい頃、僕はその顔が怖くて堪りませんでした。
夜になると、その顔が動き出して、布団に潜り込んだ僕を覗きに来るような気がして、なかなか寝付けなかったことがありました。
結果、僕は風邪をひきました。
翌日、予定されていた、東武動物公園をキャンセルして、僕はその奇妙な部屋の横で寝かされていました。柱時計の振り子の音も、その不気味さを助長させていました。
熱にうなされながら、僕はわがままにも言ってしまったのです。
「そんな気持ちの悪い人形、捨てちゃえよ」と。
そのときの僕にはわかりませんでしたが、祖父母の顔が、とても悲しそうだったのを今でも覚えています。
棚に置かれた無数の雛人形たちも、なぜか悲しそうに見えました。
時が経って、祖父が亡くなり、その家には祖母だけになりました。
祖母も、体調を崩していて、少しでも何か作業をして気を紛らわせるようにと、親戚の方が例の人形のお顔描きを頼まれました。
祖父が亡くなってから、祖母の家に立ち寄るようになった僕は、そのお顔を描く祖母を、ただじっと見つめていました。祖母を、というより、その仕事ぶりを見ていました。
小筆の先端を器用に使って、言葉では言い表せられないほどの繊細な線を込めていきます。少しずつ、その真っ白で何もなかった顔に表情が浮かび上がりました。
この雛人形は、職人の手によって作られたものでした。
なので、一人一人その表情が異なるのは、ほんの少しの筆先の感覚が異なるためなのでしょう。だからこそ、このお顔は生きているかのように、見つめられている気持ちにさせられたのです。
僕は、祖母に懺悔に近いような、あの時言った言葉を謝罪しました。
すると、祖母は言ったのです。
「いいんだよ」
たった一言ですが、その柔らかく優しい言葉と、今はもう見ることのできない表情が、今でも忘れられません。
それから数年たった今、その家には僕が住んでいます。
町もだいぶ変わりました。
岩槻市はさいたま市へと統合されました。
16号沿いにあった老舗の人形屋さんは、今ではコンビニになっています。
岩槻駅を降りたバスターミナルは、ある時間になると時計が動き出します。時計からは人形が出てきます。時計の背後に、人形の老舗が建っています。
ですが、ここが人形の町と呼ばれているのも、もしかしたら・・・。
何もないものに、命を吹き込む仕事。
人形のお顔を描く仕事ができる職人がいなくなってしまったとき、この町は、一体何と呼ばれているのでしょうか。
そういったアイデンティティを失って、町はただの変哲もない町へと変わっていくのでしょうか。
面影は、いとも簡単に消えてなくなってしまうものです。
少し前にそこにあったものが、工事で新しいものに変わってしまったとき、その場所にあったものがなんだったのかを思い出せなくなるように。
人の記憶から、意識から、この町の古き良き伝統が消えてなくなってしまわないようにしていきたい。
僕の家にはもう、柱時計の振り子の音も、人形たちも、作る人も、いないのです。
そんなとき、3月になると行われるひな祭りを目にしました。
壮大なスケールの雛壇に飾られる雛人形。
岩槻駅前を練り歩くお雛様に扮した人々。まだ年端もいかない少年少女がその行事に参加しています。岩槻の伝統は、まだまだ消えることはないでしょう。
人形の町 青我 @untitled
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