第4話 白の学び舎は塵に朽ちて
地下鉄すすきの駅から乗った車両は閑散としていた。
緩やかに発進してホームが流れていく。と、目深に帽子をかぶった女の子が前の優先席に座った。ノースリーブのワンピース。プリーツの入ったスカートは膝丈だ。
冬の札幌をなめてんのか。十一月とは言え、もう初雪もあったというのに。
幼稚園児のように足をぷらんぷらんさせている。かかとを上げては落とし、上げては落とし。顔はよくわからない。だが若いようでもあり、齢がいっているようでもある。
……薄気味悪くなった私は極力前の人物から目を合わさないようにして、バッグの中身を確認する。真新しい本が一冊入っていた。
**
同窓会の幹事を依頼されたのは二年も前のことだった。
学童人口の急減する札幌中心に近い陽光小学校が閉校になって久しい。クラスの人数は少なかったが、仲はとてもよかった。そのわりにまだ一度も同窓会を開いていないのだが。
小学校時代、担任だった恩師の葬儀で私たちは再会し、誰言うともなくキリのいい年次で同窓会をやることになった。
らしい、というのはさっぱり記憶に無いからで、喪服を整理していたら同窓会(案)が出てきて初めてその記憶の
一体誰が書いたのか、作業依頼と封書には作成代金も入っている。同窓会誌を私が作ることになっていた。
問題なのは封書を発見したのは同窓会予定日の一月前なのだ。
……なんてこった。
ここしばらく、咳が止まらない。
「インフルエンザかも知れない」と口走ったら、課長が休暇処理簿を投げてよこした。決済印は押してある。物わかりが良くて大変よろしい。
「帰れ帰れ! 来週から忙しいんだ。
今日は金曜なんですが。二日で直せと? と言いかけた口を閉じ、私はエレベーターに飛び乗った。
まっいいか。早退する正当な理由になった。同窓会の準備は自分がやるのはもうとっくにあきらめた。サクッと外注して今日は成果品を受け取りに行く。
斡旋サイトを検索して、市内で文書作成と印刷までやってくれるところが一件だけヒットした。ただし、請け負った相手は成果品は手渡ししたいという。
しつこい咳のせいで札駅からすすきのまで歩く体力はさすがにないから、地下鉄で行く。
おっさん族は少ない。帰宅かサボりか判別できない女子高生の集団が大通りから乗り込んできた。元気のいいおしゃべりが響いてほっとする。おっさんと違って彼女たちはマスクをするし、健康にはきちんと気をつけているはずだ。
マスクもしないであたりに吐き散らすおっさんは公共の敵といっていい。
すすきの駅でおりて上に上がり、廃デパート横の道を歩く。いまにも雪が舞い落ちそうな黒い雲が円山方面に見える。先月降った初雪は消えたけれど、次は根雪になりそうだ。
私は市電の軌道が屈曲する少し手前で左に曲がり小さな雑居ビルに入った。
打ち合わせ時間は午後三時。普通のマンションと変わらないドアには、「北工房パレット調査」のロゴが貼ってある。約束時間のきっかり五分前に玄関のベルを押す。
薄い茶髪の中年男がドアを開けた。背は私より低く、ぼってりと体重もありそうだ。両目の下に大きな青黒い
「サカイさまですね。こちらへどうぞ。お待ちしておりました。私、代表の小川と申します」
私が向かい合わせに座った瞬間、おっさんは猛烈に咳き込んだ。痰が強烈に自己主張している。思わず
この人がマスクを付けていなかったら後ろに飛び
私を応接室のソファに導いた後、別室に消えた小川氏はやがてお茶を持って現れた。
「ご依頼は同窓会用に廃校となった母校の歴史を詳しくまとめて製本する、ということでしたね」
息継ぎなしに言ってから、また咳をした。マスクを取って机上にあったヴィッテルのペットボトルからひとくち飲んでいる。
「大丈夫ですか」
「お構いなく。伝染りゃしませんから」
その勢いで咳を放っておいてそれはありえないだろう。小一時間も話を聞いていたら土日は本当に寝込みそうだ。
小川さんは紙袋から製本されたA4の冊子を取り出した。
「製本サンプルです。お目通ししていただいて問題なければ印刷後に所定の部数を送付いたします」
薄いベージュの表紙に「同窓会記念誌」と記されていて、特に指定したわけでもないのに上質紙で装丁してある。中身は目次があって、ページにはちゃんとノンブルが打ってあるし配色にも統一感がある。外見は悪くない。
席を立ちかけた私を小川さんが手振りで静止する。
「実は調査の過程で面白いことがわかりましてね。特に廃校になった経緯など」
「原因がわかったんですか」
ソファに戻った私に、小川さんは肥えた体を丸めるようにして私を上目遣いで見た。薄い笑みの口元とは対象的に妙に疲労しきった目だ。
小川さんは喉を湿らせるかのようにもう一口飲んでから話はじめた。
「実は事務所としては今回のご依頼が最後なんです。それだけに料金以上に仕上げてやろうって気持ちもありましてね。で、廃校の経緯なんですが」
「私もネットでもいろいろ調べたんですけど、ほとんどわからないんです」
「廃校の記事をいくつか記事検索で発見しましたが、札幌中心部の学童数が減っているとか、学区統廃合とか……。まあ、それもあるんですけれども、実際は違うように感じました。あなたも依頼されたからにはなんらかの疑問をお持ちだったのではないですか」
そんな疑問なんかカケラもない。ただ、時間がなかっただけだ。早く切り上げよう。病気をうつされてはたまらない。
「調査結果があるなら早く話してください。私もあまり時間がないので」
「結論だけで済ませるのは私の気がすまないので。経過があって結論がある。この話は特にそうしなければならないのです」
今にも咳き圧力を肺に
「街の中心に近い好立地ということもあり、市が底地を売却するために廃校にした、という噂もあったようです」
「でも今はまだ更地ですよ。私、依頼する前に跡地にいってみたんです」
「ですので売却話は嘘だった、と考えるほうが自然ですね。ところで、学校が建てられる以前、その土地に何があったかご存知ですか」
「墓地だったと聞きました。そういえば小学校の頃、体育館に近い1階の女子トイレに幽霊がでる、なんて話もありましたね」
よくある学校の怪談、全国のいたるところの小学校で普遍的な話だろう。
なぜか小川さんは一瞬笑みを見せてまた喉を潤した。まさか私がこんな与太話を信じているとは思っていないはずだ。
「四十年ほどで廃校というのは札幌市内でもかなり早いほうです。高度成長期の頃に開校して、地方に行けばまだ教室内に石炭ストーブが珍しくなかった頃に、中央ボイラー方式で全教室をスチームパイプで加温する構造です。教室ごとに一台ずつのテレビ受像機、校内放送システムを完備。当時としてはかなり先進的な建物だったようです」
私が頼んだのは歴史的経緯や学校にまつわるエピソードだった。建物はあまり関心がない。
「公共建築物は市の財産台帳に記載され、設計図などは保存されることになっています。解体後は文書の機密性解除の後、一定年数を経て処分または公共文書管理所に収納することになっています」
ずいぶん念を入れて調べてくれたようだ。うっとおしい話しぶりだが、調査の腕は確からしい。言葉を切った小川さんは身をかがめて私の茶碗におかわりを注いだ。……急須の注ぎ口が震えている。
「私も市役所のつてをたどって確認したんですが、公文書としては一切残っていないということでした」
突然、堰を切ったように激しい咳がつづき、小川さんは体を丸めるようにしてテーブルに額を付けた。病院に行ったほうがいい。ほとんど呼吸困難にしか見えない。こんな話をしている場合ではないだろうに。
「あ、お気遣いなく。時折こうなるんです。……近隣の住民にしてみれば自分たちの子供が通う学校ですから、当然反対はするでしょう。ですが、ある時期を境に急にトーンダウンして、反対運動も消えていきました。なんでも急先鋒だった数人が急にやめて、転勤したそうです」
高校の頃、一度だけ母校に足を向けたことがある。
入り口はすでに板材で覆われていた。子供心に白くきれいに見えた外壁はひび割れ、薄汚れている。道路側から職員室をのぞきこむと一切の家具が取り除かれていた。まるで臓物を抜き出された死骸のようなイメージが急に湧いて、私は小走りでその場を去った。
廃校と同時に取り壊されていれば、生徒がいた頃の生きていた建物の記憶だけが残ったことだろう。行くのではなかった。
「公共施設は取り壊す二年くらい前から撤去設計をはじめて、閉校と同時に解体工事が始まるのが普通なんです。なぜ解体まで長く放置されたんでしょうか」
「映画やアニメの舞台提供とか博物館とかになった話は聞いたことがありますけど」
「陽光小学校の場合、廃校してすぐに閉鎖されて解体もされず、長いこと放置されていたようです」
この人はすでに答えを知っているに違いない。でもなぜ遠回しで語るのか。確かに不透明な話ではあるのだが。
「もしかすると、触れてはいけない何か潜んでいたのではないか。例えば地下に旧日本軍の施設があって……これ、実際に内地の実例があるんです。壊すに壊せない。文化財かスクラップか。揉めに揉めて取り壊しになったのはずっとあとになったとか。ですが陽光小学校にはありえない話です。土地の前歴は開拓民の墓地だったそうですから。あなたの聞いた子供の頃の噂話は正しかったわけです」
「しばらくして、郷土史家の方と話す機会がありました。開校準備段階でも強い反対があったそうです。お墓の移転がうまく行かず、親類縁者が不明の仏様などがそのまま埋め立てられたとか。当時は学校の数が全く足りなかったので当局も急いでたんでしょう」
小川さんは恐ろしく不鮮明な画像をテーブルに広げた。新聞のマイクロ写真を拡大したもののようだ。
「墓地だった証拠です。水道管の架替工事が行われた際、校内の排水施設で人骨が発見されています」
紙の右上にある日付は私の両親が結婚するずっと以前だ。噂は死なず、私が小学生になっても語り継がれていたのだ。1階奥のトイレには……。
「お墓が問題なんですか」
「曰くのある土地、というのは間違いないです。世の中には忌地、というのもがありますがごぞんじですか」
「作物が育たない土地……」
「作物、というか命が育たない、命が削られるような場所のことです。昔の人は敏感に感じ取ってここを埋葬地にしたのかもしれません。今となっては知る由もありませんがね。もしかすると死者の陰の気を子どもたちの陽の気で鎮めようとしたのかもしれない。校名だって陽光というくらいですから」
言葉を切った小川さんは空になったペットボトルをゴミ箱に入れ、急に笑顔を見せた。妙に子供っぽい笑みだ。
「ごめんなさい。ホラーが好きなんですよ。冗談です」
だんだん話がぼんやりとしてきた。私は同窓会誌を受け取りに来たのではなかったか。
「ですが、公式には陽光小学校が存在していたという証拠はなにひとつ残っていないのは本当です」
「私は間違いなく陽光小学校の卒業しましたよ? 卒業証書だって残ってます」
「小学校の卒業証書をずっと保存している人はどれくらい居るでしょうか。歴代の卒業生名簿などは廃校後、教育委員会が引き継いで管理することになっていますが、これも怪しいと思いました」
「まさかそれも存在しなかった?」
「調査家業が長いとそれなりに公的機関とつながりがありましてね。結論から言うと陽光小学校のすべての卒業名簿が存在しないのです。これで卒業生を追跡することも不可能になりました」
この人は同窓会誌を作ると請け負ったのだ。それで資料がない事を理由に作成しなかったのだろうか。私はそれなりに厚みのある同窓会誌を見つめる。まさか全部白紙ということはないだろう。
天井のライトが自動点灯した。すっかり外は暗くなっている。早いところ帰らなければ。
小川さんは立ち上がってまたマスクを付けた。まだ肩で息をしているような感じが残っている。
「すっかり話が長くなりました。つまらない話を最後まで聞いていただいて感謝しています。こんな商売を長いこと続けていると、つい成果品をお渡しするときに苦労話の一つもしたくなるんです。ごめんなさい」
玄関まで私を送り出した小川さんは、頭を下げた。
外は雪が降り出していた。純白の綿毛のように雪片が舞う中を、初音ミクのラッピング電車が通り過ぎていく。
私はもときた道へと取って返し、すすきの駅の地下鉄階段を下る。
冷たい外気に触れたせいか喉がいがらっぽい。また咳が再発しそうだ。いや、あの男に何かを感染されたのでなければいいが。
**
眼の前のうす気味の悪い女の子から目をそらしつつ、私はバッグを開けて同窓会誌をとりだした。
すすきの駅から真駒内まで十八分。車内で読む時間は十分だ。もしオカルトまがいのつまらない記述があったら、徹底的に修正してもらうつもりだった。
と、膝に同窓会誌に挟まれていた封書がぽろりと落ちた。
表にはサカイ様へ、と書いてある。封筒を開けると一枚の紙片が入っていた。
列車は中島公園駅へ向かって加速中だ。つば広の白い帽子を目深にかぶった女の子はまだ足をぶらぶらと動かしている。
” サカイさまへ
今回のご依頼、誠にありがとうございました。
私にとって最後の仕事でしたが、ある意味、引退を決定づけたと言っても良いでしょう。本来ならば成果品をお渡しした時点ですべてをお話すべきことでした。
私があなたに話した内容の半分は真実です。
陽光小学校は存在しない。いえ、存在してはならなかったのです……市当局にとっては。
卒業文集も卒業名簿も存在しない。市の台帳にも書籍や施設などの記録がないことが判明した時点で私は途方に暮れました。最後の仕事が、こんな終わり方をしてほしくなかった。改めて私は調査に本腰を入れたのです。
答えは思わぬところから得られました。学校の解体作業に関わった関係者の一人からです。
あの学校は文字通り
建物のすべてのスチームパイプの断熱材、ボイラー施設。体育館の天井。すべてアスベストが使われていたのです。当時は全くその有害性が問題になっておらず規制されていなかった。
これで卒業名簿が消えている理由がおわかりかと思います。
もし名簿をもとに追跡調査を行って特定の疾患が有意に多かったら、集団訴訟にもなりかねません。たぶん当局はそれを恐れて処分したのでしょう。
アスベスト由来の疾患は治療法がありません。文字通り不治の病なのです。
業者の話では、アスベストが含まれる建築物の解体は莫大な費用がかかるそうです。この学校の解体に何年もかかったのはそれだけの予算が捻出できなかったから、ではないでしょうか。
今回のご依頼になにかのご縁を感じずに入られません。
ありがとうございました。
……そして、さようなら。
市立陽光小学校 第三十二期卒業生 こと
北工房パレット調査社 代表 小川慎一郎“
私が手紙から目を上げると、前に座っていた少女がうっすらと笑っていた。さきほどまでの足の動きはぴたりと止まって足を揃えている。
……でも私の咳は止まらない。
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